雲雀

昔の彼女のインスタグラムのアカウントが、知り合いかも?とスマホに通知されて、僕の意識をひいた。今からもう十年以上も前の彼女である。どこから繋がったのだろうかと少しく訝りながら、プロフィール画面を開いて投稿された写真を見るともなく見ていた。彼女の数年前から現在に至るまでの写真が、数ヶ月ごとの間隔でごく自然に上げられている。が、当時の面影があるのかないのか、わたしにはもう判別がつかない。あると言えばあるのだろう。付き合っていた頃の彼女を思い起こしてみても、最近投稿された彼女ーーそれは海外のビール瓶を両頬に当てて笑っている写真であったーーが遠く外れているようには思わない。けれども、わたしの頭上で輪郭を保つ術を持たない思い出のようなもの、それ自体が絶対的でなければ、わたしの中でなされている比較は意味をなさないだろう。そう信じ込めてしまうほど、わたしはわたしの記憶を信用してはいない。彼女に流れたであろう時間と同じだけの時間が、わたしにも流れていたのだとするならば、彼女にとってこの男は、単に遠く淡い記憶の中の、日常では思い出すこともないような一人でしかないのだろう。斯くいうわたしも、彼女を強く思い返したのは、電子的な思いやりによる刺激ゆえでしかなかったのだから。

 窓の外では雲雀の高い声が右に左に絶え間なく響いている。万が一にもあり得ない妄執が、三月の風に紛れて走り廻るのは、どうしてだろう。しばらくの間その騒々しい声にぼんやりと耳を傾けながら足早に過ぎていく雲を眺めていると、冷いような、痛いような、優しいような気配を背後に感じた。春の亡霊が、その澄み透る白い手でわたしの両目をそっと覆った。白くて暗い靄が広がる。靄の中に彼女は静かに立っていた。その顔は、すっきりと丸みを帯びた輪郭はもちろん、奥二重の少し垂れた目や、ほんの少し上反った鼻もはっきりと僕の目に映っているのに、どこまでも続いている薄膜のような靄が彼女との距離をぼやけさせる。彼女は薄い整った唇を頑に閉じて、微かな動きも漏らさずに僕をまっすぐ見ていた。口は開いても声が出ない。耳に、口に、靄がいよいよ濃く広がっていく。真夜中に高熱を出して一人寝床に臥せている時の、あの重みを思い出す。さっきまでここにあったはずの全ての感覚が滑らかに身体を離れて、もう自分の居所も判然としない。薄白く煙るその中で一瞬、彼女の頬笑みを見た気がした。靄はさらに濃く重なって闇をつくった。気づけばわたしは、元の場所に何も変わらず立っていた。雲雀は相も変わらず、甲高い声を鳴らしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る