春泥
春泥という言葉があるらしい。雪が溶けて泥濘んだ足元。はっきりと地面を捉えられずに不安定にふらつくわたしと、雨を溜めこみ濁った灰色の空。相手にとって不都合なことを伝えるのが苦手だ。というより、伝えたあと、関係を継続することが苦手だと言ったほうがいいかもしれない。あるいは伝えるときの、皮膚がびりびりするようなあの空隙だろうか。今までそんな経験があったかどうかも怪しいくらいだ。慣れていないだけなのかもしれない。そのことをずっと考え続けているとふっと、大したことじゃないじゃない、という声が内から聞こえてくるのだけれど、伝えた後にまた会う気まずさを想像すると、飛んで逃げたくなってしまう。やっぱり慣れていないだけなのかしら。ここしばらく、喧嘩したり、仲直りしたり、謝ったりをしていないような気がする。怒ることがないのは、人とぶつかるのを避けているからなのかしら。いや、避けているというより、ぶつける言葉を持たないようにしているというのが正確かもしれない。このまま薄く透明になって、いつか身体ごと見えなくなってしまうのかしら。真正面から人と向かい合って話をしていると、眼下が強張って泣きそうになりながら、懸命に言葉を吐くあの頃のわたしは、粗い橙色のくすんだほの暗い部屋に置き去りにしてしまったようで、今はただ、わたしの生活を鈍らせる。眠れはしない、浅くじっとりとした睡気を誘う麻酔薬のよう。目の縁の筋肉が寛ぐのを忘れて勝手にふるえている。結局わたしは何に疲れているのだろう、漠とした焦りをもった気怠さをまんべんなくまとわらせた身体を机にへばりつけて、望んでいる何かがやって来ないふくらんだ時間を、見るともなく眺めていた。
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