第三話

 澄んだ青空にはところどころに雲が浮かんで、風にゆっくり流されている。


 その間をカモメが気持ち良さそうに飛び、唄う。


 綺麗に整えられた花壇には色とりどりの花が咲き誇り、蝶々が花から花へと渡り遊び、気まぐれに晨と真白の周りをくるりと舞う。


 時折、遠くから笑い声が聞こえるが、晨の集中力を削ぐほどではなかった。


 そんな世界を、晨はフィルムに閉じ込めていく。


 匂いを感じ、温もりを感じ、陽射しを感じる。


 頬を撫でていく風が、木々を揺らして囁く。


 自然に存在する色をイラストで表現するのは難しい。


 出したい色が出せないということは、晨にも経験がある。


 頭の中にある色と温度と空気が、ディスプレイには表示されていない。


 本当は、キャンバスに絵の具で描く方が晨には合っているが、今の晨はデジタルにこだわっていた。


『晨の描く絵は、色が深いな』


 水彩画もデジタルも両方描いていた当時、友達から言われたひと言が頭から離れない。


 晨の絵を好きだとも、嫌いだとも言わなかった友達は、どんな気持ちで晨の絵を見ていたのだろうか。


 ただ、彼はデジタルのイラストより水彩画の方が好んでいるようだった。


 だから、今はもう描かない。





「あの……晨さん」


 恐る恐るとも聞こえる声が耳に届き、晨は構えていたカメラから視線を上げた。


 そこには申し訳なさそうにしている真白が弁当の入ったバスケットを持ち上げ、晨を見つめている。


「なに?」


「あのね。邪魔しないようにって、決めてたんだよ? でも、さすがに朝から、休憩なしで、もう三時なの。そろそろお昼にしないかな、と思って」


「え、もうそんな時間? せっかく真白が張り切って作ってくれたお弁当だから、食べ損なうわけにはいかないね」


 晨は申し訳なさそうにしながら、真白からバスケットを受け取り、見晴らしのいい場所を探した。


 海と船の見える場所に決めた二人は、さっそく弁当を広げる。


 そこには真白の頑張りと心の籠もったおかずがぎっしりと詰め込まれていた。


「真白、ありがとう」


「なにが?」


「一人で来ていた時は、昼食をとることなんて頭になかったから。気付いたら、夕方で、夕方の顔に代わった景色を撮って、気付いたら真っ暗で。今度は夜の顔を撮って。フィルムが無くなって、ようやく家に帰っていたんだ。だから、途中で休憩があるのが不思議な感じ」


「邪魔になった?」


 隣に座る真白が水筒から冷たいお茶を注ぎ、晨に手渡す。


 その表情は不安げに揺れていて、晨は微笑んだ。


「全然、邪魔じゃない。自分でもびっくりだけど。それどころか、この後、もっといい写真が撮れそうな気がしてきた。だから、ありがとう、真白」


 晨は受け取ったお茶を口に含み、正面に見える海を眺めた。


 遠くまで広がる、終わりのない碧。


 空の蒼と海の碧。


 同じ系統の色でも、まったく違う。


 海と空の境が溶けて融合して、境のない世界になったら、面白みがなくなるだろう。


 空に浮かぶ雲に色の違いがなければ、空を見上げる機会は減るかもしれない。

 

 景色と平和な空間。


 そこに、隣から聞こえた鼻をすする音が異音として入り込んできた。


 晨は何が起こったのかわからず、慌てて真白を見て、思考が止まった。


 真白は両手で顔を覆って、すすり泣いている。


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