第二話

 カーテンを開けると、まだ明けたばかりの優しい陽光が目の前で弾ける。


 梅雨に入ってしまえば、なかなかこんなにいい天気の日はないだろう。


 もしかしたら、今日は暑いくらいの一日になるかもしれない。


 晨は家に日傘がないことに気付き、駅の地下にいくつかある店の中から見繕ってから、電車に乗ることを決めた。


 あの日。晨が強引にキスした日。


 そして、真白が晨と同じように、自分のことを『いらない人間』だと思っていることを知った日。


 真白はしばらくして泣き止むと、小さな声で「ごめんなさい」と言った。


 それに対し、晨も「ごめん」と返した。真白がどう思っているかはわからないが、晨の謝罪にはいろんな意味が込められていた。


 強引にキスしてごめん。


 真白の抱えている問題を知る勇気がなくてごめん。


 支える自信がなくてごめん。


 うまく慰められなくてごめん。


 元気になれるような気の利いたことを言ってあげられなくてごめん。


 もっともっと、言葉にできない気持ちも入っている気がする。

 

 しかし、真白はそれから真っ赤な目をして、笑った。


 笑顔を作らせてしまった。


 それが不甲斐なくて落ち込んだが、真白が何事もなかったかのように振舞いたいのなら、合わせるしかないと思ったのだ。


 だから、その後、あの出来事についても、真白の抱える何かについても触れることなく過ごしている。





「晨、晨。早く!」


 二人は海の近くにある大きな公園にやってきた。


 休日は訪れる人も多い、有名な公園だが、平日の今日は比較的空いていて、のんびりと景色を楽しめそうだ。


 真白は晨の手を引いて、満面の笑みを浮かべている。


 本当に嬉しそうで、楽しそうで。まだ何もしていないのに、そんな真白の様子だけで来てよかったと思ったことに、晨は恥ずかしくなって、真白から目を逸らした。


「まずは、どこから行くの? どんな写真を撮りたい? 私、晨が写真を撮ること、初めて知った」


 質問攻めの真白は強引に晨の前に回り込み、下から覗き込んでくる。


 興味津々といった無邪気な真白を邪険に扱うことはできない。


「いろんな風景を撮るよ。ただ綺麗なだけじゃなくて、時間の流れごと閉じ込めるようなものが撮りたい。写真って、一瞬を切り取るって言うけど、俺は時間ごと閉じ込めて、その中で時間が流れているような写真を撮りたい。自然を中心に撮るけど、人工物も撮る。頭の中を空っぽにして、ただ、目の前の風景を盗みに来たんだ」


 晨は少し意地悪そうな笑みを浮かべ、真白のおでこをこつんと突く。


 真白は驚いたように、口を半開きにしているが、パチパチと瞬きをしたと思ったら、頬に朱が差した。


「あ、晨ってさ、時々おかしくなるよね⁉」


「失礼だな」


「いや、悪口じゃなくて……おかしいって言うのはしっくりこないんだけど、私には表現する言葉が出てこないんだもん!」


 真白の頬が膨らんだのを見て、晨は離れていた手を取った。


「さて、行こうか。今日は付き合ってくれるんでしょう?」


「あっ、うん! いっぱい付き合う!」


「それは頼もしいな」


 クスクスと笑う晨の隣で、真白がどんな表情をしていたのか、晨は見るべきだった。


 あのまま嬉しそうにしていると思い込んでいたから、真白の苦しそうな表情を見逃してしまった。




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