第四話

「よっこいしょ」


 そう言って、ついに真白は晨の上にのしかかってきた。


 密着した身体はどこを触っても壊れてしまいそうなほど柔らかく、手の置き場に困ってしまう。


 それどころか、目のやり場にも困る。


 こんなにも至近距離で異性と顔を合わせたことはない。


 どこを見たらいいのかもわからず、視線が彷徨う。


 そんな晨の頬を、さらさらの黒髪がくすぐった。


 顔の横に置かれた白い手が、耳たぶに触れる。


「キス……する?」


 近づく真白の唇から目が離せず、我に返ったのは、真白の吐息が唇を掠めた時だった。


 晨は慌てて、真白の頬を両手で挟んで、動きを止めた。


 呼吸も止まっているし、なんなら心臓もこのまま止まってしまいそうだ。


「いい加減にしろよ!」


 晨はそう吐き捨てるように言うと、真白の身体を抱き寄せ、体勢を入れ替える。


 大きく目を見開いた真白の口から、小さな声が漏れた。


 真白の両手首をベッドに押し付け、晨は眉間にしわを寄せる。


 細くて、今にも折れそうな手首。


 真白の瞳に映る自分は、怒りと不満が爆発しそうな表情を浮かべていた。


 晨が小柄であっても、男は男だ。


 真白よりは大きいし、力もある。


 それを真白はわかっていない。


「本当に、俺が何もできないと思ってる? 俺のこと、男だって忘れた? それとも、俺のことをバカにしてる? 俺のことを揶揄って、そんなに楽しい?」


 晨の下にいる真白の目元にうっすらと涙が浮かぶ。


 晨だって、泣かせたいわけじゃない。


 晨の方が、泣きそうだ。


「真白は危機感がなさすぎる。俺は、いつだって真白に怖い思いをさせることができるんだ!」


「……晨が、私を消してくれたらいいじゃない。こんな私のこと、嫌いでしょ? ほら、今なら首を締められるよ。簡単だよ」


 ついに、真白の目から大粒の涙が零れ落ち、シーツに染みを作った。


 真白の手が晨の頬を覆う。


 ひんやりとした手が、頭に上っていた血を宥めていく。


「殺せって言うくせに、どうしてそんなにも悲しそうな顔をするんだよ……」


「死ねないことが、悲しいから」


「生きることに未練があるから、だよ」


「違う! 未練なんかない! こんな世界に、生きていたって意味がないの。いらない人間は、消えるべきなんだよ!」


「真白は、いらない人間なんかじゃない!」


「じゃあ、誰が必要としてくれるって言うの⁉」


「俺だよ!」


 衝動的だった。


 思考も理性も消え去った晨が取った行動は、真白の唇を奪うことだった。


 ただ、唇と唇を押し付けただけの感情の籠もっていないキスは、何の味もしなかった。


 晨が顔を離すと、真白は声を上げて泣き始め、晨のパジャマを握って引き寄せた。


 その力に抵抗する気力もない晨は、そのまま真白の横に寝転び、そっと背中をさする。


 真白は晨に抱き着き、泣き続けているが、晨にその涙を止める術はない。


 掛けられる言葉も、何一つ出てこなかった。


 真白を必要としている。


 それは勢いに任せた言葉だ。


 だけど、本当に勢いだけの言葉だったのだろうか。


 殺してほしいと願う真白の未練は、生と死、どちらにあるのだろうか。


(本当に要らない人間は、俺の方だ)


 晨は決して口にできない思いを胸に秘め、泣き続ける真白の身体を強く引き寄せ、ぎゅっと抱き締めた。







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