第二話

 寝室問題も解決し、真白のいる日常にも慣れてきた。


 晨にとって、他人のいる時間はもっと苦痛になると思っていたが、我慢できないほどではなかった。


 問題があるとすれば。


「晨って、かわいいよね」


「……は?」


「かわいい!」


「俺はかわいくない。なぜなら、男だから」


 目の前できんぴらごぼうを口に運びながら、満面の笑みを浮かべている真白を、晨はキッと睨みつけた。


 真白は見つけたのだ。晨が嫌いな言葉を。


「泣き黒子ぼくろがいいよね。薄い唇はほんのりピンクで、ブラウンベージュの髪が少し癖毛なのもいい。極めつけは、くっきり二重の大きな目だよね。ねえ、自分をモデルにしないの? 絶対にかわいい女の子のイラストが描けるのに」


 真白は目を閉じると、幸せそうに微笑み、ほうっと息を吐いた。


 晨は呆れたように大きな溜息を吐いて、静かに箸を置く。


「あのさ、もういい加減にしてよ。何回言ったら、わかるの? 俺はかわいくないし、女の子じゃないし、モデルにもしない。何が楽しくて、自分をモデルにしなくちゃいけないんだよ……」


「晨ちゃん」


「ちゃんって呼ぶな!」


 晨の叫びにも、真白は楽しそうに笑うだけで、決して反省した様子は見せない。


 ここ最近、似たような会話を毎日している。


 正直、返事をするのも億劫だ。


 真白がそれ以上、何も言おうとしないことに胸を撫で下ろし、晨は再び箸を手にした。


 一日に一度のやりとり。


 その変な規則性に気付いていた晨は、内心で不思議に思っていた。


 確かに、真白は晨を揶揄って楽しそうにしている。


 しかし、どこかしっくりとこない。


 揶揄うことに目的も何もないと思うけれど、真白は単純なようで、難しいところがある。


 言い換えると、『こじらせている』気がする。


 そんな真白が、単純に晨を怒らせることだけを楽しむだろうか。


「真白」


「ん?」


 食事を終えた真白が箸を置いたのを見て、晨はまっすぐ真白を見据える。


「何がしたいの?」


「晨が食べ終わったら、片付けがしたい」


「そういうことじゃない」


 晨は腕を組んで、真白の目を見つめた。


 そうすると、真白の色白の頬がほんのりとピンクに色づく。


 僅かに速くなった瞬きのたびに、長い睫毛が揺れて、猫のような丸い目を目立たせる。


 真白が晨のことを知り始めたように、晨もまた真白のことを知り始めている。


 真白は、案外恥ずかしがり屋だ。


「晨のこと、くすぐってみたい」


「ダメ」


「晨が爆笑してるところを見てみたいな」


 真白は頬杖をついて、上目遣いで晨に微笑む。


 その姿に、晨の心臓がトクンと反応した。


 意図しない心臓の動きに、晨は膝の上で握り拳に力を込めた。


 心臓を押さえたくなったを堪えたのだ。


 そんなことをしたら、真白に誤解されてしまう。


 いや、この心臓の反応は、晨にとっても誤解でしかない。


 何の意味もない。


 ただ、慣れない異性の姿に驚いただけだ。


「絶対に嫌だから。くすぐったら、怒るよ」


「じゃあ、それもありか……」


 真白の呟きに、晨は訝し気に見つめ返す。


「あり?」


「何でもなーい!」


 真白は晨の反応を待たずに、すっと立ち上がり、食器を重ね始めた。


「ちょっと、真白」


「はいはい、ちょっとごめんなさいねぇ」


 なんとなく食堂のおばちゃんを彷彿とさせる態度で、真白は颯爽とキッチンへ去って行く。


 その後ろ姿を見ながら、晨は髪をくるりといじった。


 何らかの魂胆があるはずなのに、見当がつかない。


 それが、とてももどかしい。


「晨、晨」


 流しから聞こえ始めた水音に重なって、真白が晨を呼ぶ。


 顔を見る前から、真白がにやけているのがわかった。


「なに?」


 予想通りの表情をした真白を観察するように、ジッと見つめる。


「晨のイラスト、好きだよ」


「えっ、あ、うん……」


 唐突な告白に、髪を遊ばせていた指が止まり、目を瞬かせる。


「いつか、大切な人ができたら、その人を描いてね」


 晨はその言葉に、返事ができなかった。


 真白は気付いている。


 晨のイラストには、決して人物が描かれないことを。


 風景、それも幻想的な、どこか非現実的な世界ばかりであることを。


 晨は無言で立ち上がると、窓の方へ吸い寄せられるようにゆっくりと移動した。


 そこから見える景色はごくありふれた世界だ。


 様々な色の屋根が並び、あちらこちらから灯りが漏れている。


 空には一等星が輝き、居待月いまちづきが夜を闇から救い出している。


「いつか……」


 人を描ける日が来るのだろうか。


 大切な人など、できるのだろうか。


 それは、今の晨には想像もできないことだった。


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