第二話
寝室問題も解決し、真白のいる日常にも慣れてきた。
晨にとって、他人のいる時間はもっと苦痛になると思っていたが、我慢できないほどではなかった。
問題があるとすれば。
「晨って、かわいいよね」
「……は?」
「かわいい!」
「俺はかわいくない。なぜなら、男だから」
目の前できんぴらごぼうを口に運びながら、満面の笑みを浮かべている真白を、晨はキッと睨みつけた。
真白は見つけたのだ。晨が嫌いな言葉を。
「泣き
真白は目を閉じると、幸せそうに微笑み、ほうっと息を吐いた。
晨は呆れたように大きな溜息を吐いて、静かに箸を置く。
「あのさ、もういい加減にしてよ。何回言ったら、わかるの? 俺はかわいくないし、女の子じゃないし、モデルにもしない。何が楽しくて、自分をモデルにしなくちゃいけないんだよ……」
「晨ちゃん」
「ちゃんって呼ぶな!」
晨の叫びにも、真白は楽しそうに笑うだけで、決して反省した様子は見せない。
ここ最近、似たような会話を毎日している。
正直、返事をするのも億劫だ。
真白がそれ以上、何も言おうとしないことに胸を撫で下ろし、晨は再び箸を手にした。
一日に一度のやりとり。
その変な規則性に気付いていた晨は、内心で不思議に思っていた。
確かに、真白は晨を揶揄って楽しそうにしている。
しかし、どこかしっくりとこない。
揶揄うことに目的も何もないと思うけれど、真白は単純なようで、難しいところがある。
言い換えると、『こじらせている』気がする。
そんな真白が、単純に晨を怒らせることだけを楽しむだろうか。
「真白」
「ん?」
食事を終えた真白が箸を置いたのを見て、晨はまっすぐ真白を見据える。
「何がしたいの?」
「晨が食べ終わったら、片付けがしたい」
「そういうことじゃない」
晨は腕を組んで、真白の目を見つめた。
そうすると、真白の色白の頬がほんのりとピンクに色づく。
僅かに速くなった瞬きのたびに、長い睫毛が揺れて、猫のような丸い目を目立たせる。
真白が晨のことを知り始めたように、晨もまた真白のことを知り始めている。
真白は、案外恥ずかしがり屋だ。
「晨のこと、くすぐってみたい」
「ダメ」
「晨が爆笑してるところを見てみたいな」
真白は頬杖をついて、上目遣いで晨に微笑む。
その姿に、晨の心臓がトクンと反応した。
意図しない心臓の動きに、晨は膝の上で握り拳に力を込めた。
心臓を押さえたくなったを堪えたのだ。
そんなことをしたら、真白に誤解されてしまう。
いや、この心臓の反応は、晨にとっても誤解でしかない。
何の意味もない。
ただ、慣れない異性の姿に驚いただけだ。
「絶対に嫌だから。くすぐったら、怒るよ」
「じゃあ、それもありか……」
真白の呟きに、晨は訝し気に見つめ返す。
「あり?」
「何でもなーい!」
真白は晨の反応を待たずに、すっと立ち上がり、食器を重ね始めた。
「ちょっと、真白」
「はいはい、ちょっとごめんなさいねぇ」
なんとなく食堂のおばちゃんを彷彿とさせる態度で、真白は颯爽とキッチンへ去って行く。
その後ろ姿を見ながら、晨は髪をくるりといじった。
何らかの魂胆があるはずなのに、見当がつかない。
それが、とてももどかしい。
「晨、晨」
流しから聞こえ始めた水音に重なって、真白が晨を呼ぶ。
顔を見る前から、真白がにやけているのがわかった。
「なに?」
予想通りの表情をした真白を観察するように、ジッと見つめる。
「晨のイラスト、好きだよ」
「えっ、あ、うん……」
唐突な告白に、髪を遊ばせていた指が止まり、目を瞬かせる。
「いつか、大切な人ができたら、その人を描いてね」
晨はその言葉に、返事ができなかった。
真白は気付いている。
晨のイラストには、決して人物が描かれないことを。
風景、それも幻想的な、どこか非現実的な世界ばかりであることを。
晨は無言で立ち上がると、窓の方へ吸い寄せられるようにゆっくりと移動した。
そこから見える景色はごくありふれた世界だ。
様々な色の屋根が並び、あちらこちらから灯りが漏れている。
空には一等星が輝き、
「いつか……」
人を描ける日が来るのだろうか。
大切な人など、できるのだろうか。
それは、今の晨には想像もできないことだった。
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