二  泡沫《うたかた》

第一話

「蜃気楼のように、空に幻が浮かび上がる。その幻の下に、本当にそれは存在するのか。それともその幻は、俺の創り出した幻影の上に成り立っているのか……脳なのか、心なのか……」


 晨の呟きに、真白がぷっと吹き出す。


「今度は何の話?」


 ソファーに座り、窓の外をぼんやり眺めていた晨は、上から覗き込んできた真白に焦点を合わせて、ふむと考え込んだ。


「蜃気楼は温度差や気候の影響を受けて、現実にあるものが別のところに浮かんだように現れること。それは知ってる?」


「まあ、なんとなく」


 真白は軽く頷きながら、晨の隣に腰を下ろす。


 晨が、前触れもなく変なことを言い出すのはよくあることだ。


 真白はそれ自体には慣れたが、言っていることを一度で理解するのは難しい。


「でも、蜃気楼は幻なんだ。つまり錯覚。そこには存在しないものが存在しているように見える。でも、見えているものが、本当に存在しているかなんて、わからない。


 だったら、その幻は自分が創り出しているのかもしれない。でも、それがどっちかわからないということは、自覚のないまま創り出しているということでしょう?


 そうだとしたら、それは潜在意識の表れということになる」


「待って待って。晨、難しいって。どこから来た発想で、どこに向かおうとしてるの?」


 晨は、真剣な表情で真白をまっすぐ見つめている。


 こういう時の晨は決してふざけているわけではないし、おかしくなったわけでもない。


 それどころか、いつものふわふわした雰囲気からは想像できないような、キリッとした空気をはらむ。


 真白がそんな晨をどう見ているかはわからない。


 でも、こうして正面から向き合ってくれる。


 それは晨にとって、とても懐かしい感覚だった。


 晨の独り言に真面目に耳を傾けてくれたのは、これまでにたった一人しかいなかった。


 そういう存在は、もう現れないと思っていたから、真白が耳を傾けてくれた時は不思議な感じがした。


「真白は変わってる」


 晨の言葉に、真白は吹き出した。


「晨に言われたくないよ」


「心外だな」


「それで? 蜃気楼と幻はイラストに関係してるの?」


 晨は腕を組むと、長い人差し指で唇に触れて、窓の外へ視線を移した。


「空を、描きたい」


「うん」


「でも、青空でも夕暮れでもない。月も星も出ていないし、太陽もない。そんな空はどんな色をして、何が浮かんでるのかな」


 隣の真白も腕を組んだのが視界の端で見えた。考えようとしてくれる。こんなにも抽象的なことなのに。


「その空を見ている人は、存在するの?」


「ああ、なるほど」


 晨はそう呟くと、ふらりと立ち上がり、仕事部屋へ向かった。


 その姿を見て、真白が微笑んだことに気付かず、晨の意識はすでにイラストに向かっている。


 いつの間にか、そんな光景がよく見られるようになっていた。


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