第四話
「へぇ。結構、綺麗にしてるんだ」
リビングのラグの上に足を伸ばして座る真白が、物珍しそうに部屋を見回す。
「普通だよ。一人暮らしだから、物が少ないだけ。このリビングとダイニングキッチン、向こうに一部屋あるだけの狭い家だけど、いい?」
「いいって?」
「だから、少しの間だけなら、ここに居ていいから。この家で我慢できるかってこと」
「えっ、いいの?」
その瞬間の真白の表情に、晨の心は持っていかれた。
パッと何かが弾けるような、でも、どことなく不安げな、とても複雑そうな表情。
そもそも『殺してくれ』と言って回る時点で、複雑な事情があるのかもしれない。
どこまで本気かはわからないが、連れてきてしまった以上、何も聞かないわけにはいかないだろう。
晨は、揺れる視線で見つめてくる真白の向かいに座った。
「あのまま放っておいたら、また危ないことをするよね?」
晨をジッと見ていた真白の視線が、わかりやすく泳ぐ。
「放っておいてもいいのに……」
「どうして、あんなことをしてたの?」
真白は長い髪を指で遊ばせ、わざとらしく何かを歌い出す。
誤魔化すのは下手らしい。
「俺は真面目に聞いてるんだけど」
「内緒! この話は終わり! それ以上聞くなら、私は出て行く」
本当に面倒だ。
面倒でしかない。
それなのに、晨には深く追求する勇気がなかった。
真白の荷物はほとんどなかった。
着替えが数着と古くなった財布と通帳。
駅のコインロッカーに入れてあった鞄には最低限、いや、最低限にも及ばないようなものしか入っていなかった。
そこから、真白の状況は思ったよりも深刻な印象を受けた。
「わかったよ……とにかく、住むところと仕事が見つかるまでだから。その二つを真面目に探すこと。約束できる?」
晨の言葉を聞いた真白から、スッと表情が抜けた。
無言で、何を考えているのかわからない様子に、晨は
失言だったのか。
それとも、嫌な思いをさせたのか。
よく考えたら、女の子が男の部屋に住むのは抵抗があるかもしれない。
とにかく、何か言わなくては。
晨の中で、様々な考えが交錯する。
長く人を遠ざけてきたせいで、関わり方を忘れてしまった。
「あの、ごめ――」
「どうせ、捨てるくせに」
「え?」
小声だったせいではっきりと聞き取れなかった言葉は、聞き逃してはいけない気がした。
漠然とした不安を抱いた晨だったが、すぐに真白の声が晨の不明瞭な思考をかき消してしまった。
「よろしくね、晨!」
真白の表情が明るくなり、声も元気なものへ戻ったことで、晨は聞きたいことを呑みこまされてしまった。
晨は自分の気持ちを切り替えるように、ふわふわした髪を耳にかけ、大きく息を吐いた。
「じゃあ、家の中を説明して、簡単なルールを決めよう」
「うん! ルールその一、真白のことは真白と呼ぶこと」
「いきなり無意味なルールが出てきた」
「え、大事だよ? 一緒に暮らすのに『麻生さん』って呼ばれるのは疲れる」
「……わかった」
「その二、真白を殺して!」
晨の身体から力が抜ける。
幸い、座っていたお蔭で崩れ落ちることはなかったが、立っていたら危なかったかもしれない。
「絶対に殺さないから」
「絶対、殺されるようにがんばる!」
「……がんばるところ、違うよね?」
晨の言葉に、真白は楽しそうに笑う。
屈託のない笑顔には悩みの欠片も見つけられない。
晨が口を開きかけた瞬間、真白が勢いよく立ち上がって、スタスタと迷いなく歩き、仕事部屋兼寝室のドアを開けた。
確かに部屋は一つしかないから、迷いようはないけれど、他人の家に初めて来て取る行動としては、突拍子もない。
「ここが、二人の愛の巣!」
「違うでしょう⁉」
晨は慌てて駆け寄り、ドアを閉めた。
とんでもないことばかり言う真白には、確実に手を焼く。
振り回される毎日を想像して、静かな日常が壊れる音がした。
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