第64話62 魔女と国境の街 4

 翌朝。

 ザザは朝早くから起き出した。

 男たちの部屋は隣だが、ギディオンが昨夜帰って来ていないことには気がついていた。

 悪い風が体に入らないようにする予防薬は、昨夜、宿の台所を借りて一晩中煮詰めて作った。鍋の中にはどろっとした薬液が出来上がっている。

 その横には宿の主婦から分けてもらった麻布に、薬液を浸して作った即席の口覆いもある。これを口元に巻いておけば、ある程度安心なはずだった。

 しかし、ザザの手元の薬草はもう底をついていた。早く補充しなくてはいけない。


 風除けのニガリハコベはそんなに珍しい草じゃないから、城壁の外に出ればきっとすぐに見つかる。この季節だから乾燥しているだろうし、煎じ薬にしやすいわ。

 あとは、眠りの質を良くするリキュウバの葉っぱか。ハンザシの実でもいいな。だけど、これは少し山の近くに行かないと見つからないかも。


 ザザは学問所の教え子アロイスからもらった地図を確認し、街をどう通り抜けたら最短で東の門から出られるか調べた。

 それから支度を整えて下に降りて行くと、驚いたことに身支度を整えたフリューゲルが待ち構えている。宿屋の者はさすがにもう立ち働いているが、客でこんなに朝早い者はいない。

「フリューゲルさま」

「全く確かにギディオンさまのおっしゃるとおり、油断も隙もありませんね」

「いえ、私は昨日の煎じ薬の様子を確かめに来ただけです」

 ザザは澄まして言った。

「はいはい」

「……ギディオンさまは昨夜お戻りにならなかったのですね」

「はい。この分では昼過ぎになられるかも……って、ザザさん、ご存知なのですね」

「そうだろうなと思っていただけです」

 ギディオンは昨夜遅く、市長と話をすると言って宿を出た。

 当初の目的であるチャンドラへの偵察と、現状の眠り病の対策を立てるのは、短時間ではできないだろう。事態は考えていたより深刻な者だったのだ。

「なかなか勘がいいですね。でも俺だって褒めてくださいよ。ほら」

 そう言ってフリューゲルが見せたのは、布に包んだ朝ごはんだった。

「もう行くつもりなのでしょう?」

「実はそうです。できるだけたくさん薬草を採取したいですから」

「では、行きましょう」


 東の城門はさすがに厳しい見張りが立っていたが、フリューゲルが王都の通行証と身分証を見せると、存外すぐに開けてくれた。ただし、大きな門ではなく、脇の入り口のそのまた小さな潜り戸だったが。

「山がこんなに近くに見えるのですね。あの向こうにチャンドラ国があるのですか?」

 ザザは歩きながら朝ご飯のパンを頬張っている。

「ええ、そうです。大きな渓谷を抜けて、五日ほど行ったところだそうです。ここからほんの三ファンサールキロいけば谷の入り口ですから、あまりそちらには行かないように。さぁ、まず何を採るんですか? 教えてくだされば手伝います」

 フリューゲルは背中に背負った大きな背負子しょいこを揺すった。彼は騎士の服ではなく、街の若者の姿である。

「まずはニガリハコベ。これは悪い風を防ぐ草です。どこにでもありすぎて、魔女以外には薬草だとも思われてないものです。大きな草の根本に固まって生えていることが多くて……あ、これです」

「ああ、本当によく見かける草だ。今まで気にしたこともなかったな。あれ? 案外いい香りがしますね」

「はい。その香りが悪い風を防ぐのですよ。もちろん万全ではないです。ある程度ってことです。もし東風が吹けば、フリューゲルさんもこの布を巻いてくださいね」

 ザザは細長い麻布を渡して言った。

「ギディオンさまたちの分は宿に預けてあります。これから街の方々に配る分を採るので、たくさん摘んでください」

「よしきた」

 二人は昼近くまでニガリハコベを摘み、朝ご飯の残りを食べながら少し休憩すると、ザザは少し山の方へ行くと言いだした。

「山は危険です。二人とも屈んで薬草を積むわけには行かないかもしれません。一人は周囲を警戒しないと」

「私が摘むので大丈夫です。それに今日は東風は吹きません」

「ザザさんには敵わないな。後で閣下に叱られたら言い訳してくださいよ」

「ええ。お任せを」

「でも少しでも異常を感じたらすぐに引き返しますからね」

「気をつけます」

 二人は平原を流れる川沿いに山の方へと進んだ。


  日暮れ間近になって、二人は背負子二杯の薬草をもって東門まで戻ってきた。

 門のところでは馬に乗ったギディオンがいて、二人を見ると血相を変えて駆け寄って来る。

「こんな遅くまで何をしてた! 心配したじゃないか」

 どうやらザザ達を心配して捜索に出るところだったらしい。しかし、二人の背負った背負子を見てそれ以上叱るのは堪えたようだ。

「薬草を取ってきたのか」

「はい。冬場で草が乾いているから、嵩が低くて助かりました。これからすぐに煎じます」

「その前に飯にしなさい。腹が減ったろう」

 ギディオンはザザの背負子を外してやる。

「うわ! もう俺腹ペコで倒れそうなんですよ。ザザさんちっとも休ませてくれないから」

「フリューゲルさんはとても働いてくれました」

「ザザの作った薬はとても効いたようだ」

 宿に戻る道すがら、ギディオンは今日の出来事を話して聞かせた。

 ザザが近所に配ったリキュウバの香りで、患者は悪夢に苦しむことが減った。いまだに眠り続けてはいるが、ザザの助言で水や、栄養のあるスープを含ませられて、少し楽になったようだ。

「市長はいたく喜んでおられた。明日からは体力のある市民で、薬草を採取することにしたそうだ」

「ニガリハコベなら城壁から近いところに生えています。でもリキュウバの葉は、やや山に入りますので」

「ではそれは、俺たち兵士で探すことにしよう。そうすればザザの負担も減る。お前はもう外には出ずに、薬を作ることに専念しなさい」

「煎じるのは誰でもできますからね。でも、葉っぱは間違いやすいのもあって、うっかり毒草を積んだら大変ですし。私はやはり行きます」

「そんなものこそ、見本があれば大丈夫だろう?」

「薬草採取を舐めないでください。それに、もっと貴重な薬が見つかるかもしれませんし」

 二人は食堂で夕飯を食べ始めてからも言い合いを続けていた。

 宿の大きな厨房では今日摘んできた薬草が独特の匂いを発しながら煮詰まっている。しかし誰も文句を言う者はいなかった。

「なかなかいい雰囲気ではないですか、あの二人」

 デルスがフリューゲルに耳打ちする。

「ああ。こんな時局ながら、なんとなくほのぼのするな。しかし、ギディオン様もうまい方法を考えられたものだ」

「確かに。薬草取りの市民に扮すれば、敵の斥候にも怪しまれずに山中の探索ができます。少なくともしばらくは」

「どうやら、このたびの眠り病も敵の仕業という噂だしな。いったいどんな手を使ったんだか」

「ザザさんはその手段についても何か知っているようですね」

「あの子はいったい何者なんだろう?」

「あまり詮索すると閣下に睨まれますよ。とにかく我々は言われたことをするのみです」


 その夜できた薬は翌朝すぐに市民に配られ、フリューゲルの指揮で志願した市民や、兵士による薬草採取の班が編成さた。

 そして、その日から二日間は大々的に採集が行われた。ザザが煮だし方を教えたので、大きな厨房のある宿や役所でどんどん風除けの薬液が作られ、市民に配られていった。

 外に出る市民は薬をしみこませた布で口と鼻の周りを覆い、風向計の凧をあちこちに立てて誰もが用心をするようになっていた。

 一方、市民の格好をさせた兵士による、採集も兼ねた偵察は密かに行われていた。

 ザザがギディオンに次の攻撃、つまり呪いを含ませた風が吹くまでにもう猶予がないと伝えたのだ。

「魔女の呪いを練りこんだ大きな風を吹かせるには、どんな大魔女でも相当な体力を必要とします。でもこの前風が吹いてから数日経っていますから、もうそろそろの者の準備が整う頃です」

「そうか。いよいよだな、ザザは……」

「もうあきらめてください。私は大丈夫です」

 ザザはその主にきっぱりと言った。


 翌日、ザザとフリューゲルはいつものように山に入った。今日はデルスも一緒だ。

 ギディオンは来られない。街の防衛戦術を市長と街の警備隊長と検討するためだ。

 何度も行くなと止められたが、ザザは薬草採りは今日までだと約束して彼を説き伏せた。

 半日はふもとで活動していたが、昼を大きく過ぎてから、ザザは谷の入り口付近で偶然見つけた細いけもの道を上っていた。そこはまだ通ったことのない道で、冬だというのに灌木や深い藪が茂り、昼間でも薄暗いところだったのだ。


 ここは普通ならわからない道だ。上に行っても何もないし、見つけても通ろうという気はしない。珍しい薬草があるかもだけど……


 かなり分け入ったところで、ザザはすぐ後ろの二人を振り返り、唇に指をあてた。気配を消すようにという合図だ。

「ザザさん、どうされました?」

「人の気配がします。できるだけ身を伏せてください」

 フリューゲルは何も言わずにザザに従った。

 けもの道の崖下に風穴が開いているのを見つけたザザは、フリューゲルとデルスを促して入り込み、入り口を藪で隠す。

 狭い穴の中でぎゅうぎゅう詰めだが、間もなくけもの道を踏みしめる音が聞こえ、三人はさらに息をひそめた。

 数人の男が通り過ぎていく。

「二三日前から、山に街の連中が入り込んでいるぜ。兵士かな?」

「ああ、だが索敵というより、なにかを収穫している風だった。山菜取りかな?」

「だとしたらお気楽なことだな。もうじき皆殺しになるとも知らないで」

「ああ。三年前の復讐だ」

「街の連中の病はどんな様子だろう?」

遠目とおめによると、すでに数百人が眠っているらしい。ただし数日前の情報だ。今頃はもっと増えていることだろうさ」

「俺は隊長達の話を偶然聞いたんだが、今、あの方は休息中らしいな」

「それだけ消耗する大魔法っていうわけか。けど今夜また……」

「ああ。今夜再び、呪いの風を起こされる」

「ははは! 街の奴ら、これでほとんどの人間がやられるな。眠り病が蔓延まんえんすりゃ戦意だってなくなるだろう。俺たちは戦わずしてアントリュースを占領できる。長いこと川を占領してやがってたパージェスの気取り屋どもが震えだすぞ」

「はははははは。そうだな。楽な戦だ。こうして山の中を見張っていればいい。三日後には我が軍が到着する。そうすりゃ一気に攻め込めるな」

「腕が鳴るぜ。心ゆくまで掠奪してやる」


 男たちが通り過ぎた後、フリューゲルはぎりぎりと奥歯をかみしめた。握った拳が震えている。

 穴を飛び出して彼らを切り捨てるのをよほど我慢していたのだろう。唇の端も切れて血がにじんでいた。

「おのれ! チャンドラの奴らめ! よくも……」

「奴らは斥候なのだろう。明後日には攻め入ってくると言っていたな。しかし、この谷間じゃあ……戦列は伸びてしまうだろうに、余程俺たちを舐めてやがるんだな」

 年上のデルスの方がやや落ち着いている。

 ザザはどちらにも答えなかった。


 今夜、と彼らは言っていた。

 今夜この場所に、大魔女スーリカがやってくる。


 ザザの気持ちは決まっていた。



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