第65話63 魔女と国境の街 5

「デルスさまは、このことをギディオンさまに伝えてくれますか?」

 ザザは、怒りで顔を歪めているデルスを振り向いて言った。

「無論です。ですが、ザザさんはどうするんですか? むしろ、私が残ってザザさんが伝令に行く方が、適切だと思いますが」

「そうですよ。俺とデルスが残ります」

「いいえ。私は残ります。私はを探さないとなりません」

「確かに、奴らはそう言っていましたね。ザザさんは、あの方と言われる人物に見当がつくのですか?」

「はい」

「奴ら魔法という言葉を使っていました。それはどういう意味ですか?」

 デルスも不思議そうにしている。

「アントリュースに流行る病は魔女が風に呪いを混ぜて起こしていたのです。でも今は詳しくお話ししている時間はありません。デルスさま、ギディオンさまにはどうか聞いたままを伝えてください」

「……しかし」

「ギディオンさまに言えば、必ずわかってくださいます。さぁ、早くしないと日が暮れます!」

「わ、わかりました! 行きます!」

 デルスはまだよく事態を飲み込めないままに頷いた。

「ですが、絶対に無茶なことはなさらないでください。フリューゲル殿、ザザさんを頼みましたぞ!」

「わかった!」

「すぐにギディオンさまを連れて戻ります!」

「お気をつけて!」

 デルスは人気のなくなった獣道を飛ぶように駆けて行った。

  この分では一時2じかんと経たないうちに戻ってくるだろう。彼の姿が見えなくなると、ザザはすぐに根本の穴を抜け出した。

「ザザさん、どちらへ?」

「上に」

 無茶をしないといった舌の根も乾かぬ内に、ザザは道ともいえなない斜面を登りだした。

「上? どういうことですか? 何をするのです」

 ザザはもう答えず、せっせと黒い服を汚しながら登っている。もう少し谷を進めば背後から楽に登れる道はあるのだろが、ザザはあえてそうしなかった。楽な道は見つかる可能性も高いからだ。

 フリューゲルも何を聞いても無駄だと知って黙ってあとをついてきた。

 そうしている間にもどんどん日は暮れていく。

 手掛かりになる木の根や出っ張った石は、ますます見えにくくなり、上りは困難を極めた。そしてとっぷり日が暮れたころ、ザザはようやく街を見下ろせる小高い所に出ることができた。

「きっとここだ」

 ザザは用心しながら足場のぎりぎりのところに進むと、はいつくばって地面を調べだした。そしてすぐに気が付いた。


 やっぱり大きな魔力の痕跡がある。ここでスーリカは風を起こして呪いを混ぜたんだ。


 山の麓は荒野も、街道も闇の中に沈んでいる。少し離れたところにアントリュースの城壁が黒々と横たわっているが、街の中はまだ明るかった。

 魔女は静かに世界を見下ろしていた。風は強くはないが、空気は刺すように冷たい。

「ザザさん。もうこうなったら俺にも教えてください」

 我慢できなくなったフリューゲルがザザのそばに膝をついた。

「さっきからあなたの行動は普通じゃありません。こんなところまで来たら、さすがのギディオン様でもなかなか見つけられませんよ。あなたの目的は何なのです?」

「フュルーゲルさまも、戻ってギディオンさまに合流してください。そしてこの場所を伝えて」

「何を言ってるんですか! 俺はあなたを守るためにここにいるのです」

「あなたには守れない、と思います」

「なんですって!?」

「静かに。もうすぐここにやってくるのは魔女です」

「魔女!? 魔女だって! まだ実在してたんですか!?」

 信じられない様子でフリューゲルは頭を振る。

「はい」

「さっきあいつらが魔法と言ってたのは、そう言うことだったのですか? 俺はてっきり何かの比喩だと……」

「魔法です」

「悪い魔女が東風を起こして、街に病をばらまいていたと」

「そういうことです」

「……あ、あなたは」

 屈強な若者が息を飲んでザザを見た。

「あなたはいったい何者です」

「魔女です。わたしは魔女のザザ」

「ま……じょ?」

 フリューゲルはごくりとつばを飲み込んだ。

「はい。だからへいきです。ここで魔女を待ちます」

「このこと、ギディオン様は……知って?」

「ええ、最初からご存知です。わたしは魔女として、あの方のお役に立つために傍にいます」

 ザザは自信をもって最初の誓いを述べた。

「で、ですが、これからやってくる魔女は悪いやつなのでしょう? というか、悪くない魔女なんて聞いたことがないですが」

「そうですか?」

 ザザは油断なく、気配を探りながら言った。

「……ひょっとしてあなたは……その魔女と戦おうと思っていらっしゃる?」

「思っています」

「……」

 フリューゲルは再度絶句した。

 月明りで見ても、彼の前に立つ娘がちっぽけで頼りないということは見て取れた。

 彼のおぼつかない知識を総動員しても、歴史の裏で暗躍した邪悪な存在と、目の前の娘が結びつかない。

「たぶんあの月が中天に登ったら……現れる……」

 ザザは空にかかる月を見上げて言った。

「だからフリューゲルさまは山を下りてください。そして、魔女が現れる場所を確認したことをギディオン様に伝えてください。そう言えばあの方にはわかります。灯りはお持ちですね? なるべく炎を小さくして足元だけ照らすようにしてください」

「いえ、私もここに……」

「いても、していただくことがないですから。伝令の方が大切です」

「ですが……あなた大丈夫ですか? 相手は大風を起こして、街全体に影響を起こせるような悪い魔女ですよ?」

「私だって魔女です。魔女には魔女のやり方があります!」

 ザザは薄い胸を張った。

「とにかく今夜、悪い風を吹かせることだけは止めようと思うのです」

「……しかし」

「大丈夫ですったら! いざとなれば逃げだします。さぁ、行って!」

 フリューゲルにはこの娘に、そんな大それたことができるとはとても思えなかった。

しかし、魔女という未知の存在に自分がどう対処できるかもわからなかったので、この場にいても仕方がないと思い直し、後ろ髪を引かれながらも「では」と一礼して、後ろの藪に飛び込んでいった。


「さて、まだ少し時間があるな」

 静かになった高台でザザも、近くの灌木の下に潜りこんだ。冬場でもよくしげる種類で、自分と自分の気配を隠すにはもってこいの場所だ。


 最後まで、できることをしよう。

 今は心を落ち着けて、感覚を研ぎ澄ますこと。

 いざという時のために、最大限の集中を引き出すこと。


 ザザはたすき掛けにした小さな鞄の中に手を突っ込んだ。そこに母の残した帳面がある。自分の名前を教えられてから肌身離さず身に着けているものだ。

 月が昇っていく。

 満月を過ぎ、細くなった月は猫の目のようにも、邪悪な爪痕にも見えた。

 静かな夜だった。


 そして──。

 ふいに大気が揺らめいた。

 藪がざわめきだし、ぴしりぴしりと何かを弾くように枝が鳴る。

 ザザからわずか十サールメートルも離れていないところの闇が割れる。

「ほう……? これは珍しや。我が同朋の匂いがする」

 洞穴から吹いてくる冷たい風のような声がした。

 気配をひそめるザザの前で、闇よりも濃い影が人の形をとり、青白い顔の女の姿となった。


 伝説の大魔女、スーリカだった。



   *****


この章終わりです。

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