第58話56 魔女と霜降の節 4

「レストレイ殿下、この娘に無体な真似はなさらないというお約束でしたな!」

 ギディオンの声は荒い。

「してないよ」

「今、胸に抱いていたではないか!」

 完全に堪忍袋の緒を切らしている。

「だってその子、酔っ払って転けそうだったから、支えてあげてたのさ」

「え⁉︎ 酔って?」

 驚いたギディオンは片腕に閉じ込めた魔女を覗き込む。その頬は火照ほてり、瞳がうるんでいた。

「ザザ!」

「あ、あの?」

 ザザはやっと己の主を認識する事ができた。同時に彼の背後から心配そうに顔を覗かせているフェリアにも気がついた。

「まさしく酔っているな? なにを飲まされた!」

「……どう、どうしてギディオンさまがここに?」

 主人が怒っている理由がさっぱりわからない、ザザはとろんとした瞳でギディオンを見上げる。わずかに彼が怯んだように見えるのは気のせいではないだろう。

「そうだよ。ちょっと君、失敬だよ。人聞きの悪い。酒を一気飲みしたのも、それで転びかけたのもこの子だよ」

 王太子はしゃあしゃあと言ってのけた。

「それは口当たりが良いだけの結構強い酒ですな」

 ギディオンは卓に置かれた酒の小瓶を睨みつける。

「無理に飲ませないまでも、この子が間違って飲むように仕向けたでしょう?」

「君、主君に向かって不敬だぞ」

 不本意そうにレストレイは口をへの字に曲げたが、フェリアが割り込んだ。

「お兄様、ザザにお酒を飲ませるなんて酷いわ!」

「うわぁ、妹にまで疑われた。確かに注いだのは私だけど、これは一般に女性が好むお酒だよ。フェリアだって時々飲んでるじゃないか。まぁ、この子がこんなに弱いとは思わなかったけど」

「ザザは普段酒など飲みつけません。本当に大丈夫か、ザザ」

「……はい」

 ザザは居たたまれない思いで小さく首肯しゅこうした。

「からかってはダメよ、お兄様。いつものお遊びのお相手とは違うの。この子はとても真面目なのだから」

「それは否定しないよ。このお嬢さんはには迷いがない。こんなに可愛いのに強くて素直だ。そこのボンクラ男にも見習って欲しいところだよ」

「ボンクラ男? もしギディのことをおっしゃっているのなら撤回していただきたいわ。だって、ギディは私の恋人なのだから」

「殿下! めったなことを申されませぬよう」

 ギディオンが嗜める。その声には、わずかに苛立ちが混じっているようだった。

「ギディは遠慮しすぎよ。ついさっき、ダンスの時に私と二曲も続けて踊ってくれたじゃない。あれってもうそういうことよね?」

「あれは……しかし」

「へぇ、ギディオンはお前を恋人にすると言ったのかい?」

 レストレイが妹に切り込む。

「それは……そうは言ってはないけど、霜降の夜会で私と踊ってくれたのだから。それはもう恋人……つまり婚約者であると皆が思ったのではない? もちろん何も正式に決まってないけれど」

「お前の婚約はお前が決めることではない。知っているだろう? フェリア?」

「もちろんわかっているわ、だからお父様とお母様にお願いしているのよ」

 兄妹の言い合いにギディオンが気を取られている間に、ザザはそっと彼の腕の拘束から抜け出そうとする。フェリアの前でギディオンにすがっているような姿は見せられない。

 それに気がついたギディオンがそっと顔を寄せる。

「ザザ、本当に大丈夫なのか? 何かされてないか?」

「だいじょうぶです、それよりギディオンさまは、なぜこちらに?」

 ザザは真っ赤になっているのは、酒のせいだと言い聞かせながら身を捩り、彼の腕から逃れ出た。

「夜会の最初に一度見かけたきり、姿が見えなくなったから心配になってきたんだ」

「私もそうよ!」

 兄との言い合いで、形勢が悪くなってきたフェリアがザザを振り返る。

「ザザ、そのドレス似合うわ! 大急ぎで選んだからちょっと心配したけれど、予想以上よ。素敵!」

「あ、ありがとうございます」

 ザザは恐る恐るギディオンを見上げた。彼の目はザザに注がれているが、口から漏れた言葉はそっけない。

「……無防備にすぎる。そんな薄物ではまた風邪をひくぞ」

「ご、ごめんなさい」

「ギディオンそれがご婦人に向かってかける言葉かい?」

 レストレイが呆れて天を仰いだ。

「そうよギディ。ここだけはお兄様のいう通りよ。こんなに可愛いのに、ちゃんと言ってあげなくちゃ。ザザ、広間に戻ってダンスでもしない? お兄様のリードはとても上手よ。ギディも、もう一度一緒に踊りましょう? とっても楽しかったんだもの」

「フェリア、人の話を聞いていなかったね。君の方が叱られて然るべきべきだ」

 レストレイが話を元に戻す。

「だって……知らない人たちに挨拶を受けるのに飽き飽きしちゃって……中には話の長い人もいるし。お兄様こそ、マーティを送りに行ったと思ったら、こんなところでザザと逢引きなんて!」

「私はもう大人だからね。マーティと結婚する気満々だし。だけど、まだ正式に婚約が決まっていないお前の行動は軽率だよ。どうせお前がギディオンにわがままを言ったのだろうが、すぐに広間に戻りなさい。私ももう行くから。今頃は宴もたけなわのはずだ。噂になる前にごまかせるだろう」

「あと少しぐらい平気よ。それに噂になったってかまわないわ。だって、私だってギディのお嫁さんになるんだから!」

 フェリアはそう言って、ギディオンの左腕にしがみついた。痛めている方の腕なので、ザザははらはらしたが、ギディオンは無礼にならぬようにそっと腕を抜く。

「フェリア殿下。殿下の言うとおり、少々ご軽率です」

「ここにはお兄様とザザしかいないわ」

「それでもです。それに私は……」

「私のこと好きだって言ってくれたわ。そうでしょう? ね?」

 フェリアは強引にギディオンを遮った。

「フェリア殿下……」

「可愛いフェリア、それは主君の娘として敬愛するという意味なのだよ。いい加減にわがままはおし」

「わがままなんかじゃないわ! お母さまだって私を遠くへやりたくないから、この国の殿方の中から選んでいいっておっしゃってくれたし」

「正式には何も決まっていない。父上にはまだお考えがある」

「お考えだなんて! 私はお父様のコマじゃないのよ! お兄様は私が遠くにお嫁に行ってもいいの? ギディがお婿さんだったら悪いの?」

「フェリア」

「いやよ! わたしはずっとギディが好きだったのよ。今更外国になんか行けないわ!」

「セイラムのヘザーはいい男だよ」

「知らない! 二回しか会ったことない人に嫁ぎたくなんかないわ。私はお兄様に首ったけの、あのチビのマーティとは違うのよ!」

「王族の婚儀は国を守るために行う。日々の暮らしに困窮することがない分、それが私たちの義務であり、仕事なのだ」

 レストレイの口調は穏やかだが、有無を言わせない響きをはらんでいた。

「でも、お二人は……あい……愛し合っておられるのでしょう?」

 口をはさんだのはザザである。

 ザザは足を踏ん張り、両手を固く握ってギディオンを見上げた。

「……ならばご、ご夫婦になられるのが……正しいことだと思います。そう、そうですとも! 王様にお頼みして……今! 今すぐにでも、ごけっこん、するべきです」

「そう、そうよね! その通りだわ! ありがとうザザ」

 フェリアが顔を輝かせてザザに駆け寄った。ギディオンは呆然と自分の魔女を見ている。

「……ザザ」

「わたしがお役に立つのなら……な、んでも、言ってください! あるじさまお二人のために尽力いたします!」

「ザザ? 君は本気でそう思っているのかい?」

「もちろん、思っていますとも!」

 なぜかザザは弾かれたように二人に背を向け、今度はレストレイに向き合った。

「ギディオンがフェリアを愛していると思っているの?」

「そ、そうです! ギディオンさまは森でフェリア様を助けられ、悪い人達からも命がけで守られました。フェリアさまをいつも優しく見つめて、気にかけておられます。それが愛でしょう?」

「そうか。君の中の愛とはそんなものなんだね?」

「そ、そうです。ちがうのですか?」

「ちがわない。それも愛の形の一つだ。そして愛は身を引くものでもあり、独占するものでもある。君はギディオンをあるじと呼ぶよね?」

「は、はい。ま……わたしにとって、あるじさまは絶対です。それがわたしなのです。ギディオンさまはわたしのあるじです」

 フェリアの前で魔女とは名乗れないが、ザザは主という言葉が自分を守る砦でもあるかのように繰り返した。

「あるじ……ギディオンさまが、愛している方と幸せになってほしいのです!」

「じゃあね、聞くんだけど、どうして君はそんな風に涙を流しているの?」

「え?」

 ザザは黒い目を見開いた。

「その気持ちはとても健気だと思うんだけどね。でも僕はそれほど親切じゃないから。ギディオン?」

「……」

「ギディオン!」

 レストレイは、ザザの背中を見つめているギディオンに、珍しく声を高めた。

「はい」

「いいかい、君」

 レストレイはザザを押し除けて、ギディオンの肩を掴んだ。

「ザザのことは心配するな。ちょっとからかってしまったけれど、彼女にはなんの落ち度もない。それより君だ」

 白手はくしゅをした長い人差し指が、真っ直ぐにギディオンに向けられる。

「今までは私も面白がっていたけれどね。ここからは冗談ではすまされない。私は女の子が泣くのには耐えられないんだ。嘘の涙なら今まで散々見てきたけれど、今まで見た中で一番綺麗な真珠を見てしまったからね。だから」

「殿下」

 ギディオンはこの温室に来てから初めて真っ直ぐに王太子を見つめた。

「ふん、わかったみたいだね。さぁ次は君のターンだ。私はもう口は出さない。しかしフェリアは私の可愛い妹だからな。くれぐれもその点だけは忘れるなよ。さぁ、ザザ」

「え?」

「あとはこの男がやる。君は私の後ろで隠れていなさい」

 そう言ってレストレイは、自分の背後にそっとザザをかくまった。



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