第57話55 魔女と霜降の節 3

「……広い」

 ザザは広大な庭の片隅に立っていた。

 レストレイは南の小温室と言う場所を指定したが、庭園は東向きで南の方まで見渡せない。松明が灯る宴の周囲を除けば庭は闇に沈んでいる。

 広間に面した部分が非常に明るいだけに、その向こうの暗がりは一層強調されて、ちょっとした森のようだ。

 しかし、戸惑うことはなかった。ザザは瞳を閉じて額に力を集めた。


 庭の草木よ。私を南までいざなえ。


 植物を使役する魔法を実地で使うのは初めてだったが、ザザは元々森で暮らしていたので、この魔法は馴染みやすかった。

 しばらくすると、ザザを取り囲む木々がざわめき出した。

 下生えが同じ方向になびき、蔓草の先が道を指し示す。木々は、ザザが通りやすいように張り出した枝をアーチのように掲げた。

 その中をザザはどんどん進んでいく。

 初めて発動した自分の魔法の効果に驚きながらも、力の程度は理解できたので慌てることはない。

「ありがとう、みんな」

 そう言って、暗い庭園を進んだ。背後に灯りが遠くなっていく。

 程なく闇の中に鳥籠のようなものが浮かび上がった。硝子でできていて、月明かりを反射している。入り口だけに小さな灯火があって、異世界への入り口のように見えた。

 人の気配はない。レストレイはまだ来ていないようだ。彼が婚約者を部屋まで送り届けたら、そこで落ち合うことになっていた。


 少し時間が早いけれど、中で待っていよう。


 ザザはそっと硝子の扉を押した。中からむっと南国の花や果実の匂いが漂ってくる。昼間なら鮮やかであろうそれらの色が、月の光の中で全て青く濡れている。


 こんな大きな花もあるのね。香りだけで酔ってしまいそう。でも薬効はなさそうだ。


 ザザは垂れ下がる葉の影に腰を下ろした。

 レストレイがいつ来るかわからない。もしかしたら来ない事だってあるだろう。何しろ、今夜は祭りなのだ。

 一晩中待つことになる可能性もあるが、ザザは気にしなかった。

 自分は待てと言われたから待つのだ。それだけだった。

「ここは心地がいいわ。お前の手は柔らかいのね」

 ザザは自分をすっぽり覆ってしまうほど大きな葉の表面を撫でた。

「植物とも話せるのかい? ザザ」

 向こうから聞こえたのは王太子の声だった。

「王太子殿下?」

「いやだな。レストレイと呼んで欲しいな」

 カーテンのように葉を持ち上げて現れたのは、古王国の後継者だった。月光に金髪がきらきらと輝いている。

「さぁ、お立ち? どうせ何も食べていないのだろう? ほら」

 レストレイは籐で編まれた籠を持ち上げた。

「ほら、こっちに椅子と卓を用意しておいたからね」

 そう言ってザザの手を取るとレストレイは、南洋の植物の間を掻い潜り、小さな空間へザザを案内した。早速持ってきたパンやお菓子を卓に広げる。飲み物の中には酒も混じっているようだ。

「どうぞ」

「どうぞ?」

「あれ? お腹空いてない? どうせなにも食べていないのだろう?」

「……」

 そう言われてやっと空腹だったことに気がついたザザは、遠慮しつつも小さなパンに手を伸ばした。

「ありがとうございます。いただきます」

「はは! こんなに小さな口なのに、そんなに広がるものなんだね。ほら、これも飲みたまえ。甘いよ」

 レストレイは軽い口調でからかいながらも、頬を膨らましてザザがパンを頬張るのを楽しそうに見ていた。

「ここは少し暗いね」

 卓の真ん中には火の消えた燭台がある。

「ザザ、これに火をつけられるかい?」

「……」

 ザザは入り口に点っていたランプに語りかけた。

 すると、植物の間を縫って糸のような光がするすると伸びてきた。糸は燭台の真上でからまると炎になって、ロウソクに火が灯る。

「すごい! 魔法を見たのは初めてだよ。君は風と癒しの魔法だけだと言っていたのに」

「これはほんの小さなことですので。それにウェンダルさまの教えで日々練習していますし」

 ザザはほんの少し誇らしげに胸を張った。王宮でも伯爵家でも気を額に集め、つなぎの印が結ぶ神羅万象と心を通わせる修練をしているのだ。

「じゃあ、これを見て」

 レルトレイは卓の下から小さな鉢を取り出す。そこから小さな芽が出ていた。

「これね、半年前に種を手に入れた珍しい花なんだけど、なかなか育たなくてね。ザザ、できるかい?」

「……」

 小さく頷いたザザは、灰色の芽に掌をかざした。植物と心を通わす。こんな事が自然にできてしまう自分に慣れつつあった。

「おお、これが魔女の印……」

 ザザの額に浮き上がったつなぎの印を見て、レストレイは感嘆の呟きを漏らした。

「多くの印は黒く浮き上がるのに、ザザの印は白いのだね」

 レストレイの見ている前で、小さな芽はふるふると震える。やがて、芽の頂が二つに割れて、青白いレースのような葉が顔を覗かせた。

「……この子は冷たい水が好きなようです。ここは少し暑いと言っています」

「おや。そんなことを言っていたかい。確かにそうかもしれない。南国からの珍しい植物はなんでも温室に放り込めばいいと、私は思っていたから」

「この子は南国でも高山に住む種類なのです。だから周りの空気を少し冷やしてあげました。だから、窓辺において時々風に当てると良いかと」

「そうか。ではそうしよう。美しい花を咲かすそうだよ。ありがとうザザ。ああ、印が消えていくね。疲れたかい?」

「いいえ。でもここは暑いですね。これを飲んでもいいですか?」

 ザザはさっきレストレイが前に置いてくれたカップを一息に飲み干した。

「おや、君はいける口なんだね。嬉しいな」

「いけるくち? それはどんなお口ですか?」

「だってそれ甘いけど酒だよ? 香りでわかるでしょ?」

「お酒……?」

 はっと思ったがもう遅かった。

 喉と胃がかっと熱を持つ。温室内の濃密な空気も手伝って、ザザの頭の中はくらくらし始めた。

「あれ? 君真っ赤だよ。もしかして、酒は初めてだった?」

「た、多分」

「魔女なのに?」

「魔女ですが」

「まぁ、一時間くらいで覚めるよ……多分。僕もそう長くは席を外していられないしね。今頃、我が愛しのマーティと仲良くやっていると、皆は思っているだろうけど」

 しかし、ザザはレストレイの言葉など聞いてはいなかった。体がふわふわとして、とてもじっとしていられない。

「ザザ? 何をしているの?」

「月の光を捕まえたいのです……きっと私の魔力を高めてくれるわ」

「は?」

 ザザはとん、と立ち上がると、レストレイの目の前で帯のように降ってくる月光に手を伸ばした。

 無論光はすり抜けるだけだが、ザザは額に月光を浴びながらくるくると回り始める。緑色のドレスの裾がふわりと持ち上がった。

「君! 危ないよ、踊りたいのなら、私が支えていよう」

 レストレイも立ち上がると、温室内を漂っている魔女の手を取った。

「確かにこんなところでダンスとは一興だ。それもこんなに初心うぶな魔女のお嬢さんが相手だとはね」

 ザザはレストレイなど見ていない。手を取られていることにも気づかぬように、ぼんやり舞っていたが地面に張り出した根っこに蹴つまずいた。

「危ない!」

 慌てたレストレイが抱きとめる。

「わたし……もっともっと強い魔女になります。だからどうか、ずっとおそばに……好きでいさせて……ください」

「……なんだかとても腹が立つね。私に抱かれて私を見ない女なんて初めてだ」

 ザザはレストレイの肩越しに月を見ている。

「私が見えるかい? ザザお嬢さん」

「お嬢さんでは……わたしは魔女のザザです」

 ザザはレストレイの腕の中で夢見るように応えた。

「では、魔女のザザ。今君を抱いているのは誰かな?」

「だれ? だれって……それは」

 その時、ザザの思考はほとんど働いていなかった。

「ギディオンさ」

 その時、すごい勢いでザザは思わぬ方向に引っ張られた。何か硬いものにぶつかって、鼻が地味に痛くなる。

「……え? なに?」

「これはどういうことだ!」


 青い目をぎらつかせてギディオンが立っていた。


 

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