第56話54 魔女と霜降の節 2

「お前は……」

 エリーシアは部屋の隅で膝を抱えているザザを見下ろした。彼女は当然ながら驚いているが、それ以外の複雑な感情も見え隠れしている。

「なんであんたがこんなところにいるのよ!」

 エリーシアはきつい口調で問いただした。

「花が外れてなかったからここにしたのに!」

「はな?」

 ザザは何のことかわからずに、ただエリーシアを見上げるだけだ。

「何よ、知らないの? ここは婦人用の休憩室よ。扉に飾っているお花を取って中に入るのよ。だから花が残っていたら空いているってこと」

「……存じませんでした」

「そうよね。あんたなんて、フェリア様に恩を売ったってだけでここにいるんだものね」

「……」

「それで? やっぱり居たたまれなくなって逃げてきたって訳? 頼みのギディオン様はフェリア様にべったりだしね」

「そうです」

 まさしくその通りのだったので、ザザは首肯しゅこうするしかない。

「だから、最初から無理だったのよ。思い知ったのならさっさと帰れば?」

 エリーシアの口調は、フェリアの前にいる時よりも砕けた感じになっている。表情もいつものように取り澄ましたものではなく、生の感情が滲み出していた。

「さぁ! いつまでもみじめったらしく座り込んでいないで立ったらどう?」

「……」

 ザザは素直に立ち上がった。

 ふとエリーシアと目が合う。いつもきつくザザを睨み付けるその瞳は、口調とは裏腹に力がない。

「エリーシア様は……」

「なによ?」

「なぜこちらにいらっしゃったのですか?」

 まだ宴は始まったばかりだ。自分を顕示するのに絶好の機会を、この娘が逃すとは思えない。

「あんたなんかに関係ないわ」

「……すみません」

 それもそうだとザザは退散しようとした。不機嫌なエリーシアに対抗できる気力は今の自分にはない。

 だが。

「待ちなさいよ」

 エリーシアにいきなり腕を取られてザザは振り返った。

「エリーシアさま?」

「……そんなに素直に行くことないわよ」

「え?」

「あんた、さっきなぜ私がここにいるかって聞いたわね? 教えてあげるわ。私……私はね、ここに悪態をつきに来たの」

「悪態?」

 なんのことだかさっぱりわからないザザは、腕を取られたまま動けない。

「そう、悪態。フェリア様のことを思いっきり悪く言おうとしたの。そうよ!」

 エリーシアはつかんでいた腕を話して両手を握りしめた。

「なによ、あんな子! 王女で、少しくらい可愛いからって我が儘ほうだい! 良い子ぶっちゃって、一生懸命気遣いしているふり、我慢しているふりもいい加減にしてほしいわ! 全部ギディオン様の気を引きたいだけじゃないの! それに気が付かないギディオン様もギディオン様だけど!」

「え? あ、あの……ギディオンさまの悪口は……」

「殿方なんて馬鹿ばっかりよ! あんな見えすいた手に騙されちゃって!」

 エリーシアは、ザザの声など聞こえていない様子で、小さな部屋を歩き回っている。彼女から迸る若々しい怒りは、いっそ小気味がいいほどだ。

「知ってる? 今日のことだって、フェリア様は陛下にわがまま言って、ギディオン様に入場を付き添ってもらったのよ! これじゃあ、たとえ何もなくたって嫌でも噂になるでしょう?」

「噂?」

「そう! あんな風にエスコートしてもらったら、自分たちは恋人同士だって暗に宣言したようなものじゃない! うっとり見上げちゃってさ! ああ、腹が立つったらないわ! あんただってそう思ったでしょう?」

「でも、だって、お二人はこれから、こ……恋人同士になられるのでは?」

「そんなの、フェリア様のわがままだって言ってるのよ! そうでしょう?」

「……」

 ザザはなんと答えていいかわからなかった。

 フェリアは間違いなくギディオンに恋しているが、それは末っ子を手放したくない王妃も認めている。

 そしてギディオンも彼女を愛しく思っていて、その上もし主命となれば、二人は夫婦になるのだろう。

 ザザはそう思っていた。しかしエリーシアの憤慨を見ると、もしかしたら違うのかもしれない。

「私、家のために、いい殿方を見つけるために、仕方なくフェリア殿下付きの侍女になって、毎日必死でお仕えして、色んな殿方が話しかけてくれたけど、全然好きになれなくて! それでギディオン様に巡り合って……この方だって思えたのに! やっと本当に好きになったのに!」

 気が付くとエリーシアは泣いていた。

 高慢な伯爵令嬢が、白粉の落ちるのも構わずに涙を流している。

「ほんっとやってられないわ! もう王女付き女官なんてやめてやる! くやしい!」

 エリーシアはザザをすり抜けると、長椅子に身を投げ出して盛大に泣き始めた。

 その様子は令嬢ではなく、恋に破れた、ただの若い娘の姿だった。あまりに悲しそうなので、ザザは彼女の背後に寄り添い、鳴き声が小さくなるまで待つことにする。

「あなた……ザザって言ったわね」

 やがて顔を上げたエリーシアが振り返った。

「はい。ザザです」

「ザザだって同じでしょ? ギディオン様が好きなんでしょう?」

「はい。好きです」

「私たち、失恋したってことになるのかしら?」

「しつれん、したことになるんでしょうね」

 失恋とは初めての言葉だったが、十分理解できた。エリーシアとザザは一緒だった。

「あんたなんかとお仲間になっても嬉しくないけど」

「では、お仲間は今どちらに?」

 それはいつもエリーシアと共にいる女官達のことだ。いずれも中級貴族の令嬢だった。

「さぁ、広間で素敵な殿方を見定めているんじゃないかしら? それが私たちのもう一つの仕事だし」

「エリーシアさまもお戻りにならないのですか? お家の方が来ていらっしゃるのでは?」

「そうだけど……こんなんじゃ戻れないわねぇ、お化粧も落ちちゃったし。なんかもうどうでも良くなっちゃった」

 特に残念でもなさそうにエリーシアは言った。


 この方は今、ひとつ乗り越えたんだわ。

 ご本人には自覚はないけれど、目がさっきよりも澄んでいるもの。怒りと悪態は負の感情かもしれないけれど、伸びるためには一旦沈み込まなくっちゃならない時もある。

 きっと元々自分に素直な方だったのだ。


「変な顔をしてるわね」

「こんな顔なのです。ですが、エリーシアさま、鏡の前にお座りくださいますか?」

 ザザは鏡台を指して言った。さすがに婦人用の休憩室らしく、標準的な化粧品も準備されているようだ。

「なによ。あんたがお化粧してくれるっていうの? できるの?」

「やってみましょう」

 「でも、きっと無理よ。目がすごく腫れてしまったわ」

 それでもエリーシアは素直に鏡の前に座った。

 ザザは化粧のことなど何も知らなかったが、幸か不幸か、今朝サルビアから指南を受けたばかりである。並んでいる化粧品の使い方だけはなんとか理解できた。

 とにかく腫れぼった目の周りを冷やさなくてはならない。

「少し目をつぶっていただけますか? 冷やします」

「どうやって? ここには化粧水だけで冷たい水はないわ」

「え、えと……ともかく、目を閉じてください」

「わかったわ。でも変なことをしたら大声を出すからね」

「どうぞ?」

 ザザはたっぷりと化粧水を手に取った。

 ほんの少しの集中で手は冷えて、化粧水は氷水のように冷たくなった。それを赤く熱を持ったエリーシアの目元にたっぷりと振りかける。

「あっ冷たい! でも、気持ちがいいわ。ここにこんな化粧品が置いてあるなんて知らなかった」

「じっとなさって」

 そのまま手をしばらく当て続けてから離すと、目の腫れはかなり引いていた。ザザが魔力で肌に働きかけて水分を吸収させやすくしたのだ。

「まぁ。これなら白粉でごまかせるかしら」

 エリーシアは驚いて鏡を覗き込んでいる。

「大丈夫です」

 ザザは今朝、自分がされた通りのことをエリーシアに施した。

 少し乱れた髪も、ほつれ毛を巻くことで、かえって雰囲気ある感じに仕上がる。ほどなく、エリーシアは伯爵令嬢としての身だしなみを整えることができた。

「あら、元よりもいい感じに仕上がってる。あなたの指に巻かれた髪が、こんなに綺麗なロールになったわ」

「実は自分でもそう思っていたところです」

 ザザは前髪がちゃんと下りているか、確認しながら言った。この程度の魔力では、額の印はほとんど出ないはずだ。しかしエリーシアはザザが髪を気にしていると思ったようだ。

「あなたはちゃんとしているわよ。部屋に入ってきたときは座り込んでいて驚いたけど、あなたは泣いてなかったのね。私は……ずいぶんみっともなかったわ」

 エリーシアは真面目な顔で鏡の中のザザに言った。

「……今まで悪かったわ」

「いいのです。いじわるされるのには慣れているので」

「そんなことに慣れないでよ……ってそれ、私が言っても説得力がないわね。この点に関してはフェリア様の方が見る目があったわ。王家の血ってやつかしら? あの方、無自覚にわがままだけど、人の本質を見抜けるのね。あなたは真面目で忠実な娘よ。でも……私が悪態ついたことは内緒にしてくれる? 今さら虫のいい話だけど」

「もちろんです。でも、そろそろ戻られないと、お家の方やお仲間が変に思いますよ」

「そうね。不本意だけどそれが私の仕事だもの。ザザも行くのでしょう?」

「参ります。でも、広間ではありません」

 ザザは立ち上がった。

「私には私の仕事があるのです。では、これにて失礼いたします。どうか良い夜を、エリーシアさま」

 そう言って魔女は、きょとんとしているエリーシアを残し、音もなく廊下に出たのだった。



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