第55話53 魔女と霜降の節 1

「さぁ、着いたわよ。ザザ、そんな風に下を向いていてはだめ。あごをあげて首筋を綺麗に見せるの」

「は、はい」

 ザザは目線を上げて、細い喉をさらした。

「それでいいわ、とっても可愛らしいわ。あら、二十歳の娘さんに可愛らしいなんて失礼よね。だけど、あなたって歳よりも幼く見えるから、つい」

 馬車は、ザザが今まで見たこともないような大きな宮殿の前庭を進んでいた。

 前後にも同じような馬車が、きちんと列を作って進んでいる。

 庭園は驚くほど広い。秋なので花は少ないが、葉を落した枝にいくつも吊り下げられたランプや、大きな松明が美しくも幻想的な光景を演出している。

 こんな光景をザザは想像したことがなかった。

 サルビアは、緊張しているザザを安心させるように絶えず話しかけてくれる。

 昨日遅く、届いたザザの衣装は、黒髪が映えるような緑色だった。幾重にも重なる薄い布は広がらずに足元まで軽やかに覆っている。フェリアは、森という意味のフォーレットという姓に合うようにと考えてくれたのかもしれない。

 首回りをいつも覆っているザザには、戸惑うほど襟ぐりが開いていたが、サルビアはこれでも慎ましい方で、鎖骨を見せないなんて、夜会ではあり得ないと言う。

 貧相な胸元を補うようにみぞおちで結ばれた帯は、心臓の下で大きな花結びになっている。髪には帯と対になった緑の花が挿されていた。

 そして、首元に下げられたのは母の形見の貴石。皮で括られたその石にサルビアは懸念を示したが、ザザはこれだけはどうしても身に着けていたいと食い下がったのだ。

「わかったわ。大事なものなのね」

 サルビアはすぐに理解したようだった。

 細長い貴石がちょうどザザのささやかな胸の谷間に収まるように、皮ひもの長さを調節してくれた。

「さぁこれでいいわ。フェリア様は本当にご趣味がいい。ザザのことをよく御存じなのね」

 サルビアは、生まれて初めてドレスというものを着て、鏡の前で立ち尽くしているザザをつくづく眺めて言った。


 そして馬車は正面玄関に滑り込む。

「さぁ、ここで下りるわよ。次々と他家の馬車が到着するから急がないといけないの。気をつけてね」

 大きな階段の下の、車寄せで馬車の扉が開く。

 サルビアは待ち構えていたフォルストの手を借りて、踏み台から石の床に下りた。優雅な裾捌すそさばきはさすがに次期伯爵夫人の所作だ。

 そして、フォルストはためらうザザに手を差し出し、降りるように促した。当たり前だが、王女警備のギディオンの姿はない。

 ザザは初めて履いた踵のある靴でよろけながら、馬車から下りた。落ちなかったのは幸いだ。

「ほら、そんな顔をしない。今夜のあなたは素敵よ。きっとギディオンもそう思うわ」

「サルビア、行くぞ」

「そうね。ザザ、私たちは外国のお客をもてなす役割があるのよ。とりあえず、広間までは一緒だけれど、その後は側にいてあげられないわ。大丈夫?」

「……はい」


 その後どうやって広間まで行ったのか、ザザは覚えていない。

 気が付くと、少し霞がかった薔薇色の空間に立ち尽くしていた。空気の通りは少なく、様々な匂いが立ち込める巨大な器。その中を行きかう着飾った大勢の男女は、まるで人形のようだとザザは思った。


 こんな世界があったんだ……私は何にも知らないで、ただ怖がって森に引っ込んでいたんだわ。


 それは今も同じだった。

 フェリアに招待されても、知り人もなく、することもわからない身には、ただ壁際で邪魔にならないようにじっとしているしかない。見たこともないような食べ物は手に取る気にすらなれないし、鮮やかな色の液体は飲み物とも思えなかった。

 大きな花活けの後ろでしばらく気持ちを落ち着けていると、奥の楽隊がハッとするような華麗な曲を奏でた。人々が一斉に中央を開ける。


「おでましだ、おでましだ」

「ずいぶんお久しぶりだわ」


 そんな声が聞こえたので、ザザは国王一家が現れるのだと知った。

 ついへばりついていた壁から離れて、身を乗り出してしまう。護衛のギディオンが見えるかもしれないからだ。

 両開きの大きな扉が開け放たれ、国王アンドレアスと王妃ギセラが並んで入ってきた。二人ともたいそう立派で、ザザにはつい数日前この人たちとお茶を飲んだことが信じられない。

 続いて王太子レストレイがその腕に小さな姫君を伴って現れる。きっとこの娘がレストレイの婚約者なのだろう。陶器でできた細工物のように見える姫は、フェリアよりも年下のように見えた。

 レストレイは姫に何かささやき、彼女は真っ赤になりながら、可愛らしく辞儀をした。それを見た周囲から感嘆の声が漏れる。

「なんてお似合いの二人なのでしょう」

「きっと良いご夫妻になられるぞ」

「これでフェリア殿下のご婚約が整えば、隣接三国との結びつきが固くなる。我が国はますます安泰だ」

 そして最後に王女フェリアの入場だった。


「え?」

「あれは……」

 フェリアを先導して入ってきたのはギディオンだった。

「まぁ、あの方は、セルヴァンティース伯爵家の御次男ギディオン様」

「本当だ。まさか、御婚約者というのは……?」

「確かにすぐれた武人だが、それはないだろう。あの方の出自には何かと問題があるという事だし?」

「そうよ。ご覧になって。先導されてはいるけど、お腕は取られていないもの」

「セイラムの王子の件はまだ噂だからなぁ。もしかしたら……」


 ザザには周りの声などどうでもよかった。

 ただ、フェリアを優しく見守る青い瞳と、それを見上げるフェリアの二人しか目に入らなかったのだ。


 なんてお似合いの二人……!

 とてもお綺麗、とてもご立派。

 ああ、わたしは……なんて思いあがっていたんだろう? もしかしたら、ギディオンさまの大切なものの仲間に入れてもらえたかもしれないなんて!


 揃った国王一家に対して何人かの貴族が祝辞を述べている。

 国王はそれに答え、レストレイも応じた。王妃は微笑み、王女は真っ赤になってうつむいている。

 背後に控えたギディオンの顔はザザからは見えなかった。


 ああ、わたしはなんだって、こんなところに来てしまったんだろう……。

 

 ザザはやっと見つけた壁際の居場所にもいられなくなって、よろよろと目立たない扉から広間の外に出た。

 そこは給仕用の出入り口のようで、大性の男性が銀の盆を以って控えていた。乾杯の杯がきらきらと輝いている。

「す、すみません!」

 驚く給仕たちの間をすりぬけ、ザザは人のいない廊下にでる。背後から華やかなさざめき声が押し寄せてきたのは、きっと今、祝杯のさかずきが交わされたためだろう。

 その声から逃れるようにザザは広い王宮を彷徨う。あまり奥に行くわけにもいかず、とびこんだ先は廊下に並んだ化粧室の一つだった。

 そこは小さいが、やはり美しい部屋で貴婦人の個人的な休憩室のような役割も兼ねているようだ。奥には庭が見える窓もある。

 誰もいないことを幸い、ザザは隅にうずくまった。せっかくのドレスがしわになろうが構わなかった。

 このまま夜会が終わるまでここにいたい、そう思って息を殺していたが、甘かったようだ。密かに扉が開いて入ってくる人の気配がした。

 四半時30分も経っていないのに、この部屋を利用する人間がいたのだ。

 ザザは驚いて隠れようとしたが、遅かった。その人物とまともに目が合ってしまう。

 入ってきたのはエリーシアだった。 


 

 

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