第54話52 魔女と伯爵家の人々 3

 ザザの朝はいつも早い。

 伯爵家にいてもそれは同じで、今朝も陽が昇る前に目が覚めた。

 見慣れぬ立派な部屋に一瞬驚いたが、ここがギディオンの実家だと思い出す。

 耳をすましても、まだこの階に起きている人間はいないようだ。晩秋の一日が始まるにはまだ少しかかるのだろう。

 ザザはそっと寝台を抜け出すと、ショールを羽織るとそっと高窓を開けて、バルコニーへ出た。

 東に向いているので朝陽が見られると思ったのだ。この屋敷の、東向きのバルコニーは広い。見晴らしもきっといいだろう。

 しかし、薄明かりのバルコニーには驚いたことに先客がいた。

「おはよう。相変わらず早いな。よく眠れたか?」

 ギディオンはバルコニーの手すりに寄りかかって、空を見上げていた。

 見ると、はやぶさのモスが旋回している。ギディオンが何かを投げると、モスは稲妻のように急降下してそれを咥えた。

「おはようございます。何をなさっているのですか?」

「モスに朝飯をやっている。ほら」

 見れば、燻製肉の切れ端だった。

「ザザもやってみるか?」

 肉の欠片を受け取ったザザはモスに向かって思い切り投げた。さっきギディオンが投げたのに比べると、ちっとも飛ばなかったが、モスはひらりと舞ってそれを受け止めた。

「そんな薄着で寒くはないのか?」

「へいきです。もっとゆっくりお休みになればよかったのに」

「寝たさ。あまり良い夢は見られなかったが……そら!」

 最後の肉片を高く投げ上げてギディオンはザザに向き直る。モスが一声高く鳴いた。

「俺はこれから王宮に戻る」

「え?」

「実はモスがフリューゲルからの伝言を持ってきた。フェリア殿下がお呼びらしい」

「フェリア様が? でもそれなら正式に使者が来るのでは?」

「来ないということはそれなりの理由があったということだな。ご勘気かんきが出たか」

 ギディオンは小さく笑った。愛犬を失い、迫った人生の決断の中でフェリアの心は不安でいっぱいなのだろう。まだ十六才の少女なのだ。

「ですが、せめて朝ごはんくらい」

「いい。誰も気にしない……ザザは心細いか? 義姉上とはうまくやれそうか?」

「はい。飾り気のない良い方です」

「ああ、そうだな。兄や弟も無口だが良い人間だ。昔からよそ者の俺にも分け隔てなく接してくれる」

「……よそ者ではないでしょう? おとうさまがいらっしゃる」

「知っていたのか?」

「はい。以前、伺いました」

「そうか。別に隠しているわけではないからな。皆知っていることだ……俺だけ髪の色が違うだろ? 兄と弟はかつての義母と同じ金髪だ」

「ぎぼさま? ご病気だという?」

「そう。俺は伯爵夫人に疎まれていてな。俺は父の浮気相手……それも芸人の子供だから当たり前だがな。だが、兄も弟も子供の頃から普通に話してくれた。心の弱い俺はそれが却って気づまりで、学問所を出てからすぐに財産分与権を放棄して軍に入ったんだよ」

「お淋しくはないのですか?」

「寂しい? ザザがそれを聞くのか? お前はずっと森で一人で暮らしてきたのだろう?」

「それは……わたしが魔女だからで。魔女は一人で暮らすものですから、寂しいという感情は持ちません」

「ザザが淋しくないのなら、俺だって同じだ。それに軍隊は寂しいどころの話じゃないからなぁ。見たろ?」

 ギディオンはその日初めての笑顔を見せた。

「だから俺は大丈夫だ。守るべき主がいて、ザザもいる」

「もう……行くのですか?」

 立ち去る気配を察してザザが尋ねる。

「行くよ。いよいよ霜降の節だからな。王宮で会おう。それから」

 ギディオンが振り返った。その額にやっと顔を出した朝陽が当たる。その顔は晴れやかだった。

「すまないが、朝食の席で父に伝えてくれ。再びお話しできるのを楽しみにしています、と」

 そう言ってギディオンは、大股で室内に戻っていった。


「あのっ! それでですね……ギディオンさまが私に、で、伝言を残されて……おとうさまにと、だから」

 伯爵家の朝食の席でザザは竦み上がっていた。

 上座に座る怖い顔の男に魔女は射竦められている。

「それで、王宮に向かわれて……」

「仕事を終えたら話をする。あんたにそう言い残して、あやつはいってしまったのだな?」

「そっ! そうです!」

 ザザは大きく首を縦に振った。

「ふん」

 周りの人々の注目を集めてザザは、朝食どころではなかった。

 セルヴァンティース伯爵はそう言ったきり、黙りこくっている。その眉間は、先ほどギディオンの不在を聞いた時より和らいでいる。

 それを見てザザは、なんとか主の頼みを果たすことができたと思った。

 朝餐ちょうさん用の部屋には伯爵家の家族と、給仕をする召使のみが集っていた。男性陣はやはり会話をする習慣がないようで、みな黙々と食事を続けている。

「それで、あなたたちは恋人同士なの?」

 率直に尋ねてきたのは、ザザの隣に座っていたサルビアである。

「ふぇっ⁉︎ こいびと?」

「そう。恋人なのでしょう? だってあのギディオンが初めて家に連れてきた娘さんだし」

「こ、恋人とは親しい男女の関係を表す言葉ですね? それなら違います」

「え? 違うの? でも、そんな朝早くベランダで会話してるのに」

「えっ? あの……申し訳ありません。恋人の解釈を間違ったかもしれません」

 ザザは必死で言い訳をした。そんなふうに思われては困る。

 自分も、ギディオンも。

「ふぅん?」

「でも違いますです!」

「わかったわ。でも、世間れしていないって話は本当だったのね。いえ、疑っていたわけではないけど、ここまでとは知らなくて……あのね、恋人っていうのは、お互いを想い合って……愛しあう二人の間柄を言うのよ」

「あいしあう?」

「そうよ。私とフォルストのように。ねぇあなた」

「え?」

 突然話を振られたフォルストは、妙な咳払いをしつつも、かろうじて頷いた。

「彼とは私がお役目をもらっている図書館で知り合ったの。最初は真面目で融通がきかない人だと思ったけど、いつの間にか好きになっていたの。結婚は私から申し込んだのよ」

「恋人になって、結婚して夫婦になるのですね。そしてずっとあいしあうのですね」

 サルビアはにこにこして頷いたが、フォルストは再び盛大にむせた。鼻と耳が真っ赤になっている。


 あいしあう……お互いを想いあうと、こいびとになって夫婦になる。

 

「あの、夫婦とは申し込めば成立するのですか?」

「いいえ、一番大事なのは相手の承諾。それから書類上の契約も必要よ。この国では身分の如何いかんに問わず、結婚登録書に署名をすれば正式に夫婦として認められるわ。でも、今はあなたのことよね。あのギディオンが連れてくるんだもの、よっぽど特別だってことよ」

「そうでしょうか? わたしはいつも役立たずで……呆れられて。今回のこともフェリアさまから夜会にお招きいただいたので、恥をかかぬようにとのご配慮だと」

「ギディオンは嫌いな人間を自分の家に入れたりしないわ。自分の身近に置くのは信頼できる人間だけよ」

「そのとおりだ」

 フォルストが初めて口を聞いた。

「それはわたしを拾った責任上、お世話してくださっただけなのです」

「メイサの話では、離宮の森でギディオンがザザに助けられたのよね? あれ? 逆だったかな?」

「わたしが助けていただいたのです」

 ザザは森の泉でギディオンに助けられたことや、その後の経緯をかいつまんで説明した。もちろんフェリアのことや自分が魔女だということは伏せて。

「つまりザザは命を助けてもらったから、ギディオン様にお仕えしているという訳なの?」

「……そう、です。でも……そうじゃないです。ご恩返しの気持ちだけではなく……でも、出過ぎたことは、えっと……あの」

 ザザはギディオンに対する自分の気持ちを、うまく説明することができなかった。しかし、サルビアは理解のある表情で耳を傾けている。

「……君のそんな正直なところが、あいつの琴線に触れたのだろう」

 フォルストも頷く。

「君達はよく似ている」

「まぁ。あなただってそうだわ。セルヴァンティースの殿方はみんなそうよ。真面目で融通が利かない。リッツァも」

「巻き込まないでください。私は兄上たちとは違います」

 黙って食べ続けていたリッツァが不満を漏らした。

「私は、もう学問所に戻ります。父上、兄上、これで失礼いたします。母上を大事にしてください……それから君、ゆっくりしていきたまえ」

 リッツァは父と兄に丁寧に頭を下げると、最後はザザを見て付け加えてから食堂を出て行った。父と兄は黙って見送る。

「ごめんなさいねザザ、びっくりしたでしょう? でも、いつもはもっとだんまりで、私だけが喋っているの。あなたがいてくれてよかったくらい。だけど、ゆっくりもしてられないわ。今日一日しか夜会の心得をザザに伝える時間はないのだもの。ザザ、朝食がすんだら、早速レッスンよ」

「はい。よろしくお願いします。サルビアさま」

「娘よ」

 突然投げ込まれた声は伯爵だった。

 伯爵がこの場で声を発するのは非常に珍しかったと見え、フォルスト夫妻は思わずと言った様子で食べる手を止めた。

せがれをよろしく頼む」

 びっくりしているザザに一言そう言って、彼は席を立った。

 背後の従僕がすぐに杖を差し出す。それを受け取り、伯爵は大貴族らしいゆっくりとした足取りで出て行った。

「驚いたな」

 フォルストが呟く。

「ほんとうに! 義父上が下に降りて朝食を食べられるだけでも珍しいのに、初めて見た子に声までかけたわよ。ザザ、やっぱりあなたって何者?」

「え、えっと……」

「ともかく、これでますますやる気が出たわ。ザザ、あなたを夜会で一番素敵な娘にするからね」

 ザザの困惑に頓着せず、サルビアはそう宣言した。



   *****



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