第59話57 魔女と霜降の節 5
「お兄様、なにを言っているの?」
フェリアは不思議そうにレストレイを見つめた。
普段は飄々として、誰にでも穏当に接する兄である。歳の離れたフェリアには特に優しかったが、今夜の彼はフェリアに厳しいことばかり口にする。こんな兄は初めてだった。
「ギディ? あなたの番ってどういう意味?」
「フェリア殿下」
ギディオンはレストレイの後ろに隠されたザザをちらりと見た。
「なぁに? ギディ」
フェリアの声は一層甘い。ようやく感じ始めた不安を覆い隠すように。
「私は殿下の恋人にはなれませぬ。ましてや婚約など」
レストレイは、背後の魔女が小さく身じろいだのがわかった。
「……」
「できないのです」
「それは私が王女だから、身分のことを気にしているのよね? それなら大丈夫よ。私は身分なんて気にしないし、お父様もお母様もそう。もしどうしても気になるなら、いったん公爵家にでも養子に入ればいいわ」
「身分のことは確かに言い訳にはなりますが、私が殿下と恋人になれないのは理由があるからです」
「りゆう……?」
「私にとってフェリア殿下は守るべき主君です。しかし、殿下とは愛を交わすことはできない」
「……」
「殿下の安全はそれこそ命を懸けてお守りいたします。しかし、それは私が王家に仕える戦士だからです」
「ギディ……ギディは私のことが……き、嫌いなの?」
フェリアの声は震えていた。
「いいえ。心からお慕いしております。主君として。殿下は勇敢で努力家で、心根とお姿が美しい、尊敬すべき姫君です」
「……」
「殿下……」
「……やよ」
「殿下?」
「嫌よ! 殿下なんて呼ばないでって言ったでしょ! 私はフェリアよ! フェリアなの!」
フェリアの瞳から大粒の涙がぽろぽろこぼれる。その一つ一つに月の光が宿って白い頬を伝った。
「私はギディが好きなのよ! それが……王女ってだけで、こんな風に振られてしまうんだわ! 酷い! こんなことってある? もし私が……普通の娘だったら、じゃあギディは私を愛してくれたの?」
「違います。私は……私の恋人は殿……フェリア様ではたぶんない」
苦しそうに紡がれるギディオンの声はしかし、フェリアを一層泣かせただけだった。レストレイはそんな妹を見て痛ましげに、眉をひそめたが賢明にも何も言わなかった。
フェリアは嗚咽しながらも健気に顔を上げる。
「……じゃあ……ギディの恋人は誰なの? 私の知っている娘?」
「言いません。俺には今するべきことがある。酷い言い方になってしまいますが、女性にかまけている場合ではないのです」
「……」
「俺は直きに、北へと赴く。この国に仇なすものを突き止め、排除しに行くのです。今はそれしか考えられない」
「前みたいな戦いになるの?」
「可能性はあります。そうならないためにまず俺が行くのです。これは俺がしなければならない仕事だ」
ギディオンはそう言って自分の左手に触れた。
「もし……もしその仕事から帰ってきたら、私にまだ望みはある?」
「いいえ。この仕事が終わったら、私は自分の思うとおりに生きてみたいと思っています。あらゆる柵から放たれて」
その言葉にザザは、はっとした。それはついこの間も聞いた言葉だったからだ。
ギディオンさまには何か思惑があるのだ。私はそれがフェリアさまと関係があるのだと思っていたのだけれど……違ったのかしら。
しばらく誰も何も言わず、温室のに漂う甘い空気の中には、フェリアがしゃくりあげる音だけが響いていた。
「あ~あ、王女ってつまらないわ!」
ギディオンの最後通告を聞いて一頻り泣いていたフェリアだったが、苦労しながらもなんとか涙を抑え、大きな声を上げた。
「我が儘ほうだいで、何でも持っているように思われているのに、その実何にも思い通りにならないんだもの!」
「殿下……」
「広間に戻ります。そろそろお母さまが心配して衛兵を送り込みそうだもの」
「いい子だね、フェリア。それでこそ私の妹だよ」
「そんなこと言われても嬉しくなんかないわ。でも、お兄様がエスコートして頂戴。でも、こんなみっともない顔どうすればいいのかしら?」
「私が泣かしたことにしよう。なに、うまい言い訳はいくらでもあるんだよ。こんな時のために遊んでいるんだからね」
ザザが何も言わないうちに、レストレイが請け合った。
「俺も行かねばならない。ザザ、お前はもう帰れ、義姉上に伝言して馬車を回すようにしておく」
「いいえ、私も広間に行きます。せっかくフェリア様がご招待してくれたのです。誰にも相手をされなくても、私は見届けたいです」
「そうか、ザザはえらいな。では皆で戻ろうか」
「レストレイ殿下はフェリア殿下を連れて一足先にお戻りください。私とザザはほんの少しだけ遅れます。いえ、戻ったらすぐに配置につきますので」
「許す。でも、自重しろよ」
「当然です」
二人の男は謎のような言葉を交わした。
「ふん……恩にきることだね。さぁ、フェリア行こう」
気力を使い果たしたのか、フェリアは素直に兄に従って温室を出て行った。最後にちらりと振り向いた眼はザザを見たが、その眼はまだ潤んではいたがもう泣いてはいなかった。
「二回目です」
二人の気配が消えた後、ザザはそう呟いた。
「二回目? なにが?」
聞き返したギディオンの声はやや掠れている。
「女の方が私の前で泣かれるのを見たのは、今夜二回目なのです」
「もう一人は?」
「内緒です」
ザザは小さく笑って肩をすくめた。
「こいつめ。だが二回目じゃないだろう? 三人目だ」
「三人?」
今度はザザが聞き返す番だった。
「ザザだって泣いていたのだろう? だったら今日泣いた娘は三人だってことだろう?」
「……そうでした」
「なんで泣いた?」
「……」
「なんで泣いた、俺に見えないところで」
「それは……その……言えません。ギディオンさまと同じです」
「俺は言いませんと言ったんだ。フェリア様の前では言わないという意味だ」
ギディオンは意味がわからずに首を傾げた魔女の腕を取る。
「だから、今なら言える」
「……」
「ザザ、俺はお前が好きだ」
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