第52話50 魔女と伯爵家の人々 1
ザザは立派な屋敷の前に立っている。
立派だが重厚で飾り気のない無趣味な建物。それがセルヴァンティース伯爵家の屋敷だ。
そこは冬門の近くのギディオンの借家から西に約二
門を潜る時、門番の老人が嬉しそうに話しかけてきて、二人は親しげに言葉を交わしている。老人はザザにも礼儀正しく挨拶をしてくれたが、その目は好奇心を浮かべていた。
前庭を横切り、
「ギ、ギディオンさま」
「大丈夫だ。
「フォルストさまにサルビアさま」
ザザは初めて聞く名前を繰り返した。
「お母さまはご病気、ですか?」
ザザは慎重に尋ねた。母上とは、ギディオンとは血はつながっていないセルヴァンティース伯爵夫人のことだ。
「ああ。ご高齢だしな。父よりも三つ上なんだ。ああ、でもちゃんと侍医がいるから、ザザは心配しなくて良いぞ」
「……はい」
「それから父上は、他人と会われるのは好まれず、部屋からあまり出ることはない。後は弟のリッツァだが、ザザの勤める学校の最上級生で、今は監督生として寮に住んでいる。家の者はこんなくらいかな?」
「は、はい」
「兄も弟も多忙でな。だがメイサから本日行くと伝えてあるから、準備をしてくれているはずだ。さぁ入るぞ」
ギディオンの背よりも高い大きな扉が開いていく。
何かが変わるときにはいつも扉が開くものなのだわ。
ザザは緊張の面持ちで薄暗いホールを見つめた。ランプが所々に灯されているのが余計に暗さを強調しているようだ。
「ギディオンさま、ようこそお戻りなされました」
ホールで出迎えた老人が笑顔を見せた。隣にはメイサもいる。
「ああ、ありがとう。ザザ、執事のジローランだ。ジローラン、父上は息災か?」
「はい」
「母上は?」
「それが、最近は思わしくないようで。慣れた召使の他は誰ともお会いになりません」
メイサが答えた。彼女はギディオンの家では砕けた様子だったが、ここでは少し
「わかった。父上にはご挨拶はできそうか?」
「お伝えはしてあります。しかし、ご挨拶は夕食の後でとのお言葉でした。若奥様はもうすぐ戻られるかと」
「そうか」
「ではお部屋に。お荷物は」
「いい。ザザを部屋に案内してやってくれ」
「はい。ギディオン様の隣のお部屋になります」
ザザの安心したような顔を見て、メイサはやっといつもの微笑みを見せた。
案内された部屋は大きな階段を登った二階にあった。
廊下はやはり暗く、明るい桜花宮からは比べようもない。ザザの部屋はギディオンの部屋を通り過ぎた隣で、廊下の突き当たりにあった。普段は使われていないようだが、きれいに掃除がされている。しかしこの部屋も調度や家具など、重々しい雰囲気だった。窓の外はすっかり陽が落ちている。
「こちらでしばらくご休憩なさってくださいね。お夕食のお時間になったらお呼びします」
ランプをつけてお茶を淹れてくれたメイサはそう言って出て行った。
ここがギディオンさまのお家なのだわ。
どう言う経緯があったか詳しくはわからないが、ギディオンはいかにも堅苦しく見える。庶子だと言う彼には居心地の悪い家なのだろうか? 今まで家のことを語ろうとしないし、ザザから聞くこともできない。
でも、わたしにはお家の事情は関係ない。自分のするべきことをするだけ。霜降の節に招かれて、卒なくこなして。
その後は──。
「失礼いたします」
ザザが近くの椅子でぼんやりしていると扉が開いた。入ってきたのは、金髪の美しい女性だった。
「ごめんなさい、留守にしてしまって、ご挨拶ができなくて。あなたがザザさんね。メイサから聞いた通りのかわいらしいお嬢さんね! なんて珍しい髪の色かしら! あら失礼。私サルビアと言います、こんにちは。この家の主婦よ」
してみるとこの女性がギディオンの義姉のようだ。ザザが慌てて立ち上がって深く頭を下げた。
「サルビアさま、私はザザ・フォーレストと申します。この度はお世話になります」
「いいの。私にはもっと打ち解けてちょうだいな。私はこれでも王宮図書館の司書をしているの」
「司書、ですか?」
「ええ。伯爵家の嫁がなんたることかって、最初はお義母様には怒られたけど、アンジェリーナ殿下のお口添えもあって大好きな本の仕事をさせていただけたのよ」
アンジェリーナとはフェリアの姉で、隣国に嫁いでいる第一王女である。サルビアとは年齢が似通っているから、もしかしたら側で仕えていたのかも知れないとザザは考えた。
王宮にご関係の深い家柄なのだわ。
やっぱり、私なんかが気安くお邪魔していいお家ではないのかも……。
「さぁ、下でお夕食にしましょう。でも大丈夫? お疲れのようだけど」
「い、いいえ。だいじょうぶです」
ザザはしゃちこばって、以前教えられた通りに小腰を屈めた。
「だから、硬くならなくてもいいのよ」
サルビアはにこにこしてザザの手を両手で握ってくれた。ギディオンが気さくだと言ったのは本当のようだった。確かに貴族女性が仕事を持つということからしても、かなり変わっている。
「こちらこそよろしくね。それにしてもまぁ驚くわよねぇ。こんなお嬢さんがねぇ、あの人にねぇ。いえ、いい意味でよもちろん。あ、あの方ってギディオンのことよ。ほら、真面目で頑固でしょう? もっとも、この家の殿方は父上も含めてみんなそうだけど。全然しゃべらないし、表情も乏しいし、でも、決して怒っているわけではないのよ。そんな性分なの。だから心配しないで、みんな結構いい人たちよ」
階段を下りながらもサルビアのおしゃべりは止まらない。ザザは黙って後に続いた。ギディオンは既に階下にいるのだろうか?
「こちらでお夕食をね。夫も役所から帰ってきたの」
そう言って入った部屋は明るくて、暖かい雰囲気だった。
真ん中の大きなテーブルには二人の男性が向かい合わせに座っていた。ギディオンと、金髪の痩せ形の男性だ。彼が義兄で、伯爵家の嫡男であるフォルストなのだろう。
「ザザ、少しは休めたか?」
ザザが何か言う前にギディオンが声をかけてくれた。
「はい、ありがとうございます。わたしは」
ザザはフォルストに向かって辞儀をした。
「お初にお目にかかります。わたしはザザ。ザザ・フォーレットと申します」
「聞いている。わたしはフォルスト・セルヴァンティースだ」
フォルストはあまり感情のこもらない声で返答した。
「父上と母上は高齢でもあるので、ここには同席できないことをお詫びする」
「はいはい、あなたもね。ここはお役所じゃないのよ。他人行儀な挨拶は抜きよ。さぁご飯にいたしましょう」
サルビアの声で、向こうの廊下に控えていたらしい召使が盆を持って入ってくる。貴族の家では珍しいことに、皿が順に出てくる形式ではなく、それぞれの盆の上に一人前の料理が揃っている。飲み物は別のようだ。
「ウチは普段、あまり形式を重んじないの。まぁ私がそうしたのよ。合理的でしょ? でも、好きなだけ召し上がってね。おかわりもあるわよ」
「無理せず食べられるだけ食べなさい」
サルビアとギディオンの言葉で少し安心したザザは、皆が手をつけ始めるのを待ってスプーンを持った。
「それでねギディオン、リッツァももう直ぐ帰ってくると知らせてきたわ」
サルビアは久しぶりに帰ってきた義弟に盛んに話しかけていた。
夫のフォルストは一言も発しないで黙々と皿を空にしている。サルビアが気にしないところを見るといつものことのようだ。
「リッツァが?」
「ええ、あなたが女の子を連れてくると聞いて、無理やり休みを取ったようよ」
「監督生とはそんなに暇なのですか?」
「暇じゃありませんわよ。今期の休暇は今日が初めてですからね。あの子も無愛想なりにあなたを尊敬しているのよ」
「お皿をお取り替えいたします」
彼の食べる量を心得ているメイサがてきぱきと皿を交換する間に、また扉が開いて若い男性が入ってきた。やはり金髪で細身の、フォルストによく似た若い男性だ。
「ただいま戻りました。フォルスト兄上、ギディオン兄上」
青年は長兄と次兄に丁寧に挨拶すると、ザザに目を移した。二人とも顔貌も体格もギディオンにはあまり似ていないが、この青い瞳だけは三人とも同じだった。伯爵家の持つ色なのだろうか?
「あら、リッツァ。お帰りなさい。手は洗った?」
「ええ」
「直ぐに食事を運ばせるわ」
「ギディオン兄上、お久しぶりでございます」
リッツァがギディオンに礼をして座った席は、ザザの真正面だった。
「ああ、リッツァ。学校はどうだ?」
「
そう言いながらもリッツァはザザを見つめていた。
「こちらはザザという。俺が後見を務めている娘さんだ。この度、フェリア殿下から霜降の節にお招きいただいたので、義姉上に作法などを教わりにきた」
「フェリア殿下に?」
「ええ、なんでも愛犬のお世話をしたとかで、いたく感謝されたそうよ。ねぇザザ?」
「……い、いえ」
フェリアの愛犬は死んでしまったので、ザザはなんとも居心地の悪い思いをした。
しかし、リッツァは「そうですか」と応じただけでそれ以上尋ねることもなく、夕食は無事に終わった。伯爵家の男たちは無口だと言ったサルビアの言葉は本当のようだ。
ザザはすっかり気疲れしてしまったが、今夜はゆっくりするように言われ、ほっとしながら先に部屋に引き上げた。
「ギディオン様、御当主様がお会いになるそうです」
執事が告げたのは、兄弟三人が夕食後の談話室で沈黙を共有していた時だった。
こうして伯爵家での最初の夜が更けていった。
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