第49話47 魔女とあふれる気持ち 4

 昨夜の嵐は嘘のように晴れ、大通りの水溜りには秋の空が映っている。ちょうど昼過ぎで祭りの前の街は昨日以上に賑わっていた。


「ギディオンさま、お家に行くのではないのですか?」

 てっきりまっすぐセルヴァンティース伯爵家に向かうのだと思っていた道が、なんだか方向が違っているようでザザは、ギディオンの背中に問いかけた。

「ああ、そうだよ。だがそんなに早く行かなくてもいいだろう」

「それはそうですが。ここはどこでしょうか? 大きな道ですね」

 ザザはいつもと違う景色を珍しそうに眺めた。

 パージェス古王国の首都パレスは、王宮を中心に放射状に大きな通りが伸びているから、道を間違えてもあまり迷うことがない。

 店が多く出ていて、人々の多くは間近に迫った霜降の節に向けて、買い物に余念がない。

「国軍の施設の地区の近くだよ。その手前に綺麗な公園がある。ザザはいつも一本隣の道を行くだろう? 判で押したように毎日同じ。用心深いのはいいが、俺と一緒の時くらい違う道を知ればいいと思って」

 ギディオンはにやりと笑った。確か最初の頃、狭い城中で迷ってしまったことがあったので、からかわれたのだ。

「通り慣れた道が一番確実ですから。人もお店も多いですし」

 どこまでも堅実かつ慎重なザザは、確かに魔女らしくない。でも、それがザザなのだ。

「確かに、人ごみだと迷子になりやすいな。今は手をつないでおこう。公園に行けば人は少ない」

 そう行ってギディオンは小さく握られている手を取った。

「……はい。でもいいのですか? お家の方々をお待たせしているのでは?」

「夕方には着くと言ってある。天気もいいし、少し歩きたい気分だ。寒いがザザは平気か? 手が冷たい」

「大丈夫です」

 そう答えながら、何か家に帰るのを延ばしたい理由がギディオンにはあるのだろうか、とザザは思った。

 道は商店のある区画を過ぎて左に折れ、幅が狭くなる。すぐにこんもりとした公園が見えてきた。向こうには飾り気のない堅固な建物が並んでいる。

 あれが軍の建物なのだろう。

 急に人通りもまばらになったが、その時。

「セルヴァンティース指揮官殿!」

 向こうから声をかけてきたのは大柄な兵士だった。正規の軍服ではなく略装をしている。

 以前、離宮の食堂で会ったことのあるデルスと言う男だ。

「お久しぶりです! 泉の離宮以来ですね。あ、またそのお嬢さんを連れていらっしゃるんですね」

 デルスは嬉しそうにギディオンに声をかけ、ザザにも笑いかけてくれた。

「今日は非番でありますか?」

「ああ、今日は休みなんだが、最近運動不足気味でな、この娘を家まで送っていくついでに散歩と洒落こんだ」

 ギディオンは好奇心もあらわなデルスに、言い訳がましく聞こえないように説明する。  

「運動不足? なら、これから稽古をつけていただけませんか?」

「稽古?」

「ええ、俺もここ一ヶ月は王宮夏門の衛士をしているんですが、どうしても王都勤務じゃ体が鈍ってしまって……久しぶりに暴れたいなぁって思っていたところなんです」

「しかし、ザザもいるし……」

 と、言いつつギディオンも満更ではなさそうである。これは武人のさがと言うものか。

「練兵場はすぐそこだし一番やりましょう。お嬢さんも見たいでしょ? セルヴァンティース指揮官殿はとても格好いいんだよ」

「はい! お稽古、見たいです」

 ザザは勢い込んで言った。

「だったら決まりだ。指揮官殿、たまには俺たちの相手をしてくださいよ」

「だが、ザザ。周りはむくつけき男ばかりだぞ。きっとびっくりする」

「もうへいきです。是非連れて行ってください、デルスさま」

「はいはい」

 そう言って腕をザザに差し出すデルスに、ギディオンはずいと体を差し入れた。

「おい! 手を握るな。この子は男に慣れてないんだ」

「これは失礼しました、指揮官殿。随分ご大切にしておられるようですなぁ」

「無論だ。この娘はこう見えて薬学の権威なのだぞ。だがまぁ……仕方がない、時間も早いし相手をしてやる。けど覚悟しろよデルス。手加減しないぞ」

「そうこなくっちゃ! では参りましょう」

 公園には後で行くことにして、通りをそのまま真っ直ぐ歩くと大きな建物が見えてきた。

「あそこが練兵場だよ」

「……大きいですね」

 練兵場は王宮と違い、装飾的な部分はほとんどないが、大きさだけならフェリアの紅桜宮よりもずっと大きい。

 通りにはあまり人影はなかったのに、一旦門を入ると、たくさんの騎士や兵士が行き交っている。馬もいた。しかし一般の兵士ばかりで、近衛騎士の姿はほとんど見えなかった。

 そして、すれ違う彼らはほとんど全員、ギディオンに丁寧に挨拶をしてきた。やはりここでも彼は尊敬されているようだ。


 いくつかの廊下や部屋を通り抜けた後、一際天井の高い大きな部屋入る。

 周りの壁にはたくさんの木剣や防具が掛けられていて、どうやらここは剣術専用の訓練場のようだ。四方を取り囲む回廊には観覧席まである。

 その空間に様々な声や音がこだましていた。

 床はない。土が踏み固められた地面の上では何人もの兵士が向き合い、木剣や棒で手合わせをしている。

 その一角にザザは見知った顔を見つけた。それはデルスも同じだったらしく、大きな声で呼ばわる。

「フリューゲル! 久々だな。すっかり王宮の水が口に合ったと思っていたぜ」

「俺はモテるんでね、なかなか体が空かないのさ。せいや!」

 フリューゲルは気合と共に、相手の剣を絡めとって打ち負かすと、礼をすませてこちらにやってきた。

「今日はセルヴァンティース指揮官殿もご一緒ですか?」

「ああ、デルスがどうしても俺にされたいというんでな」

「ははっ! そりゃあいい。すぐに始められますか?」

「この一番が終わったらやるか」

「そうですね」

 この一番とは、現在真ん中で行われている演習のようだった。二人の剣士が相対している。一人は山のような大男、一人は中背の男だ。二人とも一歩も引かずに木剣を交えている。木製といえども、打ち合えば大きな音がして、ドーム中に響き渡った。

 剣の戦いを見るのが初めてのザザは、固唾を飲んで二人の男を見つめた。

「ザザ、どっちが勝つと思う?」

 耳元で囁いたのはギディオンだ。

「……大きな人が有利だと思います」

 背の高さも腕の長さも、相手よりもふた回りも大きい。大きい方が強いと考えるのが普通だろう。

 剣を打ち下ろす力がすごいので、中背の男は受けるので精一杯に見える。

 いくらザザが戦いのことを知らないと言っても、そのくらいはわかった。

「違うな」

「え?」

「よく見てみなさい。大きい男は自分の体格を頼んで、大振りが目立つ。一見激しく攻撃しているように見えるが、太刀筋が紋切り型で予測がしやすい。相手の男はそれがわかって受けている。わかっていることを大男に悟らせないように押されているふりをしながら、隙を狙っているんだ。もし実戦だったら、もっと細かい斬撃を入れるだろうが、これは稽古で木剣だから、決定的に負かさないと大男は負けたと思わないんだろう」

 こんなに饒舌じょうせつなギディオンは初めてだった。やはり、彼も戦士だからなのだろう、興味深そうに試合を見ている。ザザは黙って二人の試合に集中した。

 結果はすぐに出た。中背の男がよろめいて下がった間合いに、大男が大きく踏み込んで上段から剣を振り下ろしたが、身をかわした相手に利き手の肩を突かれた。

「勝負あった!」

 審判が手を挙げ、勝負は終わった。

「な?」

 ギディオンがにやりと笑う。次は彼とデルスの試合だ。

 革製の簡単な防具をつけ、木剣を選ぶと試合開始である。この二人の手合わせは興味深いと見えて、いつの間にか沢山の男たちが集まってきていた。

 準備を終えた二人は中央に進み出る。

「構え──はじめ!」

 カン! と鋭い音が鳴った。

 デルスはギディオンよりも大柄で、やや年下のようだ。体力に自信があるのだろう、意外に俊敏な足さばきで踏み込んだり、飛びすさったり変幻自在に動き回っている。さっきの大男と違い、繰り出す攻撃も変則的で太刀筋が読めない。ザザの素人目にもギディオンは防戦一方に見えた。

「……すごいな」

「ああ、どれだけ鍛錬したらああなれるんだ」

 周りで観戦している男たちから、ため息のような声が漏れる。これはデルスに対する賞賛なのだろうか? 

 息を詰めて見守っているうちに、次第に手数の多いデルスの表情に余裕がなくなってきていることに気がついた。

「そろそろかな?」

「いや、まだだろう」

 デルスは攻撃の手を休めない。多彩な技を駆使して、ギディオンが攻撃に転じないようにしている。ドーム内は木剣の打ち合う音のみが響き、窓から差し込む光に汗がひたりの粒となって散った。

 緊迫した空気が周囲の時間を止めている。男達の視線は二人の動きだけを追った。

 長い打ち合いが続いた。


 もしかしたらギディオンさまが、わざと長引かせている?


 ザザの目には、ギディオンがひたすら自分を追い込んでいるように見えた。

 血が巡るほどに、傷ついた左手の痛みが増していくはずだ。体に残った毒はそれほど容易く無くならない。

 痺れは痛みと変わって、体が熱くなるに連れて膨張する。

 ギディオンもそれをわかっているはずなのに、まるで自らを痛めつけているようだった。おそらく痛みは左手だけにとどまらず、肩から首へと広がりつつあるだろう。

 顔が歪む。汗の量が尋常ではない。

 

 そこまでしてなぜ?

 もうやめて! 


 ザザが思わず叫ぼうとした時。

「⁉︎」

 何が起きたのかザザにはわからなかった。ずっと見つめていたはずなのに、いつの間にかデルスの喉元に剣先がピタリと定まっていた。

「参った!」

 デルスが、がらんと木剣を放り投げて地面に座り込んだ。顔中から汗が吹き出し、ものすごい勢いで肩が上下している。

「ひぃ、ふぅ……やっぱり滅茶苦茶強いや。全然当たらない」

「いや、お前も腕を上げたよ。門の護衛と言いながら、かなり鍛錬していたな」

「そー……ですよ。実はものすっごく稽古……してたんですから」

「いや、なかなか楽しませてもらいました」

 フリューゲルがデルスを立ち上がらせながら言った。

「もっと早くに決着がつくと思ったんだがな。やるじゃないか、デルス」

「はぁ……これがもし実戦で、指揮官殿がまだ両刀づかいだったら、多分俺……瞬殺だった。本当にもう左手は使えないんですか?」

「ああ、日常生活では困らないが、剣は振れんな。どうしても握力が完全に戻らない。せいぜい六〜七割ってところか」

 ギディオンは左手を握ったり開いたりしながら言った。

「ああ……ザザさん、目からお水が出ていますよ」

「なに⁉︎」

 フリューゲルの言葉にギディオンが振り返ると、魔女は泣いていた。大きな黒い瞳から後から後から大粒の涙が溢れる。


 どうしてこの方は、そんなに自分を痛めつけるの? まるで自分に罰を与えているみたいに!


「ザザ」

「あーあ、指揮官殿。女の子泣かしちゃってぇ……」

 ギディオンとデルスの視線の先で、フリューゲルがザザにハンカチを渡そうとしている。

「お前はどっか行ってろ! ザザ、待たせてすまんな。行こうか」

 そう言うと、ギディオンはハンカチを受け取ろうとしていたザザを引っ張って、練兵場を後にしたのだった。




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