第48話46 魔女とあふれる気持ち 3
二人はずぶ濡れで家の中に駆け込んだ。
メイサが大慌てで二人を迎える。ギディオンがあらかじめ帰ると知らせてあったので、風呂の用意までできていた。
ザザはギディオンの勧めるままに先に湯を使わせてもらったが、やはり体が重いので髪と体を洗うと早々に上がった。体調が悪い時に長湯は禁物なのだ。しかし、髪が濡れたままでは具合が悪い。
そうと察したギディオンが「自分の部屋で髪を乾かしてきなさい」と言ってくれる。つまり、魔法を使えと言うことだ。
室内はそのままにされていたようで、少し離れていただけなのに、なんだか懐かしい匂いがした。暖炉の前で風を起こす。小さな魔法なので体力も奪われない。
私は認めてもらっている。
そのことが、ぞくぞくするほど嬉しい。
けれど、甘えていてはいけないとも思った。もしつなぎの印が真実結びの役割を果たすのならば、自分は他の魔法の要素も使える筈なのだ。体力が回復し次第、小さな試みから始めないといけない。無論、技に見合う知識も得ないといけない。
黒い目の中に暖炉の炎が揺れる。
ふと小さな炎が
え? 今の私がやったの?
風の魔法だけではこんな風にはならない。火を操れて初めて、炎の形状を変化させることができるのだ。
ザザは思わず胸の石を握った。暖かく感じるのは暖炉の前だからだろうか?
アレックスに魔法を使った時もそうだったが、自分のやりたい事が定まってから──正確にはギディオンと出会ってから、どんどん魔力が高まってきているような気がする。
それは修養の成果と、そしてこの石の
でも、喜んでいる場合じゃない。きっとこれからが始まりなんだ。
少し休憩して居間に戻ると、ギディオンは既に湯浴みを終えていて、晴々とした顔のメイサが夕食を並べていた。
「ザザさん、よかった。少し顔色が良くなりましたね。食べられそうなら少し食べたほうがいいですよ。スープとおかゆだけでも」
「ありがとうございます」
外は土砂降りの雨だと言うのに、この小さな空間だけはとても暖かい。
ザザは熱い粥を口に運んだ。
美味しいわ……。
体が食べ物を喜んでいるのがわかる。体が嬉しいと心に力が湧いてくる。それは魔力の関係があるのだろうか?
魔女はいざと言う時のために飢えに体を慣らし、飢饉に備えよってドルカから教えられたけど。こんなにご飯がおいしいなんて、私はやっぱり魔女としては半人前なのかしら?
「この雨だ。メイサも泊まっていかない?」
ザザがゆっくり食事を味わっている間にも雨は激しくなり、遠くから雷鳴までまでが聞こえてきた。
「ありがとうございます。でも、迎えを遣わしてくださるそうです。明日の用意もありますし。ね? ザザさん」
「はい?」
「私はとても嬉しいのですよ。だって、王宮の夜会にご招待されるなんて凄いじゃありませんか。王女様がドレスを贈ってくださるんでしょう?」
どうやら、メイサはすっかり知っているらしい。
「ザザさんのことは、私からよくお伝えしておきますから、安心して伯爵家においでなさいね。伯爵様はちょっと怖いかもですが、あとは皆優しい方ばかりです。病人様がいらっしゃるので、屋敷の中はいつも静かですよ。大丈夫です」
メイサは受けあった。
「ご病人が?」
「ああ、伯爵夫人がな」
ギディオンが答えた。伯爵夫人というのは彼の義母のことだ。幼い彼を
「お悪いのですか?」
「お悪いというか……もうずっと弱っていらして、今ではお部屋から出られることはありませんの」
「お気の毒に……」
「ええ、ザザさんがお会いすることもないでしょう。奥様に会えるのは娘時代からお仕えしている侍女二人だけですわ。ですからあまり気にされないように」
「はい」
「というわけでダンスや、社交のちょっとした作法なんかも全部お任せくださいね。二日間でみっちりお教えいたしますわ。いい先生がいますから」
そう言ってメイサはギディオンに目配せをする。ギディオンは二杯目の粥を平らげながら頷いた。
「義姉上なら、安心だ。俺がいない間しっかり教わるといい」
「サルビア様とおっしゃるんですよ」
「ギディオンさまはお屋敷に戻られるのですか?」
「ああ、明日だけな。一晩泊まったらまた王宮に詰める。霜降の節で王宮に人が多くなるので、フェリア殿下のご身辺を守らねばな」
「フェリアさまのご様子は?」
「いろいろ大変だろうに懸命に耐えておられる。お若い姫君なのに、素晴らしい……見上げたお方だ」
「……」
そう言うギディオンの目には、ザザを見る時とは違う、深い愛情のようなものが垣間見れた。ザザにはそう見えたのだ。
「夜会もご一緒なのですね」
「ああ。俺の桜花宮での最後の仕事になるかもしれない。しっかり努めねば。俺は付き添えないが、ザザも夜会では気をつけるんだぞ。特に……あのお方にはな。フリューゲルにでも護衛を頼むか」
ギディオンは先ほどとは違って難しい顔で言った。それを見てやはり自分は厄介ばかりをかけるのか、とザザは悲しくなってしまう。
「……いいえ、大丈夫です。気配を隠すのは得意ですから。ギディオンさまはフェリアさまをお守りしてください」
その時、窓から外を眺めていたメイサが戻ってきた。
「表に馬車が参りました。では私はひとまず失礼いたします。ではザザさん、明日また」
ギディオンがメイサを馬車まで送って戻ってくると、ザザは机に突っ伏して眠っていた。
手にはスプーンを握ったままだ。
「よしよし、疲れたな。無理もない」
ギディオンがザザの肩に手を置いて話しかけると、魔女はうっすら目を開けた。
「ギディオンさま……?」
「いい。部屋に運んでやる。ゆっくり休め」
ギディオンは膝裏に腕を差し伸べて、座った姿勢のままザザを抱き上げた。
「……今日はおんぶや抱っこされてばかりです」
「そうだな。でもいいじゃないか。こんなになるまで頑張ったんだから」
寝台に下ろされたザザはぼんやりと周囲を眺めた。いつの間にか靴まで脱がされている。
「暗いが大丈夫か?」
ギディオンがそう言った途端、稲妻が走り壁が青白く光った。続いて地響きのような雷が轟いた。
「雷……ちかい……」
「怖いのか?」
「雷は……怖くありません。魔女だから……でも」
「ん?」
「少しお話……してください」
ザザは掛けられた上掛けで顔の半分を隠しながら言った。部屋が暗いせいか、遠慮や羞恥に負けないで素直に口に出せたのだ。
「……どんな話がいい?」
「なんでも……本当のお母様のこと、はダメですか?」
「構わないよ。でも覚えていることは少しだけなんだ。いつも陽気で踊るように歩く人だったな。こんな石の館ではなく、風の吹き渡る草原が似合うような……歌もうまくて、二人きりの時にはよく歌ってくれた。そういえば、あの人の髪も濃い色だったな。ザザのように真っ黒ではないが」
「ギディオンさまは歌を歌わないのですか」
「俺の歌なぞ聞けたもんじゃないぞ。そもそも歌など知らない」
「それでも聞いてみたいです。お母さまの歌ってらした歌」
「そうだな、いつか……不思議だ。こんなに薄暗いのに、ザザの瞳の黒さだけが鮮やかに見える」
「……そう、ですか? わたしは、ギディオンさまの青い目が……好きです」
いつか全部フェリアさまのものになるのだとしても。
もっと話していたくて、ザザは懸命に目を開いていようとした。
「どこにでもある色だろ」
差し込む閃光が一瞬、ギディオンを白く見せ、瞳の青だけが白い闇に浮かんだ。
「いいえ、森の泉の……いろ。きれい……」
「俺はザザの」
続いて響いた雷鳴がギディオンの言葉をかき消してしまった。寝ぼけた視界では唇の動きまで読みきれない。
……もっと声を聞きたいのに。
しかし、努力の甲斐なく目蓋がついに被さってしまう。大きな雨粒が窓を叩き続けている。その音でさえ眠りの妨げにはならなかった。
「ザザ? 眠ったか?」
しばらくしてギディオンが囁いたが、
「不思議だ。こんなに暗いのに、なぜかお前の姿だけはよく見える」
洗い髪が敷布に乱れている。その髪もびっしり揃ったまつ毛も黒い。
「黒がこんなに美しい色だったとはな」
口元を覆った上掛けをどかすと、小さな鼻と唇が現れた。一気に深い眠りに入ったのか、安らかな吐息が漏れている。
「小さな森の魔女……」
そっと唇を重ねた理由が、庇護欲なのか、別の何かなのか、ギディオンにはわからなかった。
ただ、そうせずにはいられなかったのだ。
額にかかった髪をどけてやる。
この白い額にあの不思議な魔女の印が現れるのだ。最初は忌むべきものだったはずだが、今は彼女が縛られる魔女の
魔女とは何か、まだ俺にはわからないことが多すぎる。だが──。
「もう少しだけ俺の隣にいてくれないか、ザザ」
男は柔らかな頬を指の背でそっと撫で、静かに部屋を出た。
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