第47話45 魔女とあふれる気持ち 2

「顔色がひどく悪いな」

  ギディオンは体を支えたまま顔を覗き込んだが、青白かった頬に今はほんのりと朱が差している。

「だいじょうぶ、です」

「ザザの大丈夫は信用しないことにしているんだ」

 そう言うと、ギディオンは背中を見せて屈んだ。

「ほら」

「え? なんですか?」

 ザザは訳がわからないように目の前の広い背中を見つめた。

「おんぶを知らないのか?」

「おんぶ?」

「ああ、もう!」

 一声あげたギディオンは。ぽかんとしているザザの足を救い上げ、ひょいと立ち上がった。

「きゃっ!」

「これがおんぶだよ。されたことない?」

「な、ないです」

 急に高くなった視界に、ザザは面食らった。頭がギディオンとほとんど同じ高さにある。

「どうだ?」

「……恥ずかしい、です」

 自分のお腹とギディオンの背中がぴったりくっついている。スカートで隠れているとはいえ、足も開いてかなり恥ずかしい格好だ。

 ザザが慌てている間にギディオンは「帰ろう」と言ってすたすたと歩き出した。

 動くと、ぴったりくっついた腹と背中、膝裏の硬い腕を嫌でも意識してしまう。布を隔てはいても、筋肉や関節の動きが伝わり、なんだか落ち着かない。

「恥ずかしいなら外套がいとうを引っ張り上げてろ」

 ザザの緊張が伝わったのか、ギディオンは笑いを含んだ声で言った。大きなフード付きの暖かい外套は薬草苑に入る時にギディオンから貰ったものだ。

 それは真っ黒で裾が長く、今は仕舞われている魔女の服を思わせる。

 ザザはフードを被り少し安心して、いつもと違う視界に目を向けた。


 地面が遠くて視界が広い。ギディオン様は、いつもこんな世界を見ておられるのね。


 木の枝が頭のすぐ近くで揺れていて、風の温度や強さまでもいつもと違う気がした。そして風はもう冷たくは感じなかった。

「……いろいろすまなかったな」

 前を向いたままのギディオンがそんなことを言った。

「刺客のことも、犬……アレックスのことも、本来ザザにはなんの関係もないことだ。それなのに俺は随分とザザに無理をさせてしまった……体が辛いのだろう?」

「辛くなどありません。ギディオンさまこそ、おー……おんぶなどして腕は痛みませんか? 重いでしょう? わたしなら大丈夫です。歩けます」

 ザザは負傷したと言う、彼の左手を心配して尋ねた。

「ザザの重さなど、子猫ほどのものだよ。それよりもやっぱり少し痩せてしまったな」

「すぐに元に戻ります。食べることが生きていくための義務ではなく、楽しく豊かなことをわたしは学びました。ギディオンさまが教えてくださったのです」

「食事だけでなく、これからもザザは自分のしたいことをして、好きなように生きていいんだぞ。魔女だってことを除けばザザは普通の娘だ」

「好きなように生きています」

 ザザは藍鉄色の後ろ髪に向かって言った。

「わたしのやりたいことは、ギディオンさまのお役に立つことです」

「全く……ザザはぶれないな。だが、それは俺がザザの主だからだろう? 魔女のしがらみでそうなってしまったのだろうが、俺にしばられることはない……俺も縛るつもりはない。ザザはいい加減、主と魔女の隷属れいぞくから解放されるべきだ」

「柵ではないし、解放されたくもありません」

「強情だな」

 苦笑とともにギディは呟いた。

「……申し訳ありません」

「だが俺は……」

「はい」

「ザザとは主従などという、そんな垂直な関係ではなく、もっと……」

 ギディオンの歩みが緩くなり、通りから外れたところでついに立ち止まってしまった。

「……もっと?」

「そうだな。もっと……豊かな関わりがしたい。例えるなら対等な水平の関係だ。魔女でなくても、ザザは俺にはない尊敬すべき点がいくつもある」

「尊敬?」

 意味がわからなくてザザは首を捻る。尊敬とは敬意を払うと言う意味ではなかったか?

「わたしを尊敬、ですか?」

「そうとも。ザザを知る程に良い娘だとわかる。優しくて努力家で、そして強い。全く見上げたお嬢さんだよ」

 ギディオンは首を捻ってザザに横顔を見せた。直線でできた彫刻のように端正な顔が、笑っていても少し曇っているようにみえる。

「ギディオンさまはお疲れなのでは?」

「いや、そんなこと……でも、そうだな。もしかしたら俺も疲れているのかもしれない。体ではなく心がな。実は今日これからと、明日は休みをもらった」

「それはよかったです。ずっと前からお城に詰めていらしたから……でもあの、ギディオンさま?」

 再び歩き出したギディオンは、ザザの見慣れた道とは逆の方向に進んでいく。

「なんだ?」

「薬草苑への道順が違うようですが」

「苑へは戻らないからな」

「え?」

「戻ればザザは、なんだかんだで立ち働いてしまうから、きっとゆっくりできないだろう? だから今から俺の家に戻る。ウェンダル殿には連絡済みだ。快諾してくださったぞ」

「これからギディオンさまのお家に?」

 ザザの心臓がどくんと鳴った。

「ああ。それから明日は俺の実家に連れて行く」

「明日、ですか?」

「そうだよ。嫌か? 今、体が強張った」

 ギディオンが首を捻る。

「いえ、でも本当にわたしのようなものが逗留しても大丈夫なのでしょうか?」

「ああ。広い割に人は少ないから、ザザが気を張る必要はない。だが、嫌なら」

「いいえ! よろしくお願いいたします!」

「俺も帰るのは一年ぶりくらいだ。それほど遠くもないのに薄情なものだな」

「一年もお家に帰られなかった?」

「ザザも聞いたのだろう? 俺は庶子だ。父親が地方に出向中に、芸人の母との間にできた子でな。父は俺と母を探し出して、迎え入れてくれたのはいいが、五歳の時に母が俺を伯爵家に残して去ってしまった」

「お母様が?」

「ああ。踊り子だった母は、堅苦しい貴族の家と、正妻である伯爵夫人に我慢できなくなったのだろう。だから子どもの頃は遠慮があって、いじけた少年時代を過ごしたんだ。俺が根暗なのはそのせいだな」

「そんなことはありません!」

 根暗が何かはわからなかったが、自虐的な言葉だと悟ったザザは、ギディオンの言葉を即座に否定した。

 二人は冬門の脇の小門を潜った。

 顔見知りの兵士がさっと敬礼をし、それから彼の抱えた背中のザザをびっくりしたような目で見送っている。しかし、呼び止められはしなかった。

「お家が好きではなかったのですか?」

「好きと言うか、こんなものだと思っていた。当然ながら義母には疎まれていたからな。ただ、父や兄は分け隔てなく接してくれた。もともと無口な人たちでな。でも、伯爵家には頼りたくはなくて、中等学校を出たら直ぐに士官学校に入ったんだ」

「ご立派だと思います」

「軍隊は楽だった。やることが決められていたから。俺はザザには好きなように生きろと言ったが、俺には自分のしたい事がよくわからない。したい事というよりも、しなくてはならない事やするべき事、あるいはしろと言われた事ばかりやってきたから」

「それはみんな同じでしょう? 組織に属すると言うことはそう言うことなのでは?」

「ザザはやっぱりすごいな!」

 ギディオンは声に出して笑った。

「然り。ザザは森で自由に生きていたのに、なかなかに鋭い」

「人目から逃げて生きることは自由ではありません。わたしは今の方がいいです。ギディオンさまという素晴らしい方に出会えたのですから」

「素晴らしい? 全然違う。くそつまらない人間だよ俺は。だが、ザザを見倣みならおうと思う」

「見倣う? わたしなどを?」

「ああ。俺は近衞騎士を辞めるつもりだ」

「え?」

 それはフェリアの護衛をやめるということである。

「霜降の節が終わったら、俺は国軍、国境軍に戻る。せっかくザザが元凶を突き止めてくれたんだ。俺はそれを探し出し、後顧の憂いを断ちたいと思う」

「ウェンダルさまはギディオン様が優秀な武人だから、戦に駆り出されるのだとおっしゃっていました」

「駆り出されるのではない。自ら禍根かこんを断ちに行く。それに俺は英雄になりたいわけじゃない、もっと利己的な理由で行くんだ」

「利己的?」

 意外な言葉にザザは驚いた。道はもう通りを折れ、ギディオンの家はもうそこだ。

「そう、言ったろ? 俺もザザを見倣って自分のやりたいように生きたいのさ。ようやくそれが見えてきた気がする」

「やりたいこととはなんですか?」

「内緒だ。この厄介ごとを収めたらザザにも聞いてもらうよ」

 

 それはフェリアさまのお婿さんになるということでしょうか?


 ザザの胸は鉛を飲み込んだように重くなった。しっかり支えてくれる背中を、自分は失うことになるのだろうか?

「急ごう。きっとメイサが食事を作って待っている。今日はもう何もしないでゆっくり休もう」

 ギディオンがそう言った途端、ぽつりと額に落ちかかるものがあった。あっという間に雨は大粒となって石畳を叩きつける。

「こりゃいかん! ザザ、走るぞ!」

「はい!」

 さっきまでの重い足取りを忘れたように、ギディオンは勢いよく走り出す。空はもう真っ暗だ。

 笑うような状況ではないのに、なぜかザザの心は浮き立っている。


 魔女が森から出て三月みつきが経とうとしていた。




   *****


ダメもとで、この作品と「呪われ姫」「少尉さん」をカクヨムコン9にエントリーしてみました。(近況ノート参照で)

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