第46話44 魔女とあふれる気持ち 1
「……
ギディオンは主筋たる王太子に鋭く尋ねた。瞳に
霜降の節とは、年に二回ある節目の行事で、パージェス古王国の重要な祭である。
秋から冬への季節の狭間、満月の日が選定され、収穫への感謝の祭や月見の
中でも最大規模のものは、王宮前広場で行われる式典だ。
その年に採れたたくさんの作物や肉、酒や菓子類までもがふんだんに飾り付けられ、その年の収穫に感謝する祈りが捧げられる。そしてその後、王宮前広場に集まった人々に国王からの祝辞と労いの言葉がかけられるのだ。
それが昼間の儀式である。
「宵の口からは王妃主宰の夜会が開かれる。フェリアから話があると思うがギディオン、君は夜会で彼女をエスコートすることになる。そして私はザザを伴いたい」
「とんでもない! 殿下の婚約者殿はどうするんです!」
ギディオンは気色ばんで叫んだ。
無論レストレイには婚約者が定められている。北に位置する友好国の姫君である。
レストレイは、相手が歳若いことを理由に伸ばし伸ばしにしてきたが、来年の夏頃にはついに成婚することが決定している。王太子宮では半年後にむけて準備がどんどん進められているのだ。
その姫君は、霜降そうこうの節せつ王宮で行われる儀式にも招待されている。無論その夜の宴にも。
「だからさっきから顔が怖いんだよ、君。落ち着きたまえ。もちろん、ずっとザザと過ごす訳じゃないさ。可愛い私の
レストレイはなんでもないことのように言った。
「承服しかねます。バレたらどうするんですか! なによりザザにそんな浮ついたことをさせるわけにはいかない!」
「何で私がザザと過ごすと浮ついたことになるんだい。まるで悪者じゃないか。私は少し珍しい魔女のお嬢さんとひととき語り合いたいだけだ。それに絶対にバレないさ。王宮の主庭園は広大だ。そして私は隅々まで知っている。どんな隅っこも、抜け道もね。昔よく抜け出してたから。だから私も庭園も安全だよ」
言葉とは裏腹に、レストレイはいかにも昔から悪いことをしてきたように見えた。
「なにが安全ですか! ザザ、そんなこと嫌だよな! この方は嫌だといえば、無理強いはされない人だ」
「いいえ。わたしは王太子殿下とお庭を散歩をいたします」
暗に断わりなさいという、ギディオンの言葉にザザはきっぱり言った。
自分が王太子の言うことを聞かないと、ギディオンの立場が悪くなるかもしれない。それくらいならなんでもできる、とザザは思ったのだ。
迷いなどない。
「ザザ! 言葉通りに受け止めてはダメだと言ったろう!」
「散歩いたします」
まさかと言うような顔の主に、ザザはしっかり頷いた。レストレイが上機嫌でザザの手を取る。
「決まりだな」
「はい」
「……くそ、しようのない。ですが、この娘に無体なことはなさらないでくださいよ」
ギディオンは、素早くザザの手をレストレイからひっぺがしながら念を押した。
「おいおい。私が女性に無体だったことがあるか?」
「私はあなたの女性関係の全てを知っている訳ではないですから。それでも、少し聞きかじった普段のご様子から申し上げております。約束してください。ザザが怖がるようなことはしないと」
「ザザ。私は君が怖がるようなことはしない。だから私と夜会のひと時をご一緒ください。これでいいかい?」
レストレイは優雅に頭を下げて見せ、ザザは緊張しながらもそれを受けた。
「承知いたしました。夜会とは何かよくわかりませんが、当日までに勉強いたします」
「良い心がけだね。さぁ、疲れただろう、長々と悪かった。まだ朝だけれど、今日の仕事はもうこれで終わりだ。侍女を寄越すからザザはもう休みなさい。では、ザザ。また直ぐに会おうね」
そう言ってレストレイは、怖い顔をしているギディオンを伴って部屋を出て行った。
翌日の昼過ぎ、親しい者のみでアレックスの埋葬が行われた。
フェリアはもう涙を見せずに小さな棺に最後の土をかぶせ、桜の若木を植えた。
「春になれば花が咲くわ。私の部屋からもよく見えるから寂しくないわね」
自分に言い聞かせるようにフェリアはつぶやき、小さな葬儀は終わった。
この日は昨日までと打って変わって、冷たい秋風が吹き天気も悪い。皆がフェリアを促して宮の中に入っていくのを、少し離れてザザは見守っていた。
その後、桜花宮を辞すためにザザが挨拶に行った時、フェリアから正式に霜降の節への招待を受けた。
「ザザにはすっかりお世話になったから、ぜひお礼をさせて欲しいの。ドレスを贈るから夜会に出席してちょうだい」
「ありがとうございます」
既に聞かされていたことなので、ザザは謹んで礼を述べた。
「既製品になるけど、きっと気に入るようなものを選ぶから。間に合うように直させるわ」
「ですが、姫様。この方には夜会でも誰も知り合いがいませんわ。ダンスも社交もできないのでは、壁際で寂しい思いをするのではないでしょうか?」
女官のエリーシアが気の毒そうなふりをしてザザを嘲った。他の女官達も頷いて同意する。侍女のキンシャとセリカは、入り口近くに控えながらザザを心配そうに見守っていた。
久しぶりに顔を合わしたので、二人にも挨拶をしたいと思うザザだったが、この部屋では不用意な言動は許されないと言うことはザザも、もう学んでいる。
「お化粧やドレスの着付けはどうされますの? 私たちはフェリア様のお支度を致しますし、侍女たちも忙しいからあなたにまで手が回りませんわ」
エリーシアはザザを見下ろして言った。
「それは……その、着付けはギディオンさまのご実家、セルヴァンティース伯爵家でしてくださることに」
「まぁ!」
声を上げたのはフェリアだ。
「あなた、ギディのおうちに住むの? ずっとこれから?」
「えっとあの、そうではなくて、お祭りの前日まで滞在するようにと言われました。終わればまた薬草苑に戻ります」
「いいなぁ。私も行ってみたい」
フェリアは夢見るように言った。
「でも、ザザ」
そこでフェリアは珍しく笑顔を引っ込めた。
「あなたに限って大丈夫だと思うけど、ギディを好きになってはダメよ。多分ギディは、私の恋人になってくれると思うの」
「私は」
ザザは胸にずしんとくる重いものを感じながら、努めて平静を装った。
「私にとってギディオンさまは、お仕えするべきあるじです」
「そう? なら大丈夫ね。だってギディったら優しいでしょう? 素敵だし、強いからたくさんの女の子が狙っているのよ、ね? エリーシア」
フェリアはエリーシアにも牽制の小さな矢を放った。どうやらアレックスの死を乗り越えたことが、末王女の殻を破ったようである。
「ギディオンさまに選ばれる女性は幸せでございましょう」
エリーシアは殊勝に答えた。
「本当そうね。……じゃあ、ザザのドレスはセルヴァンティース家に届くように手配しておいてね、エリーシア」
「……かしこまりました」
顔を伏せて承ったエリーシアの唇が、歪んでいることに気が付いた者は誰もいなかった。
「ちょっとザザ、気をつけなさいよ」
ザザが薬草苑に戻ろうと廊下に出たとたん、キンシャとセリカが話しかけてきた。
「気をつける……ってなんですか?」
「もう! ザザッたら相変わらずね。少しは警戒なさいよ。エリーシア様は何もかもが気に食わないのよ。ザザが桜花宮にいることも、夜会に招待されたことも、ギディオン様のご実家に出向くことも、何もかも」
「ですが、わたしは貴族ではありません。そんな者が、王宮の大きな行事に招かれるのが面白くない方がいても理解できます」
「それもあるけど、エリーシア様はギディオン様のことが好きなのよ。あの方えり好みが強いでしょう? ギディオン様なら自慢のお婿さんだもの」
「お婿さま……」
ザザは小さく呟いた。最近その言葉をよく聞く気がする。
なんだか嫌な響きの言葉だわ。胸がざわざわして不安になる。
「でもギディオン様は、お家を出られたって噂よ。それにひょっとしたら王室に迎えられるって噂もあるわ。つまりフェリア様の……」
「確かにフェリア殿下はギディオン様にゾッコンよね。だけど、エリーシア様のお父上だって大臣でいらっしゃるし、強引に迫ればいいと思っているんじゃないの?」
「なんだかんだでギディオン様は女性におもてになるのよねぇ……わかるけど。ギディオン様は伯爵家の次男だけど、ご容姿だって素敵だし、国中に聞こえた武人だから、入婿に望まれるお家は多いのよ」
「私たちだって憧れてるわ。だから、そんな方のお家に入れるなんてなかなか貴重な機会よ。でもザザ、あんまり期待しちゃだめよ」
「期待?」
「ギディオン様だって、伯爵家の御次男だわ。フェリア殿下の入婿はともかく、いずれしかるべきお家に入られるに決まっているもの」
「あら、向こうからエリーシア様が来るわ。一層機嫌斜めみたいよ。退散しなくちゃ。じゃあね、ザザ。夜会で会いましょう」
「楽しみにしています」
やっと解放されたザザは裏門からそっと桜花宮を出た。
珍しく体が重い。
魔女の常として普段から睡眠時間は短い方だが、刺客やアレックスの件で続け様に魔力を使い、おまけに慣れない王宮、それも王女や国王夫妻達と気の張るやり取りをしたせいで、心身の疲労が極まっていた。
だんだん悪くなる天気のせいもあるだろう。雲が垂れ込めるように伸しかかり、また薄暮だと言うのに秋の陽は酷く色褪せている。
俯きながら建物の裏道をたどっていると、どんどん視野が狭まるように感じた。
そう言えばこのところ食事もほとんど取っていない。以前なら慣れたものだったが、王都にきてギディオンやウェンダルの管理のもと、規則正しい食事の習慣がついてしまって、体が贅沢に慣れてしまったようだ。
足元がふらつく。
大丈夫。帰ってすぐに横になれば回復するわ。
と思っているのに、角を曲がったところでふいに視界が斜めに傾いた。
転ぶ! と思った時には固いものが体を支えてくれていた。
「ギディオンさま!」
「この道を通ると思って待っていた」
疲れたようなギディオンの声だ。
「……待って、いた?」
灰色の視界の中で彼の目だけが青かった。
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