第44話42 魔女と王宮 4

「ねぇ君」

 レストレイはすらりとした足を組み替え、ひたすら萎縮いしゅくしているザザを覗き込んだ。

「ザザ、だっけ? 君は誰だい? そしてギディオンの何? 恋人?」

 その言葉にギディオンがはっと顔をあげる。

「王太子殿下! この娘はそんなものでは!」

「いいから君は落ち着いて座っていなさい。いつまで片膝ついているんだい。もう気を遣う相手は帰っただろう?」

 まだ一人大物が残っていると言いたげに、しかしそれでもギディオンは大人しく立ち上がって、さっきまで国王が座っていた椅子に腰を下ろした。

 いつの間にかアンヌや他の侍女も姿を消している。ザザが俯いている間に人払いをされたようだ。


「私は不思議だったんだよ、どうして君のような娘が、こんなところに普通に混じっているのかがね……」

「だからそれは」

「わかっている。私だって前の報告書は読んだよ。なんたって可愛い妹が溺死しかかったんだからね。でも、あの報告書は君が書いたものだろう? 君らしい合理的で無駄のない記述の中に、少しだけ曖昧な点があったのが気になってね。何か書かれてないことがあるんだろうと思ったんだよ」

 レストレイは謎のような言葉を吐いた。

「何が、でございますか? 私は客観的な事実は全て記述いたしました」

「そうかな? 例えばこのお嬢さんが、珍しい夜のような瞳や髪を持っているなどとは、一言も書いてないね。風体ふうていや態度などは書かれていたのにね」

「そんなことは大したことではないでしょう?」

「そうかな? こんなに黒い髪と目は、この国ではほとんど見ないのにねぇ。いいからギディオン、もう君は黙れ。私はこのお嬢さんと話がしたい」

「……っ、くれぐれもご配慮をお願いします」

 ギディオンはそう言って悔しそうに押し黙った。

「さて、ザザ嬢。そんなに怯えなくて良いからね。私はそんなに怖い男じゃないよ。さぁこれでも食べて」

 いきなり目の前に差し出された皿に驚いて、ザザはようやく隣に座っている王太子を見上げた。皿の上にはお茶受けの焼き菓子がのっている。真ん中にクリームが挟まった綺麗な菓子だ。

「ほら、美味しいよ。お茶も飲んで。ああ、すっかり冷めてしまったね。ギディオン、れ直しなさい」

「それなら私が!」

 と、勢いよく立ち上がったザザは、すっと伸びてきた長い腕に再びぽすんと座らされてしまった。

「あ……あの?」

「私は君と話がしたいんだよ。お嬢さんは座っていなさい。そしてこの男はお茶汲みも、閨事も器用にこなす。腹が立つほどに」

「ネヤゴト?」

「ザザ、耳をかさなくてもいい」

 おろおろするザザの前で、表情を消したギディオンが手際よく新しい茶を三人分注ぐ。湯はたっぷりあったので冷めておらず、カップからは湯気が立ち上った。

「うん。良い香りだ。さぁ、どうぞ」

 王子手ずから渡されたカップを断るわけにもいかず、ザザは芳しい茶にそっと唇をつけた。主の淹れた茶など飲むのは初めてのことだ。

 ほのかな甘みが喉を通ってお腹を温める感覚に、ザザは少しだけ緊張を解くことができた。そして、斜め前に座ってる王太子レストレイをそっと眺めた。

 彼は椅子の肘掛けに頬杖えをついて長い足を組んでいる。

 崩れた姿勢だが、どこをとっても非常に優雅だった。王妃によく似た細面の顔を華やかな金髪が取り囲んでいる。紺色の瞳は、光を吸い込むと菫色にも見えた。


 美しい男だった。

 王家の人たちは一様に皆美しいが、レストレイとフェリアは兄妹と言っても、雰囲気がまるで違う。同じところは金色の髪くらいだ。と言っても色だけで、髪質はまるで違うのだが。まっすぐとふわふわと。

「この度のことでは気を揉ませてすまないね。今だけ付き合ってくれたら、後はゆっくり休ませてあげよう」

「は、はい。大丈夫です」

「でね、さっきの質問なんだけどね。君は誰なの?」

「わ、わたしは……ギディオンさまにお仕えする者です」

「仕える? 使用人として?」

「使用人にもなります。命の恩人なのです」

「ああ。この夏の出来事は聞いている。森で暮らしていたんだね。もともとは君がフェリアを助けてくれたんだろう? 礼を言うのが遅くなったね。ありがとう、妹を助けてくれて」

「いえ、当然のことでございます」

「で、この彼ともそこで出会ったと言うわけだ」

「はい、左様でございます」

「ふぅん」

 レストレイは意味ありげにギディオンを見た。

「この融通ゆうずうの効かない男が女の子と一緒に暮らしていると聞いて、私はいろいろ勘ぐったんだけどもね。こうして見ていると今のところ、ザザ嬢の言葉に嘘はないようだ」

「私もザザも嘘は申しません」

 ギディオンは硬い声で応じた。

「ザザ嬢。知っていると思うけど、負傷して国境軍の第一線を離れたギディオンに、近衛隊に入るように勧めたのは私なんだよ。彼の功績や人物はよく知っていたからね」

 ザザは頷いて次の言葉を待った。

「私は視察で南部地方を訪れていた。そこでまぁ、街中で色々とね……調査していたら、この男を見かけてさ。驚いたよ。先のアントリュースの戦いで一番の功労者で英雄が、場末の居酒屋で安酒を飲んでいたんだからね」

「……調査だったのですよね?」

「もちろん調査だよ。市井しせいの」

 レストレイはけろりと言った。

「……」

 ザザはなんと返して良いか困った。ちらりとギディオンを盗み見ると、彼は眉間に不穏なものを漂わせて目を閉じている。

「そんな怖い顔をするなよ。ザザ嬢が困っているぞ」

「……」

 そう言われてやっとギディオンは目を開けた。

「あの夜は楽しかったな。居酒屋の二階の汚い部屋で朝まで痛飲したっけ」

「いくら帰ってくださいと言っても、聞いてくださらなかったのでは?」

「民の暮らしを知るためだからね。必要な羽目はずしさ。で、彼が鬱々としている理由を聞き出した私は、この男を近衛に口説いたってわけさ。近衛はまず前線には立たない王宮警護の軍隊だから、しばらくのんびり王宮勤めをすればいいと」

「それで近衛に」

 ようやくザザは理解できた。

「彼ほどの男を使わないなんてもったいないじゃないか。なかなか首を縦には振ってもらえなかったけどね。なんとか口説き落として連れ帰ってきたら、今度はフェリアが彼を欲しいと言う」

「……」

「フェリアはアントリュースの勝利を祝うパレードで、列の一番後ろを進むギディオンに目が吸い寄せられていたそうだ。傷ついた男の色気ってやつかな?」

「よくわかりません」

 ザザは首を捻った。

「私だってそうだよ。この男は武官としてはもちろん、いろいろなことを器用にこなす有能な男だからね。私の側近にでもしようと思っていたんだが、フェリアに泣き落とされちゃあ仕方がない。そんなこんなで彼は桜花宮の護衛騎士となった」

「経緯はともかく、レストレイ殿下には感謝しておりますよ。私はあの時目的を失って、人生を斜めに考えておりましたから」

「そうだったね。自分の殻に閉じこもって、人当たりは丁寧なのに、誰も寄せ付けなかった。実は今もそうだよね」

 明るい菫色すみれいろの瞳が、深い泉の瞳とぶつかった。全く違う二つの青。

 ザザには全く様子の違う男が、一騎討ちをしているように思える。

「自分では丸くなったと思っておるのですが」

「まぁね。でも誰とでも付きあえる割に、防衛線が硬いじゃないか」

「……育ちのせいですかね? 私は生粋の貴族じゃないから用心深いのですよ」

「まぁ、君の話はもう良いよ。このお嬢さんが知りたそうだったから、つい長話になってしまったが」

「……」

「もう一度聞くよ、ザザ。君はいったい何者なんだい?」

 レストレイがひた、とザザを見据える。

 たっぷり三呼吸の間が室内を満たした。


 そしてザザは口を開いた。





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