第43話41 魔女と王宮 3

 パージェス古王国、国王アンドレアス。

 王妃ギセラ。

 そして王太子レストレイ。


 フェリアの家族だ。

 国王を先頭に、三人は静かにフェリアの寝室に入ってきた。その背後にはギディオンがいたが、彼は部屋には入らず、扉の外に控えている。

 女官長のアンヌは、はっとした顔つきになったが、黙って腰を折り、音もなく壁際に後退した。フェリアの家族が見舞うことは予想してはいたが、この瞬間だとは知らなかったようだ。

 しかし、ザザには最初、この人たちが誰だかわからなかった。

 ただ、雰囲気からとてつもなく偉い方々だとはわかった。そして帳を通して入ってきたあけぼのの光を受けた女性の顔立ちから、この人がフェリアの母なのだと悟った。

「……っ!」

 アンヌより数瞬遅れたが、ザザも慌てて壁際に下がろうとした時、「よい」と言う王妃の声がかけられた。

「そなたのことは聞いています。フェリアのために尽力してくれた娘ごであろう? ザザと申されたか。ありがとう」

 王妃は優雅に首を傾けた。

「私からも礼を言おう。よくぞ、この娘のわがままを聞いてくれた」

 横に立つ男性も重々しく言った。国王である。

 そして、三人は寝台の前で眠るフェリアの顔を覗き込んだ。ザザにはこの人達が、歳の離れた末の姫を非常に愛していることがよくわかった。

 王妃は少し痩せてしまった白い頬をそっと撫でている。だが、涙の後はあるものの、その眠りが安らかであることを確認して安心したようだった。

 部屋の隅には白い布をかけたアレックスの籠が置いてあった。それに目をやって、王妃がザザを振り向いた。

「愛犬のことで、この娘がここしばらく酷くふさいでことは知っています。数日前に百蘭宮びゃくらんきゅうに来た時は、どんなことをしてもいいから犬を助けてくれと、泣いて訴えていました。できることとできないことがあると諭しましたが、その後、自分の宮でかなり荒れたと聞いています。それをなだめたのがそなたなのですね」

 王妃の声はとても優しくザザに耳に染み込んだ。これが母の声なのだ。

「い、いいえ。私は結局アレックスさんを助けることはできませんでした」

 胸の前で指を握りしめながらザザは頭を下げる。

「犬が助からないことはわかっていたのです。でも、フェリアは納得したようですね。仔細はアンヌから聞いています。なかなかできないことです」

 王も頷いた。

「王族に生まれたからには、自分を抑えることや、果たすべき役割が否応なく課せられる。今まで末っ子だからと、我々は少しフェリアを甘やかしていた。しかし、この娘も気がついているはずなのだ。わがままが許される子ども時代がもうじきに終わりが来ると言うことを」

「父上、母上。こちらに用意ができたようです」

 王太子が扉の方を指して言った。扉の外にはギディオンと侍女の姿が見えた。

「すっかり夜が明けたね」

 フェリアの寝室の隣の部屋には、国王夫妻と王太子に熱い茶が給されていた。ひとときの休憩といったところだろう。

 国で一番偉い人たちの中にどうして自分が? とザザは疑問符を周囲に飛ばしながらしゃちこばって座っている。

 王太子レストレイが「君は私の隣」と強引に席を用意させてしまったからだ。

 アンヌは他の召使の給仕に目を配り、ギディオンは扉付近で警備に徹しているので、誰もザザを助けてくれない。

「私たちは愛犬の死という、フェリアの最初の試練に、あえて余計な口出しや手出しをしてきませんでしたが、人の手を借りたとはいえ、なんとか乗り越えられそうですね」

 王妃は熱い茶に口をつけ、ほぅと吐息を漏らした。

「そうだといいが。フェリアにはもっと成長してもらわねばならん」

「そなた、よければこれからもフェリアの相談相手になってやってくれますか?」

「でも、あの……わたしは……」

「身分のことを気にしていますか? よいのですよ。私達は様々な民の事を知らなければなりません。それに、あなたが良い娘さんだと言うことくらい、わかります」

「……」

 自分が魔女と言う事を知ったら、王妃はきっと同じ事を言ってくれないだろうと思うと、ザザはますます身がすくむ。

「わ、私は今、薬草苑で働かせていただいております。この国のお役に立てるのなら一国民として嬉しい事です」

 ザザはあえて主語を大きくして言ったが、王妃はそれで満足したらしい。

「ありがとう……そして、セルヴァンティース元指揮官殿。こちらへ来やれ」

「……は」

 ギディオンは隣のフリューゲルに頷くと、素早く移動して片膝をついた。ザザからすぐのところだ。

 主が来てくれたことに、ザザはほっと肩を落とした。

「ここは極めて私的な空間だ。面倒で無意味は自己紹介は無しにするよ、ギディオン。両親も君のことは知っている」

 王太子レストレイが機嫌よく説明した。

「は、恐れ入ります」

「ギディオン殿とお呼びしてもよろしいか?」

「無論でございます」

「フェリアはあなたが非常に気に入っているようですね」

「……」

「知っての通り、我が娘で長女のアンジェリナは西の友好国に嫁いでいて、もう二王子を設けております。次女のパトリーシアはこの国の筆頭公爵家に嫁いでいます。我がパージェス古王国と縁を結びたいと考える近隣国は引きも切らず。そして、フェリアには半年ほど前から南の豊かな小国、セイラムの第二王子との婚約話が内密に持ち上がっています」

「そ、それは……大変めでたきことでございます。お祝い申し上げます」

 ザザには一瞬はっとなったギディオンが、慌てて表情を取り繕ったように見えた。

「確かに良縁と言える。セイラムならば安心してフェリアを嫁いでいかせられます。しかし、今の王家──王国は、第三王女を無理に国外へ嫁に出さなくてもいいくらいには、安泰です。婚約の話も、まだ正式なものではないから、今ならまだ如何様いかようにもできる」

 淡々と語る王妃の目はギディオンに据えられていた。

「それで、ギディオン殿」

「は」

「フェリアはあなたの妻になりたいと言うのですよ」

「それは……無理かと」

「それほど驚いてもおらぬようですね。フェリアのことだから、あなたにも自分の感情を伝えたのでは?」

「私はセルヴァンティース伯爵家の庶子でございます」

 珍しくギディオンの頬が紅潮している。額に汗もかいているようだとザザは見てとった。

「爵位も財もありませぬ。とてもフェリア様に釣り合う身分では……」

「だが、この国一番の戦士である」

 割って入ったのは国王だ。

「先日の襲撃事件のことは詳細な報告を聞いた。あっと言う間に四人を斬り倒すなど尋常ではない。ギディオン。私も見たかった」

「近衞騎士としてするべきことをしたまでです」

「報告も見たぞ。またしてもチャンドラの差し金であるようだな」

「御意。現在、重要な情報を得たので鋭意調査中でございます」

「あなた……今こんなところで、そのようなことを……幸いフェリアも無事だったのだし。ギディオン殿のおかげです」

「いえ、私だけではございません。そこに立つフリューゲルや他の騎士たちも、命がけで殿下をお守りしました」

「そうとも、皆、優秀な王女の護衛騎士である。そなたたちも聞いているだろうが、近々行われる霜降そうこうせつにおいて褒賞を考えているところだ」

「褒賞は私個人ではなく、近衞の名誉とさせてくださいませ」

「あなたのそう言う、真面目なところが良いとフェリアが言っておりましたよ」

 王妃がいささか強引に話を元に戻した。

 ザザは会話に口を挟むことなどできない。ただ、どんどん椅子の座り心地が悪くなってきた。

「私達はあの子の幸せを一番に考えているのです。できれば国元において末娘が幸せになるところを見届けてあげたい」

「……」

「ギディオン。そなたは武勲にも優れ、人望も厚いと聞いている。どうだ、褒賞と言っては言葉が悪いが、我が娘をやろうか?」

 国王が笑いを含んだ声で言った。

「そんなことは!」

「いやこれは、意地の悪い尋ね方であった。そなたがこの場で何も言えぬことくらい承知しておる。冗談だよ」

「たとえご冗談でも、そのようなことは口にされぬが良いかと」

 大胆にも、ギディオンは硬い声で応酬する。

「いや悪かった。王妃、我妻ギセラは末っ子可愛さのあまり、あまり遠くに嫁にやりたくないようでな。つい私も興にのってしまったのだよ。すまぬの」

「安心してございます。申し上げた通り、私は伯爵家の庶子で、母は名もなき旅の踊り子でした。本来はこの場にいさせていただくのも許されぬ身でございます」

 ギディオンは深く顔を下げ、ザザからは少し長めの藍鉄色あいてついろの髪しか見えなくなった。

「身分を気にしておられるなら、先ほどザザ殿にも言うたが、私達は大して重要視していませんよ。爵位も財もいわばなんとでもなりますし。優先すべきはフェリアの気持ちなのです。そうですわよね? あなた」

 王妃が混ぜっ返してしまった夫にじろりと視線を投げた。

「あれも来年の春には十七歳、成人の儀まであと一年です。セイラムの王子でなくとも、そろそろ正式な婚約を結ばねばなりません。あなたはフェリアが女性として不服ですか?」

「そのようなことは! 非常に聡明でお美しい姫君です」

「では、問題ないではありませんか」

「母上」

 王妃を遮ったのは王太子である。

「見舞いに来た場で、このような話は適切ではないでしょう。ギディオンも困惑するばかりですよ。そろそろ朝議の準備もありますし、そろそろお二人は白蘭宮にお戻りなさいませ。私もすぐに参りますので」

「おお。そうだったそうだった。ギセラや、我々はもう退出しよう」

 王は不満そうな王妃を促して立ち上がった。部屋に中にいる者達が立ち上がり深く辞儀をしたので、ザザもそれに倣う。

「ザザ殿、改めて礼を申す。これからもフェリアの力になってやってくれ。今回のことに関しては、そなたにも礼をさせていただきたい。では」

 王は王妃を伴って部屋を出て行く。

 扉が閉められた瞬間、部屋の空気が緩んだのを感じた。

「やれやれ、すまないね。母上はフェリアのことになると、あの通りでね。歳の離れた末娘が愛しくて仕方がないようだ」

 見ると王太子レストレイが、すっかり姿勢を崩して座っていた。

「ギディオン、さぞ居たたまれない思いをしていただろう? すまないね」

「いいえ。殿下を愛する王妃様のお気持ちはよくわかります」

「そう言ってくれると助かる。フェリアのわがままに負けて、ギディオンを近衞に入れたのは私だから、いささか責任を感じていてね」

「いえ、あの時のレストレイ殿下のお励ましは私にとって、実は救いでした。あの折は大変失礼してしまいましたが、今では感謝しております」

「……」

 ザザは頭の上で交わされる会話についていこうと必死だった。

 話の概要はなんとなく理解できる。王妃はギディオンがフェリアの婿になっても構わないと思っているのだ。それは以前フリューゲルから聞いた話と同じだったが、まさかここまで話が進んでいるとは思っていなかった。これでは国王夫妻公認と言っても同然だ。

 それに対して、ギディオンは身分を理由に固辞したように思える。

 が、しかし──。


 ギディオンさまはご身分が叶わないから、フェリアさまのお婿さまになられるのを躊躇ためらわれているのだわ。

 本当はフェリアさまを愛しく思われているはず。


 ギディオンはいつもフェリアを大切に扱い、彼女の前でしか見せない優しい顔で微笑んでいた。彼女のためなら命を落とすことも厭わないのはザザの目にも明白だ。

 しかし、自分から口を開く事ができないこの場では、ただ俯いて、頭の上を通り過ぎる言葉を謹聴きんちょうするしか術がない。

 置かれたお茶がゆっくりと冷めていく。


「しかし現在、私にはやるべき事があります。こんな私を近衞に推挙してくださったレストレイ殿下には申し訳なき事なれど、私は近衞を除隊したく思います」

 ギディオンはきっぱりと言った。王太子は特に驚く風もない。

「チャンドラに仕掛けるか? こちらから?」

 レストレイの問いにギディオンは肯く。

「この冬からでも。王国にとってわざわいの種があるなら、育たぬうちに取り除くのが私の仕事です」

「その通りだね。まずはそちらからだ。しかし、母上は諦めてないよ。無論フェリアもね」

「……」

「フェリアを可愛く思っているのだろう?」

「それは、確かに。あんなに愛らしい方はいらっしゃいません」

「そうか。それなら、考える余地はあるってことだね。一件が片づいたら、君もそろそろ態度を決める方がいい。でないと前に進めないから」

「……承知いたしました」

 ギディオンは大きく頷き、ザザの心が再びざわめく。

 

 国と国の争い事が収まったら、ギディオンさまはフェリアさまのこん……婚約者になられると言うことなのだろうか。


「さぁて、次はこのお嬢さんだ。訳のわからない話に巻き込んですまなかったね」

「殿下? ザザに何を?」

 ザザは高貴な人たちに囲まれたので、すっかり縮こまっている。ギディオンはレストレイがこの上何をするのだろうかと、腰を浮かした。 

「何って? 私はこのお嬢さんと親しくなりたいんだよ」

 レストレイはザザに微笑みかけながら言った。




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