第32話31 魔女と博士 3

 それはギディオンも初めて見る魔女の名乗りだった。

 ザザは足を揃えて立ち、両手の甲を相手に向けてまっすぐ見た。この所作にはあるじ以外の命令は受けないという意味がある。

 普段の慎ましさを忘れたようにザザは強い瞳で、ウェンダルを見据えた後、左足を斜めに引いて額を隠すと深く腰を折った。

「なるほど、書物にある魔女の名乗りの通りだな。ギディオン卿を主人としたか」

「はい」

 ウェンダル面白そうにザザを眺めた。

「私はウェンダルと言う、ろくでもない年寄りの学者だよ」

「お目にかかれて光栄でございます」

 そう言ったザザは、もういつもの控えめなザザだった。

「して、ギディオン卿、どうやってこの魔女のお嬢さんを見つけたのじゃ?」

「それについては、今回の案件については無関係ゆえ、後日お話ししたくございます」

「なるほど。さぞ、込み入った事情があるのじゃろうな」

「左様でございます。で、本筋でございますが」

 ウェンダルの皮肉を交わそうとしたギディオンだが、老学者はなかなかに好奇心が旺盛だ。

「なんで魔女だと見破った? まさか自分から魔女ですと名乗ったのかね? それとも魔法を使うところをこっそり見たのかい? 良いなぁ。わしも手に入れたいものじゃ」

 その目は思いがけないおもちゃを手に入れた子どものようだ。ザザはほんの少し恐怖を感じて目を伏せる。しかし、ギディオンは正面から切り込んだ。

「失礼ですが、見つけたとか、手に入れたとかではなく、出会ったと言ってくださいませぬか」

「これはしたり! とんでもなく礼を逸したもの言いであった。わしはどうも興味が過ぎると、見境がつかなくなるきらいがあってな。ザザ殿、大変ご無礼致した。お許しいただきたく存ずる」

 存外素直に老学者が謝罪したので、ザザの方が恐縮した。

「へ、へいきです。わたしは魔女ですから」

「ザザ、強がらなくてもいい。俺が言うから」

 ギディオンは大胆にも、国内最高の学者を睨むようにして話しだした。

「ザザとは離宮の奥の森で出会ったのです。そこで思いがけない力の発動を見、魔女だということを本人の口から聞きました」

 ギディオンは極めて大雑把にザザとの出会いを説明した。

「ふぅん。思いがけない力の発動か……。わしはな、お嬢さん。薬草や薬石を研究して薬をつくるのが本分なんだが、昔から魔法とか魔術とかにひどく興味があってな。今では誰も見向きもしない埃の被った文献を読み漁っている変人なんだよ。中には魔女自らが記した本もある」

「魔女の書いた本は、魔女でなければ読めないものが多いと思うのですが」

 ザザは小首を傾げて言った。

 魔女は滅多に書物を残さないし、残しても自分の後継者にのみ受け継がれるものだからである。それは魔女しか読めない古い文字で書かれていたり、封印を解かなければただの白紙だったりするものだ。

 身近な例がザザが母から受け継いだ帳面である。それは表紙を開こうと思ってもびくともしないものだった。

「そうだな。しかし魔法をかけた魔女が死んで封印の効力が切れた書物もあるし、古い文字が解読できた場合もある。魔法も魔力も、そして魔女も永遠のものではないでな。現にこの国ではすっかり廃れて、人々の口の端にものぼらん」

「確かに」

 自分のような魔力の弱いものが施した封印なら、数年と持たずに魔力が消えてしまうかもしれない、とザザは思った。

「そういう本を集めておるのだ。で、お嬢さん、あんたはどんな魔法を使えるのかな?」

 ウェンダルはあごの下で指を組み、品定めするようにザザを見た。

 ザザはギディオンを振り返る。許可をもらうためだ。彼は黙って頷いたので、ザザは額に魔力を集めるために目を閉じた。

 やがてギディオンがいつか見たのと同じ不思議な紋様が白く浮かび上がった。すると、ウェンダルの机上に積んである紙の束がかさかさと鳴りはじめ、次の瞬間には一気に宙へと舞い上がった。

「おお! 風を操れるのか!」

 舞い上がった紙は正しく螺旋らせんを描いて天井まで上っている。まるで鳥が羽ばたいているようだ。

 ギディオンも驚いていた。初めてザザがはっきりと魔力を示したのだ。

「わかった! 信用しよう」

 途端に規則正しく飛んでいた紙は力を失って、ひらひらと床に舞い下りた。

「お部屋を散らかして申し訳ありません。片付けます」

 ザザは床中に散らばった紙を宙に浮かして、次々に元のように積み重ねた。くっきりしていた額の紋様はその間にすっかり見えなくなっていた。

「改めてみるとすごいな、ザザ。お前はやっぱり魔女なんだな」

「でも、ドルカには魔力が弱いと言われていました。私の印が白いからです」

「ドルカとは?」

 ウェンダルが尋ねる。

「私の師です。もう亡くなりましたが」

「印が白いと弱いのか?」

 今度はギディオンが質問した。前に見た時もザザの額は白く光ったのだ。

「ふつうは赤く印が現れるのだそうです。ドルカは血のような赤でした。魔力が強いほど印は黒くなるのです。大魔女と呼ばれる人たちは、真っ黒な星や月の印が現れたそうです。でも、私の印は白くて、しかも何の印かもわからないあやふやなものです。だから、師匠は私の魔力を最低だといったのでしょう」

「ふむ、魔女の印のことはこの本にあったな。あんたの言ったとおり、星や月といった天体を表す印は最も強い魔力を象徴する印だと記されておる」

「はい。だから、私は乏しい魔力を補うために薬学を学んだのです。最初はドルカから。後は自分で」

「ほう。なら、この壜の中身がわかるかな? 今日届いたばかりだが、かなり珍しい部類のものだ」

 ウェンダルは机上の大な壜の中身を指した。以前、ワレンからも同じような質問をされたことがあったので、ザザはもう怯むことはない。壜をしばらく眺めていたザザはやがて頷いた。

「これは虫こぶ。たぶん、リューズの木の幹にできた古い虫こぶを乾燥させたものです。木に産み付けられた虫の卵に粘菌が寄生し成長しました。かなり大きいので百年くらいは経っているかと」

「効能は?」

「あのえっと……私は作ったことはないのですが、精力増強だと聞いたことがあります」

「こりゃすごい。お嬢さんは本物だ。ギディオン卿、あんたはすごい拾いものをしたようだな」

 ウェンダルはにやりと笑いかけ、ギディオンは真剣に受けた。

「私もそうかもしれないと思い始めているところです」

「うむ。それでは本題にもどろうかの……ザザ、と言うたな、お嬢さん」

「はい」

「魔女の呪いが解けるかね?」

「私には無理かと思います。ダチュランの毒を精製できるほどの魔女なら、かけられた暗示も強力なものでしょう。それ以上に強い暗示をかけて暗示の上書きをしないといけません。その人には非常な負担でしょうし、少しばかり風を起こせる程度の私ではとても」

「あんたは正直者だな。魔女が忌み嫌われた理由はそうやって人の心を操ったからだ」

「でも、それはあるじに命じられてのことかと」

「魔女の血の掟か。しかし、あんたが思うほど魔女は、単純に主人の命令に従っている訳ではないとわしは考えておる」

「どう言うことでしょうか?」

 ザザにとってギディオンは唯一の主で、なんとかして役に立ちたいし、そばにいたい存在なのだ。

「魔女にだって自分の意志がある。仮に、このギディオン卿が子供を殺せと命じたらあんたはどうする?」

「ギディオン様はそんな事を命じられるお方では……」

 ザザがその主を振り返ってもギディオンは素知らぬ顔だ。試されている。

「仮にと申しておるだろうが。考えてみなさい」

「……私には、できません」

 長いこと考えた末にザザは言った。

「そうであろ。主と魔女とはそう言うものなのだ。つまり、魔女が主と定める者は、自分の持つ性格や特性と深い関係にある」

「わたしの性格……?」

「そう。もっと言えば、良い魔女は良い主を選び、悪い魔女は悪い主人を選ぶと言うことだよ」




   *****


午前中の更新で、間違えてこちらを先に載せていました。

申し訳ございません。

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