第31話30 魔女と博士 2 

 やっぱりすごいなぁ……。


 ザザはパレス王宮内の広大な中央庭園を、ギディオンと並んで歩きながら思った。

 両側にはたくさんの美しい宮殿が並んでいる。それぞれの宮には名前と役割があり、王都とこの国の行政を担っていた。

 しかし、二人が向かうのは王宮内の薬草苑やくそうえんである。それは王宮主要部からかなり外れた南のはずれにあった。

「ああ、あれがそうだ。薬草苑と付属の研究棟、それから他の学術施設」

 ギディオンが指す先には、ドーム状の屋根を備えた建物があった。一番大きな建物の周囲に、それよりも少し小さな棟が並んでいる。

 他の建物と同じように白く美しい外観だ。ドーム屋根の下の壁は硝子張りで南に面しているから、おそらく温室なのだろう。ザザが通っている学校にも温室はあるが、それよりもよほど規模の大きな建物だ。聞けば温室だけでなく、実験花壇や菜園まであるという。

「すごいのですね」

「俺も全貌は知らないんだ。この国内外の様々な薬草や珍しい花などが栽培されているらしい。他にも工学的な研究棟もある。ウェンダル博士は午後も遅いこの時間、苑内の自分の研究室にいるらしい。素晴らしい標本があるというぞ」

「見るのが楽しみです」

 魔女らしい興味を示してザザは言った。

「なんならここで働けるように頼んでやろうか? 学校の薬学助手をやって一月くらいになるな。もう他人が怖くはないだろう?」

「はい。でも授業が少し残っていますし……それが終わってから」

 最初はおっかなびっくりだった学問所初等部の授業助手も、今では慣れて戸惑うことはなくなった。そして、少年たちと薬草に触れているうちに、自分の薬学の知識をもっと豊かにしたいと思うようになった。少年たちと一緒に自分の学問に対する視野が広がったのだ。

 ザザにとって、これは大きな成長と言える。

「そうか。ザザもすっかり先生になったんだな。でも秋の学期も、もう直きに終いだろう。今日見て興味が惹かれたなら考えてみるといい」

「そうします」

「もっとも、今日の話の次第によっては、そんなにすぐに帰れないかもしれないが」

「かまいません。ワレンさまにはご理解をいただいています」

 話している内に、二人は薬草苑の入り口に立った。

 ここは危険な毒性の植物も栽培しているため、警備は厳重である。身元のしれたギディオンがいなかったら、初見の者は入れるところではない。それでも門衛に要件を説明し、ザザの身元保証をするまでしばらくかかった。

「お通りください。博士は奥の専用の研究室にいらっしゃいます」

「ありがとう」

 長い廊下は薄暗く、かすかに埃のにおいがした。


 なんてたくさんの本。それに標本がいっぱいだわ……。


 これがこの部屋に足を踏み入れたザザの印象である。

 部屋としては大きい方だ。細長くて天井がとても高い。そして壁を書架がぎっしり覆っている。というか壁そのものが書架でできていた。書架と書架の間を行き来できるように、小さな回廊や梯子があちこちに設置されている。

 その中に分類されているのかしていないのか、わからない古今東西の書物がぎっしりと詰め込まれ、中には非常に大きくて重そうな書籍もある。また、違う棚には無数の壜類がずらりと並べられていた。その一つ一つに花や実の標本が入っているらしく、古臭い書体で文字で付票ラベルが貼りつけられている。

 上を見れば、むき出しの梁から乾燥した薬草が吊るされ、部屋中にぴりっと苦い香りが立ち込めていた。ザザにとっては懐かしい匂いだ。ここだけはザザの森の家と同じなのだ。


 すごい……こんな部屋はじめて見た。


 一番奥の壁は温室に面しており、大きな硝子の扉がはめ込まれていた。そこから入る光が部屋が陰気になるのをなんとか防いでいる。

「いくぞ、ザザ」

 ザザが圧倒されているのを感じたギディオンが背中に手を添えてくれる。

 それだけで勇気が出たザザは背中を伸ばして、前に進んだ。


 その部屋の中央には大きな机があって、こちらに背を向けた椅子に誰かが腰かけているようだった。高い椅子の背に遮られて頭は見えない。

「ご多忙中にも関わらず面会をお許しいただきありがとうございます、ウェンダル博士。私は近衛騎士のギディオン・セルヴァンティースでございます」

 ギディオンは椅子に向かって頭を下げた。

「ふむ。報告は聞いておる。厄介な術にかかった賊が捕らえられたそうじゃないか」

 椅子の向こうから個性的な声が返ってきた。甲高いわりに聞き取りにくい。

「一人は娘っ子か。二人ともこっちにきて座りなさい」

 ザザの気配を感じたのか、声の主は振り向きもしないのに言い当てる。ぐるりと机を回るとやっと声の主の姿が見えた。

 灰茶色のもじゃもじゃの髪に同色の長い顎鬚を蓄えた老人だ。老いているようだが、奇妙な形の帽子の下の眼の光が若々しい。不思議な模様の服を着ている。おとぎ話に出てくるドワーフのようだとザザは思った。

「座りなさい」

 彼はもう一度言った。

 机の向かいに古ぼけたベンチがある。ザザにはちょうどだったが、ギディオンが座るとみしりと音を立てた。ベンチの下で長い足がものすごく余っている。

 机に目をやると、意外にきちんと整頓されていて、真ん中で一番目立つのは、黒いものが入った大きな硝子の壜だった。その横には真新しい紙が束になって置かれていて、周りには木の根のようなものの脇にはさみや小刀が置いてある。どうやら標本を作っていたらしい。

「お初にお目にかかります。ウェンダル博士」

「ギディオン卿、君のお父上は存じておる。小さい頃は家が近所だったんだよ。わしはさっさと家を飛び出したんだがね」

「父から聞いたことがあります」

「よろしい。で、その娘さんは誰だね? 聞いている案件からすれば、第三者が割り込むような問題ではないようだがね」

 ウェンダルがザザに鋭い視線を流したが、その眼には悪意も善意も感じられなかった。

「はい。その件については後でお話しします。ただ場合によっては、この娘がお役にたつかもしれないと申し上げておきます」

「昨日の知らせによると、美術館で襲ってきた賊の男に首魁は誰だと尋問したら、途端に苦しがって尋問どころじゃないとか」

 途端にザザの背中は緊張でまっすぐになった。


 美術館で襲ってきた賊? ギディオン様はそんなこと私に一言もおっしゃらなかった。


「左様でございます。男は拷問を恐れて自白しようとするのですが、口を開いたとたんに自分で首を絞めて死のうとするのです。自分の名前や出自も答えられません。それで思ったのですが、これはもしかしたら『魔女の呪い』というものではないかと」

「魔女の呪い、ねぇ。久しく使われない古い言葉だ。調べたのかね?」

「ええ、まぁ」

 ザザに頷きかけながらギディオンは言った。ザザは文字通り、全身を耳にしながら二人の話を聞いている。賊とは悪い人のことだろうか? 襲うとは、だれが襲われたのだろう。

 だが、ザザは聞かれたことにだけ答えなければいけない。ウェンダルは難しい顔になっていた。

「じゃあ、それが強烈な暗示ってことは知ってるかね?」

「存じております。ダチュランの毒で譫妄せんもう状態になった人の脳に働きかけるものでしょう?」

「ほう……脳筋の割にはよく調べたな」

「恐れ入ります。しかし、私の力ではありません。この魔女、ザザがおしえてくれたのです」

 ギディオンはザザの背中に腕を回した。

「なに? 魔女⁉︎」

 ウェンダルの目が初めてまともにザザを捉えた。ザザも静かに老学者を見つめ返す。二人の間に奇妙な意識の糸が繋がった。

「……魔女とな?」

「はい。事情があって私が預かり、後見人になっている娘です。ザザ、ウェンダル殿にご挨拶を」

「はい」

 ザザは静かに立ち上がった。

 正式な魔女の名乗りをするために大きく足を引く。

「我が名はザザ。ザザ・フォーレット。ギディオン・セルヴァンティースをあるじに戴く魔女である」





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