第30話29 魔女と博士 1
その日、朝からザザは舞い上がっていた。
ずっと王宮に詰めていたギディオンが、七日ぶりに家に戻るという知らせが来たのだ。知らせが来るというのも初めてのことだった。非番の隊士に言づけてくれたのだ。
メイサは「まぁ、そうなのですか? 嬉しいですわね」と言って、御馳走を作ってくれた。
「ギディオンさま!」
玄関の庇の下で待ち構えていたザザは、歩いてくるギディオンの姿を見つけるなり、ポーチの階段を転がるように駆け下りる。出会ってからこんなに長く離れていたのは初めてなのだ。
「お帰りなさいませ!」
「ああ、ただいま」
ザザは嬉しくてたまらなかった。
「二階にはお風呂が用意してあります! あ、それとも先にお茶を召し上がられますか?」
「どちらも後でいい。すぐに桜花宮に取って返さないといけないんだ。ザザ、さっそくですまないんだが、少し話を聞きたい。お前の部屋へ行ってもいいか?」
「え? はい」
ザザはがっかりしたことを悟られないように慌てて表情を繕った。
「あのな。以前、ザザは魔女の呪いという術について話してくれただろう?」
ギディオンは小さな部屋に入るなり、要件を切り出した。
ザザが勧める椅子に座っても、書棚の隅に置いてあるザザの私物の本の背表紙を鋭く見つめている。
「はい」
「具体的には、何をするんだ? 毒薬を使うのか?」
「えっと、薬は使いますが、その薬が直接呪いに作用する訳ではないんです。これは一部は
「それは……非常に恐ろしい薬だな」
「はい。秘薬中の秘薬だそうです。それで、その状態の時に術をかけます。例えば、ある
「なるほど。自白するくらいなら自分の首の締めて自死しろ、という術をかけることもできるってことか……」
「自死、ですか? それはかなり強力な術を使える魔女でなければ不可能かと。人には自分を守る強い本能があるので」
「つまり暗示というわけだな。なるほど、それが『魔女の呪い』か……ザザ」
「はい」
「その技は口述だと言ったな」
「はい。一番重要な部分はそうです。すべてを正確に記した書物はないと言われています。あまりに恐ろしい術だからだと」
「ザザはその術を使えるか?」
「とんでもありません。私の魔力は微々たるものです。そんな術とても」
「しかし、今聞いた話だと。魔力は関係なさそうだぞ。秘薬の調合方法と暗示の技術さえあれば、理論的には誰にでもかけられる。魔女でなくても」
「でも、口述部分は魔女でなければ伝えられない掟になっています。その掟を破ったら魔力を失う可能性もあります」
「そうか……」
もしかしたら、その「掟」自体が暗示なのかもしれないとギディオンは考えたが、口に出したのは別の質問だった。
「では、その術を使える魔女はまだいるのか?」
「……ドルカから、生き残っているかもしれない、とは聞いたことがあります。でも、かなり以前の話ですから今もまだ生きているとは限りません」
ザザは辺境を旅していた時、ドルカからその話を聞いたことを思い出した。
「その魔女の名前は聞いているか?」
「……」
あの嵐の夜、ドルカは一度しか言わないから覚えておけと言った。
こんな嵐の夜でないと、あの女が
「ああ、知らないなら別に構わない」
ギディオンは特に残念そうでもなく言った。
「スーリカ」
ザザは早口で小さく言った。
「え?」
「伝説の大魔女、スーリカ。ドルカはそう言っていました」
二度もその名を口にしてしまい、ザザは思わず寒気を感じてぞっと身を震わせた。
もしかしたら恐ろしい魔女に聞かれたかもしれないのだ。人目を避けて隠れ住む悪い魔女は、自分の名を呼ばれることを非常に嫌うという。大魔女になれば、それを感知して、名を口にしたものを殺しに来るという伝説もある。
「スーリカ、か。……ザザ? どうした? 震えているのか」
「なんでもありません。でも、ギディオンさま。あまりその名を口にされない方がいいか……と」
ザザの言葉にギディオンは一瞬眉をひそめたが、彼は何も言わなかった。
「そうか、わかった。で、その秘薬の名前はわかるか?」
「……ダチュラン、です」
「ん、わかった。ありがとう」
それだけわかれば十分だとギディオンは思った。
この二つの名を調べてみなければならないが、これ以上ザザに尋ねるのはいけないような気がしたのだ。尋ねるべき人物を彼は知っていた。
「すまなかったな、ザザ。言いにくいこともあっただろうに、俺に教えてくれて。もう、城に戻らないといけない。俺はこのまま行く」
「あのっ!」
ザザは腰を浮かしかけたギディオンの袖に触れた。
「私も参ります!」
「え?」
「もしかしたら私の知識がお役に立つかもしれません。ぜひお使いください!」
「いや、王宮の書庫には膨大な資料もあるだろうし。色々な専門家もいる」
「でもその人たちは魔女ではないのでしょう? もし、ギディオンさまのお調べに魔女が関係しているのなら、私なんかでも役に立つことがあるかもしれません!」
「けどザザ。お前無理をしているのじゃないか?」
ザザの様子を敏感に察知していたギディオンがザザを見つめていった。
「いいえ、無理など! 私、一緒に行きたいです! どうかお連れくださいませ!」
ザザは真剣だった。
もし何か事件が起こっていて、魔女が関係しているのだとしたら、やっと本当の意味でギディオンの役に立てるかもしれないのだ。
「わたしは小さくて痩せっぽちでみっともない魔女ですが、それでもキンシャさんやセリカさんに、貴族のお作法やお行儀を学びました。メイサさんには人と穏やかに話す術を、ワレン様には勇気を持って踏み出すことを教えていただきました。だから多分……」
ほんの少しの間、ザザは言葉を探す。自分のことを伝える言葉を。
「多分……いえ、きっと、人前で
「ザザは恥ずかしい存在じゃない! お前は真面目でしっかりした娘だ。それに姿や話し方が、ええと……か、可愛らしい!」
まるで人生で初めて女性を褒める少年のように、ギディオンは一気に言った。
「そうとも、可愛らしいはずだぞザザは」
「魔女でも、ですか?」
「魔女でもだ」
深い瞳を見下ろしてギディオンは大きく頷いた。
「……ありがとう、ございます。あるじさまに、褒めていただけるのは、魔女にとって至高の喜び、です」
「魔女かどうかは関係ない。俺にとってはザザもフェリア殿下も、等しく尊敬に値するご婦人だ」
「……フェリア殿下」
それは相当等しくない、とはさすがのザザも思ったが、ギディオンにしてみれば賛辞のつもりで言ってくれたのだろうから、聞かなかったことにすることにした。
あのフェリアに比べたら、自分がいかに
「あのそれで、わたしをご一緒させて頂くわけには参りませんか?」
ザザはさりげなく話を戻した。
「しかし……ああでも、それもそうか……もしかしたら、魔女にしかわからない感覚のようなものがあるのかもしれない。では、こちらからお願いする。ザザ、一緒に来てくれ」
「ありがとうございます! 精一杯努めます!」
「……しかしな、ザザ。一つ言っておかなくてはならないことがある」
ギディオンは気がかりそうに眉を顰める。
「なんでしょうか?」
「お前のことだ、ザザ。魔女の呪いについて、ザザが魔女として協力を申し出てくれるなら、魔女がまだこの国に生き残っていたことを、もう公式に隠しておけないということだ」
「……理解します」
ザザは静かに頷いた。いつかは来るとわかっていたことだ。
「王宮の大学寮にウェンダル殿という学者がおられる」
「ウェンダルさま」
「専門は薬学なんだが、なんにでも精通しておられる高位の学者の一人だ。陛下の学問の師でもあられた。我が国最高の頭脳と言っていい」
「そんなすごい方が私に会ってくださるのでしょうか?」
「何にでも興味を持たれる人だから。この方は人間の能力を鍛えたり、高めたりする事にも精通しておられてな。戦場での兵士の恐怖心を和らげたりする修練を実地で行ったりしておられる。我が国で魔法や魔女のことをよく知っている人物がいるとしたら、この方を置いて他にはない。それにワレン殿のお師匠に当られるのだ」
「そうなのですか」
「ただなぁ……非常に優秀な人なんだが、王宮では結構な変わり者と思われていて、実は俺もそう思っていた。だから、あまり付き合いはない」
「変わり者、ですか」
「まぁ、今まで魔女や魔法なんて誰も関心を払っていなかったからなぁ。だが、こうなれば話は別だ」
「どんなお方なのですか?」
「実は俺もよくは知らない。薬学者だけあって、王立の薬草苑の責任者だ。そして、大学寮でもかなり上の立場でもあられる。つまり、王都で最も物知りなお方の一人だということになる」
「その方に私が魔女の生き残りだということを、話されるという訳ですね」
「そうなる。嫌か?」
「嫌ではありません。どうぞお伝えください」
ザザは気丈に言った。
また一歩、踏み出す時が来たのだ。
「ウェンダル殿は変人でも思慮深い方だから、きっと悪いようにはなさらない。不安かもしれないが、俺もついている」
「嬉しい……です。参ります」
「そうか、では行こう。王宮に」
「すぐに支度をいたします!」
この方についていくと決めたのだ。迷いはない。
ザザはギディオンを真っ直ぐに見つめた。
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