第33話32 魔女と博士 4
「良い魔女は良い主を選び、悪い魔女は悪い主人を選ぶ」
その言葉にザザだけでなく、ギディオンまでもがはっとウェンダルに向き直る。
「博士、それは!」
「わしは文献に残る限りの魔女や、その陰にいる人間の主人のことを調べてきた。このパージェスは古王国と言われるだけあって、その歴史は二千年以上も遡れるのだが、大魔女と言われる存在が現れる時代は案外少ない。出現する時はその多くが内憂や外患で国が乱れた時だ。一番最近の時代は何十年か前の『黒の十年』と言われる内乱時代だな。これはギディオン卿の祖父殿たちの時代の頃のことで、多くの貴族の家系が絶えた」
「それは存じております。正史の暗黒部分として、公式には積極的に伝えないところですが。私の祖父の兄も魔女の陰謀で命を落としたと聞いています。ですから私の認識では大魔女とは悪なのだと思っておりました」
「その認識でよいと思う。大いなる力を持ち邪悪な心を持つ魔女は、野心のある人間を主人として見出し、積極的に仕え、主従をして国を乱したのだよ」
「……良い魔女はいなかったのでしょうか?」
ザザが悲しそうに尋ねた。自分もドルカも、そして亡くなった母も、悪いことをしたとは思えない。
「無論いただろうさ。病を癒し、水を浄め、鉱脈を人々に示した。しかし、よき魔女は歴史に名を残すことを好まず、市井に埋もれたのだろう。僅かな記録しかないし、その記録にも名前が残っているのはさらに少ない。普通の人間に紛れてその生を終えたのだろうさ」
「なるほど。博士の言うことはいちいちもっともだ。よき心根をもつ者が、名を残そうと大魔法を使うことはないだろう。ザザも言っていたではないか。魔女とは耐える者、なのだろう?」
「……それは、そうですが」
ウェンダルやギディオンの言葉は、ザザをほっとさせるものがあった。
ではわたしがあの泉で感じたものは正しかったの? わたしがわたしだったからギディオンさまを選んだ……?
「だったら、ザザに主人とされた俺はどうなんだろう? こんな俺でも、俺だったからザザに認めてもらえたのか……?」
たった今、ザザが考えていたことと、同じことをギディオンが言い出す。ウェンダルは黙って彼の話の続きを待っている。
「ギディオンさま?」
「ザザは良い魔女だ。これは絶対だ。そのザザに主と見込まれた俺は、少しはマシな人間なんだと……俺はそう思いたい。幻想かもしれないが」
ギディオンは重く言った。
「俺はな、ザザ。戦で多くを殺した。敵とは言え、人を殺したことには変わりがない。アントリュースの街を破壊して占領した敵を憎いと思い、率先して殺したんだよ。先だってもそうだ。フェリア殿下を守るために殺した。だからこの手は血塗れなんだよ」
ギディオンはザザに向かって両手を差し出した。無論、その手は豆だらけで分厚く、かちかちなだけで血の汚れなどどこにも見られない。
「罪に汚れた手だ」
「いいえ!」
思わずザザはその手を取っていた。
「ギディオンさまは汚れてなどおりません! 私が見つけた唯一の大切なあるじさまです」
「そう言ってもらえると、少しは救われた気になるな。ありがとうザザ」
魔女の小さな手に己の分厚い手を重ねると、ギディオンは少し笑った。
「ふむ。なかなか良き主従だわい。控えめに言ってもお似合いだて。いやこれは、下世話な意味で言っておるのではないぞ。わしはよく誤解されるんだがの。非常に興味深く君たちを観察しての感想じゃ」
「理解します」
ギディオンは真面目に答えた。
「ふむ」
ウェンダルは何かを探すように奥の書架の間をうろついていたが、やがて一冊の非常に古い箱を両手に抱えて戻ってきた。
「ザザ。あんたが良き魔女かどうか、わしにはまだ判断ができかねる。しかし、こういう記録があると思いだしたんだよ」
「記録? この中に?」
ザザはウェンダルが差し出した古い革の箱を受け取った。
「そう、魔女であるからには額に印が現れるだろう? これはわしの知る限り、その印について記した一番古い記録だ」
「……」
ザザの目が非常な興味で煌めいた。今まで自分の印については、どんな本でも見たことがなかったのだ。
「あんたは自分の印について何か知っておるかね?」
「いいえ、ドルカは見たこともない形の白い印だから、きっと半人前の印だろうって……」
「ふむ。だったらわしは、もう少し詳しいことを教えてあげられそうだ。これはパージェス古王国創世記の記録だが……」
そう言っいながら開けた箱の中には、書物というより、干からびた羊皮紙の束が入っていた。からからに乾いてもろくなっている。文字や図柄がびっしりと書いてあったが、ところどころ擦り切れたり破れたりしていて読めるところは半分もない。
「この文字が読めるかね?」
ウェンダルは丁寧な手つきで数枚の羊皮紙をめくった。
「パージェスの古語ですね。発音はできないけれど、なんとか読めます」
「ふむ、じゃあこっち見てごらん」
そういってウェンダルが再びめくった部分には、たくさんの図柄がたくさん描かれていて、細かい文字で注釈のようなものが書かれている。
「これは全部魔女の印……」
「そう。それでここを見なさい」
指の先には何やら紐が絡まったような紋様があった。
「これは……」
「さっき、あんたが魔法を使った時に現れた魔女の印の形によく似ていないかね?」
「本当だ……似ている」
ギディオンが驚いたように言った。
「そこにはなんと記されておるな? 隅っこだし、ちょうど破れ目に重なって読みにくいが」
「……」
ザザは羊皮紙の上に屈みこんだ。
「つなぎの印」
「つなぎのしるし? どういう意味だ?」
ギディオンがザザの額を覗き込む。無論印はすっかり消えていて、滑らかな娘の額があるばかりだ。
「わかりません……が、何か書きこまれています。つなぎの印は結びの印なり*****の印を結び、つなげ、相殺し*****しかるのちに返る(破れ落ち)」
「どういう意味だ?」
「さぁ……そもそも、この図が私の印を示しているのかどうかもわかりません」
「それは間違いないと思う」
ウェンダルは羊皮紙全体を指した。
「見なさい。他の印は黒っぽく描かれているが、この印はなんだか白っぽいだろう? まぁ長い年月で黒も赤も同じようになってしまっているが、この印だけは妙に白っぽい。あんたの印も同じだ」
「でも、意味は」
「そのままの意味だろう? この印はおそらくいろんな魔女の印を繋ぐんだ」
「繋ぐってどういうことでしょう?」
「さぁ、魔女の感覚ならわかるかと思ったんだがなぁ。あんたは風使いなんだなぁ」
「はい。風で火を起こしたり、水を流したり、梢の枝を折ったりします……そんな小さな魔法しか使えないんです」
「……うん?」
ザザの答えにウェンダルは妙な顔になって考え込んだ。
「あんた、さっき紙を風で操って見せたが、今言った言葉によると火や水、木なども意のままに操れるということになるぞ」
「そんなことはありません。全て風の作用で……」
ザザはぶんぶんと首を振った。
「ザザ、お前は前にフェリア殿下の傷を癒したのではなかったか?」
「ほう、癒しの技も使えるのか? それはかなり珍しい部類の魔力だと伝え聞くぞ。わしが調べた限りでは数人しかいない。しかも名前は伝わっておらぬ」
「いえその、わたしにできることは癒すというより、痛みをとって傷跡を目立たなくする程度で……」
「これは憶測じゃが、それはあんたの人生経験上、瀕死の病人や怪我人を見ることがなかったから、魔力を発揮できなかったからじゃないのかの?」
「辺境では、飢えた人を救うことはできませんでした」
「それはまた別の問題じゃ」
老博士は厳しく眉根を寄せた。
「ギディオン卿、この娘はよほど己の価値を知らぬと見える。他に何か思い当たることはないかな?」
「はい。初めて出会った時、泉の水を抑えて溺れそうになっているフェリア殿下を助けようとしていたのです。それがなければ今頃フェリア殿下の命はなかったでしょう」
「ほう! それは初耳じゃ!」
「でも、あれも風の作用で……」
「俺には水が
「……そんなことは!」
自分への買いかぶりをどうにかしようとザザは珍しくギディオンに反論しかける。
「わたしが唱えたのは風を呼ぶ呪文だけで……」
「ともかくじゃ!」
ウェンダルは両手を広げて二人を止めた。
「話がなかなかまとまらんな。今わかっていることを一旦整理する」
「……」
「まずはギディオン卿の案件だ。チャンドラから放たれた刺客が、魔女の呪いにかかっているかもしれんということ。魔女の呪いの暗示を解くには、さらに強い暗示の力が必要なこと。どうにかして刺客の呪いを解いて、フェリア殿下襲撃の黒幕を突き止めたいこと。こんなものかな?」
「その通りです」
「ふむ……で、ザザ嬢だが、まず魔女の生き残りであること。今のところ悪しき心は持っていなくて、ギディオン卿を主人としていること。魔女の印が、もしかしたら自分で思っている以上に、秘めた力があるかもしれないこと」
「……」
「これらを突き合わせると、どうなるかわかるかな? ザザ嬢、ギディオン卿」
「私には……」
ザザは口ごもり、老博士はギディオンにぎょろりと視線を向けた。
「あんたは?」
「は……つまりその……このザザの手で、刺客にかけられた魔女の呪いを解けるかもしれない、ということ……ではないかと」
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今年の更新はここまでです。
元旦も更新します。
皆様良いお年をお迎えください。
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読んでいただきありがとうございました。
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