第28話27 騎士と王女 2

 屋外展示室を囲む壁はとても人が登れる高さではない。

 おそらくフェリアの公式行事を把握していて、前夜から周到に壁上で潜伏し、護衛が少なくなる機会を伺っていたのに違いなかった。

「ヒャアアアアア!」

 賊は奇声を上げながら五方向から飛び降り、中心に立つギディオン達に向かって同時に襲いかかってきた。

「殺せ! 殺せ!」

「滅べ! パージェス古王国!」

「我らが太守に道を開けろ!」

「王女を狙え!」

 フェリアの周りには、彫刻の陰から飛び出した二人を含め、三人の護衛騎士が張り付いている。正面はギディオンだ。

「ギ、ギディ……l?」

 フェリアはまだ何が起きたか理解できずにいた。彼女の周りに人間の壁ができている。

「フリューゲル、死んでも殿下を守れ! 俺は少し前に出る。すぐに全方向から来るぞ!」

「……は」

「承知」

 ギディオンが低く呟き、二人の騎士は彫刻を背にがっちりとフェリアの前に立ちはだかった。

 瞬間、二人の男が右から、もう一人が左から襲いかかってきた。市民の着るマントが宙を舞う。男たちは下に黒い戦闘服のようなものを着ていた。

 血飛沫がざぁっと激しく鳴った後に倒れていたのは、左右から襲いかかった二人の男だった。二人とも胸とくびを斬られて完全に絶命している。ギディオンの袈裟懸けの一閃いっせんと返す刃でたおされたのだ。


「ふん……まぁまぁか」

 神技を見せた飛燕ひえんの剣は鮮血に染まっている。そしてその切っ先はなおも残った男と、その背後に立つ二人の男へと向けられていた。

「……つ、強い!」

「怯むな! 臆するな!」

 そう叫んだ男がじりっと真横に跳んで側面からフェリアを狙う。しかし、フリューゲルがその剣を受け止めた。力が拮抗し、二人の動きが一瞬止まる。

 しかし、フリューゲルが見たのは男の胸から突き出る、真っ赤な剣先だった。背後からギディオンが貫いたのだ。

「指揮官殿!」

 叫ぶよりも早く、剣は男の内部に吸い込まれ、肺腑はいふ突貫とっかんされた男は無言で前のめりに倒れた。肺から漏れた呼気がぞっとするような音をさせるのをフェリアは聞いた。

「殿下!」

 もう一人の騎士がフェリアを頭から抱きかかえた。残酷なものを見せたくないと言う配慮だろう。ギディオンはどうなったか、フリューゲルが振り返り、そして言葉を失った。

 ギディオンは、二人になった男たちに酷薄な笑いかけている。返り血をたっぷり浴びて、凄惨極まりない微笑みだ。この男を敵にした男達にはもっと恐ろしいものに見えただろう。

「なんだお前達、この程度の力で俺に挑もうと思ったのか」

「ひ……お、お前……ギディオン! 双剣のギディオンか!」

 賊の一人がひぃと息を引いた。

「ギディオン? 馬鹿な! あいつは死んだはずでは……」

生憎あいにく死神に嫌われてな」

 美術館内からはようやく騒ぎを聞きつけて、馬車や女官を守っていた騎士が数人こちらに駆けて来る。フェリアの愛犬アレックスも主人を守ろうと走ってきた。フリューゲルはそちらへ叫ぶ。

「一人は賊の背後につけ! 他は建物の周辺を見回れ! まだ刺客が潜んでいるやもしれん!」

 たちまち指示通りに騎士たちが動き出す。背後も囲まれて残った二人の男達にはもう後がなくなった。襲撃が始まってから一分あまりしか経っていないのに、三人もの仲間がほふられたのだ。

 たった一人の男によって。

「くそっ! 王女を人質に取る計略が……」

「確かによくできた作戦だ。お前達、昨夜からへ壁上に潜んでいたんだろう? 夜は冷えるだろうにご苦労なことだ」

「黙れ化け物!」

「全ては我らが太守のため!」

 手前の男が懐から袋状のものを投げた。目くらましの黒粉だ。薄く広く拡散するので効果は一瞬だが、その隙に敵に一撃を与えることができる。

「モス!」

 ギディオンはマントで目を防御しつつ隼を呼んだ。

 上空を旋回していた大きな猛禽は、すぐさま急降下に転じ、賊の目を攻撃する。男が防御するために背中を丸めると、鋭い爪が頭皮を切り裂いた。動物同士の勘が働いたのか、アレックスも男の足に噛みつこうと、吠えたてた。

「くそっ!」

 男が思い切り犬の腹を蹴る。アレックスはギャンと鳴いて這いつくばった。しかし、動物たちの攻撃のおかげで黒粉が晴れていく。

 後ろの男は、背後に回った騎士と応戦していた。実力は同じくらいだろうが、少しは時間が稼げる。一目でそれを見て取ったギディオンは、頭から血を流している目の前の男に問いかけた。

「チャンドラの手先だな。生きて帰れると思うな」

「承知の上!」

「ならば死ね!」

 言い終える前に、ギディオンは深く踏み込んで男の剣を飛ばした。剣だけではない。手首ごと宙を飛んで、側に立っていた羊飼いの少女の彫像に当たって像の顔を血で汚しながら、それは落ちた。

 しかし、ギディオンはそんなものには目もくれなかった。

 わめきながら、地に転がる男を踏みつけて最後の賊に向き合う。ギディオンの顔を知っていた男だ。対峙していた騎士は脇を斬られて膝をついている。

「アントリュースの戦いで俺を見たか」

「ああ。み、見たとも。俺の兄も、従兄弟もお前の隊に殺されたんだ!」

「それは仕方がない。お前らの国の太守が欲をかいて攻め込んできたんだからな」

「偉大なるアントリュースの川の源流は俺たちの国にある。だから川も俺たちのものだ。流域を占領する貴様らの国が悪いのだ! 必ず奪う!」

 パージェス古王国の北を流れる豊かなアントリュース川は、水利で流域の田畑や街を栄えさせ、海に注いで良港を成している。その源流は東の山脈にあり、そこはチャンドラの版図はんとなのである。

 チャンドラは山岳国で資源もあり、決して貧しくはないが、港がない。したがって、豊かさをもたらすアントリュース川の水運は、喉から手が出るほど欲しいのだ。

「では手始めに俺と戦って殺したらいいだろう?」

「お前の弱点は知ってるぞ!」

 男はそう叫んで、鋭い小刀をギディオンの左腕に投げた。彼はあえて逃れず、隊服の厚い部分で小刀を受けた。その一瞬、男は異常な跳躍を見せて、ギディオンの右側に殺到した。

「死ね!」

 フリューゲルが見たのは、左足を軸にくるりと旋回したギディオンが、空を切って前のめりに倒れる男の背中を斜めに斬ったところだった。鮮血が勢いよく吹き上がった。

「指揮官殿!」

 肋骨を断ち切る凄まじい太刀筋は、男をほとんど即死させたようだ。倒れた男の周りの地面がどす黒く濡れていく。

「いい。殿下を館内にお連れしろ。それから王宮に応援要請。後は索敵」

「は!」

 フリューゲルともう一人の護衛騎士はフェリアの体を抱えるように歩き出した。

 騎士達の背に守られていた彼女が認識できたのは、聞くに耐えない恐ろしい言葉と鈍い斬撃音、何かがどさりと倒れる響き、ぞっとするようなうめき声だけだが、何が起きたのかは既に把握していた。よほど怖かったのだろう、足が震えている。

「もう大丈夫です。殿下、ひとまず屋内に」

 フリューゲルの言葉にフェリアは肯く。この場で自分が何もできないことをよくわかっていたのだ。しかし、フェリアは無理やり体を捻って叫んだ。

「ギディ! どこ⁉︎ どこにいるの!」

「お側に」

「あなた大丈夫なの?」

 もちろんフリューゲルの体に遮られてギディオンの姿は見えない。 

「私は大丈夫です。王宮からの護衛隊が着き次第お戻りください。私はここの後始末をいたしますので、お城には同行できませぬが、ご安心召されよ。賊は全て倒しました」

 ギディオンはいつもの落ち着いた声音で、安心させるように言った。

「わかったわ! でも……すぐに、すぐに戻ってきてちょうだい! お願いよ!」

「承知いたしました」

「さ、殿下。あちらで皆が待っています。早くお顔を見せて安心させてやってください」

 フリューゲルが優しく促す。

「ギディオン! きっとよ! 今日中に顔を見せてね!」

「……」

 フェリアの声を背中で聞きながら、ギディオンは顔じゅうにかかった返り血を袖で拭った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る