第27話26 騎士と王女 1

「ギディオン! ねぇ、こっちに来て」

 フェリアは中庭の真ん中に走り出た。ここは王都郊外の王立美術館の中である。

 このほど美術館付属の屋外展示室が完成し、フェリアは完成を記念して開かれた彫刻展を視察に来たのだ。広い中庭には、大小いくつもの彫刻や塑像が間を置いて展示されていた。

「は」

 このところフェリアのたっての願いで、夜勤が明けても王宮にとどまることの多くなったギディオンである。

 彼は背後の警備をフリューゲルに合図して、フェリアの前で頭を下げた。丁寧だが、その動作は何事があっても対応できるよう最小限だ。野外での公式行事ではいつものことである。

「ゆっくり見て回りたいから隣を歩いてちょうだい。ああ、サラ。日傘はもういいわ、帽子があるから。あなたも館内に戻っていて」

 フェリアは傘を差しかける侍女を断った。今日は追随の女官たちも少なく、フェリアの指示で美術館のホールに待機している。代わりに彼女の愛犬のアレックスが嬉しそうについてきていた。頭上では隼のモスが優雅に舞っている。

 初秋の空は高い。

 王女の言葉に、ギディオンはわずかに頷いて右隣に寄り添った。フェリアはその左腕に自分の腕を絡める。本来、介添え役でもない護衛騎士は、勤務中に戦う腕を他人に預けたりしない。しかし、ギディオンは黙って己の左腕を華奢な袖に取られるに任せた。

 庭園はまったく人払いがされている訳ではなく、遠巻きに王女一行を眺めている市民がちらほら見えた。無論身元確かな市民たちばかりである。

「あなた、この彫刻の良さわかる? 私、ちょっと難しいわ」

 顔を向けた先には、表現がかなり誇張された踊り子のブロンズ像があった。手足が異様に長く、衣装の翻りが躍動的につくり込まれている。

「人間の手足はこんなに長くないわよね」

「御意。しかし、表現は自由ですから。作者が踊り子の躍動感を表したかったのでしょう。私は好きです」

「まぁ、ギディオンったら芸術にも造詣がぞうけい深いのね」

「いえ、感じたままを申し上げたまでで」

「ギディ?」

 フェリアはほんの少し体をギディオンに寄せた。

「はい」

「今は、近くに人がいないからギディって呼んでもいいのよね? 小さな声なら、ね?」

 一番近くにいる護衛にも聞かれない声でフェリアは尋ねた。

「恐れ多いことでございますが」

 ギディオンは柔らかく微笑んだ。

 十七歳の誕生日が近づき、公私を分けるように常々言われているフェリアは、以前のようにギディオンと親しくできないのが、このところの悩みの種なのである。

「……ねぇ、ギディ?」

「はい」

「あの子はどうしているの?」

「あの子……ザザのことですか? 彼女は今、学校の先生をしています」

「まぁそうなの!」

 知らずフェリアの声が高くなる。

「残念! 本当は私の宮に来て欲しかったんだけどね。だってあの子、いつも一生懸命で、ちょっと間抜けで見ていて飽きないんですもの」

「同感ですが、最近は随分自信もついてきたようです。国家薬師の試験を受けさせようかと」

「すごいわね」

「真面目な娘ですよ」

「そう……ギディはザザをとっても気に入っているのね」

「森から連れ出した責任は感じております。だから、なるべく身を立てられるようにしてやろうと」

「まだ一緒に住んでいるの?」

「とりあえず。しかし、わたしは家にいることが殆どないので、昔からいる使用人に色々世話を頼んでいます」

「そうなの……」

 ギディオンのの如才じょさいない返答をフェリアは微妙な表情で受けた。

「でも、その内どこかに預けるのでしょう?」

「そのつもりでおります」

 ギディオンが腕を伸ばすと、モスが乾いた羽音を立てて舞い降りてきた。艶やかで小さな頭を撫でてやると、隼は嬉しそうに喉の奥で鳴いた。

「モスはいい子ね。ねぇ、お菓子をあげていい?」

「いいですよ。高く放り投げてやってください」

 フェリアが持っていたレースのバッグから小さな菓子を取り出すと、空に向かって投げた。舞い上がったモスが空中で見事に捕まえる。犬のアレックスがわんわんと吠え、隼はからかうように円を描いて飛んだ。

「……ギディはザザのことが好きなの?」

 空を見上げまま、フェリアはギディオンに小さく尋ねた。

「……と申しますか、歳の割にあまりに純粋で無防備なので、誰かが見守ってやらなければ……と思います」

 ギディオンは慎重に言葉を選んだ。

「そう……ギディは弱き者の味方だものね。じゃあ、私のことも見守ってくれる?」

「もちろんでございます。しかし、殿下は弱き者ではございませんでしょう? この国のご立派な王女様です」

「殿下じゃなくて名前で呼んで」

「は、ではフェリア姫」

「フェリア」

「……フェリア様」

「もう、堅物だわね。私は立派じゃないわ。両親や兄様が言う通りに生きてるだけだもの。毎日勉強と作法、それから一番嫌いなのが政治向きのやりとり。これからは女でも、外国の人と渡り合わなければならないからって」

「だからご立派なのです」

「そうかしら?」

「……ご尊敬申し上げます」

「尊敬だけ? 好きじゃない?」

「崇拝申し上げております」

「尊敬に崇拝かぁ……誰にでも使える言葉よね」

 フェリアは可愛らしい唇を尖らせて言った。

「それは違うでしょう。私は誰にでもそんなことを言いません」

「そうね。あなたはそんな人じゃないわよね。でも、ほんと制約が多くって、王宮はつまらないところだわ。あら、ダメよアレックス。お利口にしてて。あちらの騎士に遊んでもらいなさい」

 フェリアはドレスにじゃれつく犬の首を撫でて腕を振った。犬は正しく意図を理解し、向こうの護衛騎士の方に走っていく。

「犬のアレックスより自由がないのよ」

「そんな風におっしゃっては……」

「私……私ね、本当は王女なんてやめたい」

 フェリアは大きな彫刻の陰で立ち止まって言った。

 護衛たちは遠慮して視界には入ってこないが、フェリアの死角からしっかり務めを果たしていることをギディオンはちらりと確認する。

「何をおっしゃいます」

「本当よ。これは本心なの。だって王女なんて、自分の気持ちでできることが一つもない。せめて侯爵令嬢くらいだったらなぁ」

 フェリアは空を見上げ、気持ち良さそうに旋回している隼を見上げてため息をついた。

「モスはいいなぁ。強くて自由でどこにでも飛んでいけるのだもの。彼に比べたら私は籠の鳥だわ。このままじゃ私、もうすぐ婚約させられてしまうの。十八歳になる前にどこかにお嫁に行かせられるみたい」

「それはおめでたいことでは……」

「めでたくなんかないわよ! だって知らない人に嫁がされるかもしれないのよ」

「どなたかはもうお決まりなのですか?」

 ギディオンは出入り口の方へ意識を向けながら尋ねた。そろそろホールに戻る刻限である。

「いいえ。でも、お父様には私は国に留まりたいって伝えてあるの。だって、知らない国に行くなんて不安じゃない」

「陛下はフェリア殿下のことを大切に持っておられます。きっと良いようになされますよ」

「私はお父様に良いようにされたくなんかない! 私は、私はねぇ……」

「刺客!」

 フリューゲルの叫び声にギディオンは一瞬で戦闘態勢に入った。

「殿下! お下がりください!」

 中庭を囲む壁から一斉に飛び降りてきたのは、市民のマントを羽織った五人の男たちだった。



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