第16話15 魔女と娘達 4
「あ……」
ザザが慕わしい気配を感じてそちらを向くと、テラスから下に降りる階段の前に、近衛騎士の隊服に身を包んだギディオンが立っていた。朝別れて以来だ。
見渡すと、反対側の階段にも同じ服装の騎士がいる。彼らは近衛の務めとして王女の警備をしているのだ。
ギディオンさま。
思わず主の元へ駆け寄ろうとしたザザだが、強い視線でギディオンに来るなと止められる。そこへフェリアから声がかかった。
「何をしているの? ザザ、早くこちらにお座りなさいな」
テラスには雨も降っていないのに大きな傘が立てられ、その下には茶会の支度が整っている。
「は、はい」
ザザがおずおずと華奢な椅子に座ると、早速茶が注がれ、良い香りがあたりに立ち込めた。甘い香りのする上質な茶葉だ。中央に置かれた三段重ねの銀の皿には、可愛らしいお菓子や小さく切った果物が並べられていた。あまりにきれいで食べ物だといわれないと、飾り物だと思ってしまいそうだ。
「まずはきちんとお礼を言わないといけないと思っていたの。ザザ」
一口茶を飲んだフェリアはカップを置くと、真面目な顔をして言った。
「森の泉で私を助けてくれてありがとう。それから……もっといろいろ助けてくれてありがとう。あんなことを私にしてくれた人は今までいないわ」
「……いいえ」
ザザは不安になった。魔法で風を起こして髪を乾かしたことや、傷の痛みを和らげたことは、フェリアには気づかれていないはずだ。
「わたしは何も……」
「いいえ、あなたは自分の命を危険にさらしてまでも私を助けようとしてくれた。まごうことなき命の恩人よ。これからも私と仲良くしてちょうだい」
フェリアは
「もったいないお言葉です」
「みんなにも改めて紹介するわ。こちらはザザ・フォーレット。聞いた通り、昨日私が遠乗りで馬から泉に落ちた時に飛び込んで助けてくれたの」
フェリアは、周りに座っている女官たちに言った。キンシャとセリカはどういう訳だか立ったままだ。
「まぁ、飛び込んで? 恐ろしいこと!」
「姫様をお助けくださって感謝いたしますわ」
「私からもお礼を申し上げます、ザザ様」
「たいそう勇気がおありですのねぇ」
女官たちは、いささか過剰なほど感情をあらわにして口々にさざめいた。
「こんなにお小さいのに、素晴らしいですわ。さすが私たちとは違いますわね」
女官の中でも一番綺麗な服装をした娘がザザを見つめながら言った。
「お小さい? いやね、エリー。こう見えてザザは二十歳の大人なのよ」
「まぁ! 私よりも歳上だったのですか? とてもそうは見えませんわ。やはり何かが違うのですわねぇ」
エリーと呼ばれた娘は、違うという言葉をやたらと強調して周囲に同意を求める。
「私も……てっきりフェリア様と同じお年頃かと……失礼いたしましたわ」
「そうよ。でも、仲良くできるわよね?」
フェリアは自分の言葉が皆を驚かせたと、ちょっと嬉しそうに言った。
「姫様がそうおっしゃるなら」
エリーと呼ばれた女官は、慎ましく頭を下げたが、その目にはやはり
「ところで、ザザ様はどちらのご出身ですの?」
「え? あの……森で」
「そうではなくて、出身地方とか、家名という意味ですわ」
「あのわたし……自分の出自のことは何も知らないんです。孤児なので」
「まぁ孤児ですって? まるでおとぎ話のようですわねぇ」
「ありがとうございます」
エリーの嫌味に礼を述べたザザは、たちまちくすくす笑いに取り囲まれた。
「まぁ、この方おもしろいわ」
「ほんとうに」
「素直なお育ちが伺われますわね」
女官たちの口調は優しいが、中には毒が込められている。しかし、ザザは素直に褒められたと思って頭を下げた。
ザザの背後でキンシャとセリカはちらりと目を見交わしたが、立場上ここで口を挟むことはできない。
キンシャたちが言ったように、王女づきの女官は中級貴族の娘が務めるものなのだ。彼女たちには家名に対する誇りや義務がある。侍女もそうだが、王宮に努めるということが既に名誉なのである。
セリカさん達が立っているのに、私だけ座ってお茶飲んでいいのかな。
そんなことを知らないザザは二人に申し訳なく感じながら、居心地悪く座っていた。
「ザザは森の中で一人で暮らしていたのよ。だからギディオンがフォーレットと言う通り名をつけていたわ。だから、ザザはフォーレットよ。ねぇギディ?」
フェリアが説明すると、女官たちは一斉に向こうに
ギディ? ギディオンさまのこと?
ザザは可愛らしい口調でギディと呼びかけられたギディオンに目を向いた。
「左様でございます。殿下」
「そうよ。これからはギディオンが後見人となって、私への目通りも認めるから、あなたたちもそのつもりでいてね」
「まぁ。ギィデオン様が?」
「そんなこと……」
今度はザザに明確な敵意と羨望のまなざしが向けられた。
「ほらザザ、このお菓子美味しいわよ。食べてみて?」
「あ、私が致しましょう」
フェリアが自ら取り分けようとするのへ、エリーが銀の取りばさみで、小皿に菓子を乗せていく。白いクリームと果物が飾られた柔らかそうなお菓子である。ザザはこんな綺麗な食べ物を見たことがなかった。
「あっ!」
エリーが体勢を崩し、その拍子に菓子が皿から滑り落ちてザザの膝の上に落ちた。美しい菓子がスカートの上でぺしゃんこに崩れてしまう。
「あら! 申し訳ありません、私とんだ
「へいきです」
ザザは薄ら笑いを受かべて謝るエリーにむかって、大丈夫と言う風に頷くと、膝の上に落ちた菓子を手づかみで食べ始めた。一口食べた途端、黒い目がまん丸くなる。
「わぁ! とっても美味しいです! こんな美味しいもの初めて食べました!」
ザザは膝の上で潰れた菓子を摘んで一生懸命食べた。クリームがスカートにべっとり広がったのも指ですくって口に入れた。自分は気にしていないことを示したつもりだったのだが、わざと菓子を落としたエリーはあっけにとられてその様子を眺めている。
突然、フェリアが笑い出した。
「あははは! ザザったらやるわね! 見て! あのエリーの顔、面白いこと! せっかく意地悪したのにね!」
「フェリア殿下! 私は何もそんなつもりは!」
エリーが顔を真っ赤にして言い訳するも、にこにこしたフェリアに遮られた。
「ザザを困らせようと思ったのでしょ? でも、ザザはちっとも困ってないから面白いんじゃないの。まさか食べてしまうなんてね! こんなの初めて見たわ。でも、服が汚れてしまってかわいそう。キンシャ、セリア、中で替えの服に着替えさせてあげて」
「かしこまりました」
二人に急かされてザザはフェリアの部屋の隣の小部屋に入った。そこで同じような服に着替えさせられる。キンシャとセリアは心なしか嬉しそうだった。
「ザザったらやるじゃないの。まさか食べちゃうなんてね!」
「え?」
「本当、あのエリーシアさまの顔ったら! いい気味よ」
「いい気味ね」
「……なんのことですか?」
「ふふふ、あのね。エリーシア様、あのエリーって呼ばれていた女官のことなんだけど、あの人は嫌な人なのよ。侯爵令嬢だってことを鼻にかけてね」
「私たちの身分が軽いからって、今まで散々ばかにされたし、つまらない用事を山ほど言いつけられたりしたのよ」
「そうなんですか? でもフェリアさまは正直だって」
「あの方、ギディオン様に気があるから、彼がザザさんの後見人になったと聞いて、きっとやきもちを焼いたんだわよ」
「気があるってどう言う意味ですか?」
「まぁ、ザザはよっぽど世間知らずなのね。気があるってことは、好きってことよ」
「すき? 好き……ですか?」
ザザは次第に真っ赤になった。
「そう。でもギディオン様は、フェリア殿下以外の女性に興味はなさそうだけどね」
……ギディオンさまはフェリアさま以外に興味はない。
「あ、ほら。ぼうっとしないのよ。もう行った方がいいわ」
「そうね。殿下はここにある服を全部くださるそうだから、あとで部屋に届けさせるわ。あなたうまくやったわよ。わかってないだろうけど」
状況がよくわからないまま、ザザは再びテラスに放り出される。
茶会の席ではフェリアがギディオンの隣に座っていた。さっきまでエリーシアが座っていた椅子である。エリーシアの姿は見えなかった。
彼は柔らかく微笑みながら、彼女の話に耳を傾けている。彼の守っていた場所には別の騎士が立っていた。
「あら、戻ってきたわ」
フェリアの声にザザとギディオンの目が合う。途端に彼の表情が硬いものに変わった気がした。
私が変なことをしたから、怒ってらっしゃるのかしら?
自分が世間知らずの女だから……と思うと、ザザは少し悲しくなったが、もともと魔女とはそう言うものなのだ。
「その服もよく似合うわ」
「……服をたくさんありがとうございました」
「いいのよ。これからは必要になってくるし、ほんのお礼。さぁ、お茶の続きよ。すっかり冷めちゃったから淹れ直してくれる?」
今度お茶を入れたり、菓子を取り分けてくれた女官はエリーシアではなく、別の女官だった。茶会は最初からエリーシアなどいなかったかのように進んでいく。
フェリアは朗らかに王宮のことなどをザザに説明し、周りの女官たちも今度は至極おとなしい。
「あーあ、
「まぁ殿下。アレックスが寂しがりますわよ」
「あら、そうね。今度はアレックスも連れてきたいわ。今頃きっと寂しがって鳴いてると思うの。あ、アレックスとは私の飼い犬よ。とても賢いのよ」
フェリアがザザに説明した。
「ですが、私も王宮がそろそろ恋しくなってまいりましたわ。ここには夜会もないし、商人も来ないし」
「宮に戻ればすぐに秋ですわね。霜降の節もありますし、新しいドレスや装身具を新調しなければ」
「秋は催しも多いわよねぇ」
「……」
ザザは皆の話を理解しようと皆の一生懸命に耳を傾けていた。
しかし、今までの生活とあまりに違いすぎ、これからどうなるのか想像もできない。なんとかお茶には口をつけたが、もう味もわからなくなっていた。
ギディオンはザザが戻ってから一言も発しなかった。
それでも、なんとか無事に茶会は終わる。
部屋に戻ったザザが覚えていたのは、フェリアたちが明後日に王宮に戻ることと、最後に見たギディオンの物憂げな瞳だった。
*****
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