第55話 契約の履行




“ありがとうございます薫くん! すごく嬉しいです!”


 ひとしきりマウス君の人形を観察したり抱きしめたりしたのち、玲は思い出したかのようにお礼を言ってきた。そこまで夢中になってくれるとは思っていなかったから、俺もすごく嬉しいよ。


「サプライズってのをしてみたかったからさ、彩に協力してもらってたんだよ。勘違いさせて悪かったな」


“そうならそうと言ってくださいよ~”


「言ったらバレちゃうじゃん」


“――たしかに!”


 目をまん丸に開いて驚愕の表情を浮かべる玲。ちょっとわざとらしいがそれも含めて可愛い。


 それから玲は、一度マウス君をじっと見つめたあと、テーブルの上にぬいぐるみを置く。まぁ実際は浮いたり貫通していたりするのだけど……そこは彼女の意思次第って感じだ。


 そして玲は俺の顔を見てニマニマと笑みを浮かべたのち、跳ねるように俺に跳びついてきた。俺の背に手をまわし、ぎゅっと抱きしめてくる。


「お!? おうおう、どうした」


“嬉しいのでそのお礼です! 私ができることなんてこれぐらいですから!”


「なるほど」


 毎日プレゼントを渡したい。いやでも、それをやってしまうと慣れてマンネリ化してしまうだろうか。なんというジレンマ。


“えへへ~。嬉しすぎてこれだけじゃ気持ちが治まりませんね! ここはお礼にほっぺにキス――とか……”


 話している途中で、俺を抱きしめていた玲の手から急速に力が抜けていくのを感じる。


 ほっぺにキスが急に恥ずかしくなったか? まぁ恋人になって間もないし、俺たちも慣れているわけじゃないからなぁ。


 ゆっくりと俺から体を離した玲の表情を見ると、顔を真っ赤にしながら頬をヒクヒクと動かしていた。


「どうしたんだ? そんなに真っ赤になって」


“――だ、だって私、さっき薫さんに……!”


「さっき……? っ!? あぁ! あれか! もし本当にプレゼントだったら、一緒に風呂に入るとか背中を流すとかいっぱい唇にキスをするとか言ってたやつか!」


“なんでパーフェクトに覚えてるんですかぁっ!”


 そりゃあねぇ。思春期ですから。


 しかも勝ちのわかっている勝負で、相手が自信満々に掛け金を吊り上げていくのだから、そのチップを見守るのは当然だろう。


「さすがに冗談だってわかって――“やりますよ! やってやりますよ! 私だってやるときはやるってことを見せてやりますよ! それに! あれだけ嘘を吐かないで欲しいなんていっておきながら、自分が嘘ついてちゃダメですもんね!”――お、おう」


 玲とお風呂に入ることになってしまった。嬉しいから嬉しくないかで言われたら――いやそんなわかりきった問答をする必要はないな。当然前者。


 というか今気づいたんだけど、幽霊が背中を流すってどうやるんだ……?


 身体をこするタオルもつかめない、水もボディソープも触れない。触れるのは俺の身体だけだというのに、いったいどうするつもりなのだろうか……?



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 夕方近くになって、俺は栞さんの家に行ってあるものをお供えしてきた。


 ボディソープや水をお供えしたところで、それは俺の身体に影響を及ぼせないので意味がない。そんなものより、もっと大切なものを届けてきた。


 ――バスタオルである。彼女が体を隠すための。


 俺はそれを紙袋に入れて持って行ったのだけれど、俺のそわそわした様子がバレたらしく、栞さんからのやんわりとした尋問に負けて、バスタオルであることを白状した。なぜか彼女は嬉しそうにしていた。


 まぁそれはいい。俺の羞恥心がちょっと限界突破しただけだ。玲と一緒にお風呂に入ることと比較したら大したことではない。たぶん。


“こ、こっち向いたらダメですからね!”


「お、おう」


 俺はバスチェアに腰掛けて、体を強張らせていた。


 いまうしろを振り返ったら、全裸にバスタオルを巻いた状態の玲がいるのだ。そりゃ緊張もするだろう。しないほうがおかしい。まぁ鏡で多少は見えてしまってるんだけど。


 そして今更だが、『玲って水に触れないんだから服を脱ぐ必要なかったのでは?』という本末転倒の事実に気付いてしまった。けど……忘れることにした。


 いやだってさ、このあとどうせ彼女は一緒に俺と風呂に入ることになるのだし、さすがにそれは服を着て入らないだろう。たまに風呂のお湯に彼女がつかる時は、ちゃんと服を脱いでいるという話だったし。


 で、どうやって彼女が俺を洗うか――という問題だが。

 頭を洗うだけならいけるのでは? という結論になった。


 自分で頭を濡らし、シャンプーを髪の毛につけて、あとは玲に任せるというもの。


 これならば泡にも水にも触れない彼女でも、髪を動かすことで泡立たせることはできる。洗浄能力がどれだけあるのかはわからないけど。むしろ髪にやさしかったりするのだろうか。


 そんなことを考えていると、鏡越しに玲と目が合った。


“――っ! か、鏡のこと忘れてたぁあああああ! み、見たらダメですよ薫くん!”


「おちつけって! だ、大丈夫だから!」


“何が大丈夫なんですか!”


「わかんない」


“発言には責任もってくださいよぉおおおお!”


 自分の身体を隠すために、彼女は俺の背中に張り付く。


 玲は冷静じゃないから気付いていないんだろうけど、俺に胸を押し付けるということがどういうことなのか理解してほしい。


 彼女が元から持っている制服や下着、俺はこれらを触ることができる。たぶん、玲自身との結びつきが強いからなのだろう。だが、お供えしたものはそうではないのだ。


 つまり、彼女が身体に巻き付けているバスタオルを、俺は触れない。


 何が言いたいのかというと、彼女の胸は、直接俺の背に押し付けられているのだ。




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