第50話 前に進むために
ファーストキスを終えて、俺たちはそのままベッドでごろごろとしていた。特に何かをするでもなく、スマホを開くでもなく、漫画を見るでもなく、ほんとうにぼうっとしていた。
ちょこちょこと会話みたいなものはあったけれど、一分に一度みたいなスローペース。俺だけでなく玲も、おそらくキスの余韻に浸っていたのだと思う。無言の時間は多かったけど、それがほどよく心地よかった。
仰向けになっている俺の隣で、怜も同じように仰向けになっている。彼女はその態勢のまま“ねぇねぇ薫さん”といつものように声を掛けてきた。
「どうしたー?」
“ファーストキスの感想とかありますか?”
おぉ……なかなか答えづらいところを聞いてくるな。感触としてはグミみたいだったが、それを正直に言うのも違う気がする。いや、感触云々を聞きたいんじゃないか。そういう話じゃないはず。
「めちゃくちゃ緊張した」
“えへへ~、私もです。なんだか唇ってグミみたいな感触ですよね!”
お前が言うんかい。
「実は正直に言わせてもらうと、俺も柔らかめのグミみたいだなぁって思ったよ。温度が伝わればまた違うんだろけどさ、感触だけだとどうしてもな」
“薫さんも同じでしたか! 言ってくれたらよかったのに!”
「だってファーストキスの感想が『グミみたいだった』って、なんか微妙じゃない?」
甘酸っぱい味とかそんな風に言われることがあるみたいだけど、玲に限らず幽霊は無味無臭だし。彼女もまた、俺から温度や匂いを感じることができないし。
苦笑しながら言う俺に、玲は“そうですかね?”と気にしていなさそうな雰囲気で返した。
“だって目を瞑った私たちが感じられるのは、触覚と聴覚だけですもん。聴覚のほうは、心臓バクバクでそっちの音しか聞こえなかったですし”
「言われてみればそうだな」
あの瞬間、俺たちが一番感じられたのは触覚――つまり唇の感触だ。
まぁそれでも、『グミみたい』よりはましな表現があったような気もするけど。
「今日、午後はなにかしたいこととかある?」
なにしろ今は休日の午前中である。昼食を食べてしまえば、あとは自由時間だ。
夕方にスーパーに買いに行く等はできるだろうけど、それまでは特にこれといってやることはない。
休日に遊ぶ友人もいない俺としては、選択肢は限りなく少ないのである。
俺の質問に対し、“んー……そうですねぇ”と悩むそぶりを見せる玲。人差し指を唇に当てて考えている姿が、なんとなく色っぽく見えた。キスしたばかりだからだろうか。
“ごろごろするとかどうですか?”
「ごろごろ? そりゃいいけど、なんかしたいこととかないの?」
“薫さんと一緒に『なにもしない』をしたいです!”
「なるほど?」
つまり、先ほどあったようなキスの余韻時間みたいなものを楽しみたいということだろうか。たしかに、あの時間は悪いものではなかったな。いや、むしろ良かった。
すぐ隣には玲がいて、声を掛ければすぐに返事が来る。
安心感というか、彼女がここにいて当たり前みたいな状態が、非常に心地よかった。
そんなわけで、昼食後はごろごろを決行することになった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昼食を終えてから、再びベッドに舞い戻ってきた。
午前に決めた『ごろごろ』というイベントをこなすためである。別にソファでも良かったんだろうけど、玲的にはベッドがいいらしい。遠慮がちに言っていたけど、彼女が望むなら全力で叶えたいというのが俺という生き物だ。
で、午前と同じような、のどかで甘い時間を過ごすかと思っていたのだけど……、
“んふっ、えへへ~”
玲が甘々モードに突入している。
横向きになって俺の顔を間近で見ている彼女は、仰向けになっている俺の胸に左手を乗せて、にこにこと俺の顔を観察していた。それだけならまだしも、ほっぺへのキスもこの一時間ですでに三回行っている。
唇へのキスで羞恥心がおかしくなってしまったのだろうか。
「玲さん……? もしかして俺のことめちゃくちゃ好きなのでは?」
“ふ、ふふふつうぐらいですかね~”
普通って何だろう。わからなくなってきたよ俺は。
顔を隠すように俺の肩と顔の間に顔をうずめた彼女は、そのまま匂いをこすりつける猫のようになる。もっとしろ、好きなだけしてくれ。
時折俺に体を密着させるように体を引き寄せたりしながら、玲にべったりされつつ、考える。そういえば、キスよりももっと先にやるべきアレをやってないな――と。
「なぁ玲」
“んふふ、なんですかぁ?”
またたび食らった猫かよ。とてつもなく可愛いな。
「俺たちって恋人同士なんだよな?」
“ま、まぁ、世間一般的に言えば恋人という関係ってことになりますねぇ”
どうやら玲はストレートに言うのは恥ずかしかったようで、そんな迂遠な言い回しをする。
「そろそろその丁寧語?をやめてもいいんじゃない?」
誰に対しても『ですます調』で話すというのなら、俺もこんなことは聞かなかった。だけど玲は、友人や家族に対しては、砕けた口調で話しているのだ。
俺もその仲間に加えてもらいたいと思うのは、変なことだろうか。
俺の言葉を聞いて玲はピタリと体の動きを止める。そして、恐る恐るといった様子で俺の顔を見た。表情は、ちょっと気まずそうな感じ。
“じ、じつは薫さんが寝ている夜中に練習してみたりしたんですけど、いざ目の前で話すってなると緊張しちゃって……”
そんなに緊張するようなことなのだろうか。玲がそう言うならそうなのだろうけど、ちょっと寂しさもあるな。
“それでですね! 実は私も前進するために考えたことがあるんです!”
「ほう」
なんだろう。会話の流れからして、丁寧な言葉を使うのをやめるために一歩踏み出すということなのだろうけど、その一歩がどのようなものなのか想像ができない。
首を傾げる俺に、玲はほんのり顔を赤くして、言った。
“か、薫くん――っ!”
可愛すぎて鼻血が出るかと思った。
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