第32話 見物者たち
「ここは俺が奢るよ」
“そ、そんな悪いですよ……”
「だって玲お金触れない――とかじゃなく、うん、今日はリードしてくれるらしいし、そのお礼ということで」
喋っている途中に玲がむすっとしたので、即座にデートモードへ切り替えた。
俺は自販機で玲用に買ったブドウのジュースを、栞さん宅へ配達。今日は事前に『玲と駐車場をうろちょろしてるので、見かけても不審に思わないでください』と住人全員に通達済みだ。
その際に、栞さんへ『もしかしたら何かお供えにいくかもしれない』という話を通してある。というわけで、そこはすんなりと終わった。
小走りで自販機前にいる玲のもとに戻り、自分の分のお茶を購入。
高さの低いブロック塀に腰掛けて、少しだけお茶を喉に流し込んだ。
玲も“いただきます”と言ってから、俺と同じようにジュースを飲んだ。
“……私たち、いったいなにしてるんですかね”
どうやら飲み物を飲んだことで正気に戻ってしまったらしい。さっきまでのテンションはどこへ行ってしまったのか。
「わからん。だけどまぁ、俺はいつもと違って楽しいけどな」
家でいつものようにゴロゴロするのも楽しいが、それとはまた別種の楽しさだ。
見知らぬ土地に遊びにきた楽しさと似ている。
“えへへ、薫さんが楽しいなら良かったです”
「玲はどうなの?」
“私はもちろん楽しいですよ! 薫さんが来てから、毎日楽しいです! だから、これが自分だけだったら、付き合わせてしまって申し訳ないなぁと思ったり……”
ペットボトルを両手でコロコロと転がしながら、玲は言う。何を言ってんだか。
だけど、こういうことはきちんと口に出したほうが、わかりやすいよな。
「あのな、何度も言うが俺はお前が好きなんだよ。これだけ近くで顔を見られて、手が握れて、楽しくないわけがないだろうが」
そう言いながら、俺は玲の手を掴んだ。彼女は“んきゅっ”というよくわからない驚きの声を出す。可愛い。
“も、もう慣れてきましたもんね! 薫さんにいつまでもペースを乱される私ではないのです! 死んでますが、私だって成長するのです!”
説得力のない真っ赤な顔で、玲は鼻を高くして“ふふん”と口にする。
俺としては玲のペースが乱したかったわけではなく、ただただ気持ちを伝えたかっただけだから、慣れはありがたい気もするなぁ。
だけどあまり言いすぎて『好き』の価値が下がるのも嫌だし、本当に悩ましい。
まぁそれはいいとして。
「なんか駐車場、もったいない感じだよな」
俺は玲のさらに奥、二台の車が止めてあるあたりに目を向けながら口にした。
ここからは車に隠れて見えないけど、このアパートには駐車スペースが合計四台分あって、そのうちの二つはカラーコーンが設置してあるだけ。栞さんと、灯さんの車だけということだ。
高校生の俺はもちろんだけど、大学生の二人もまだ車は持っていないらしい。
“もかちゃんは大学通っているうちに免許取って車買いたいって言ってましたから、そのうち一台は埋まりそうですけどねぇ”
もかちゃんって言うと――立花さんか。テンションの高いほうだな。
ちょっと行ってみましょうか――そう言う玲に連れられて、カラーコーンがあるスペースへと歩く。うん、駐車場だなぁという感想しか出てこないな。
強いていうならば、駐車場を含め、敷地内にはごみ一つ落ちておらず、清潔が保たれている。きっと誰かが掃除してくれてるんだろうけど、俺も風で飛ばされてきたごみがあったら拾っているし、案外みんな俺みたいなことをしているのかもなぁ。
“裏とか回ってみます? 室外機ぐらいしかないですけど”
「まぁせっかくだし……ひとりで行くこともないだろうからな」
ということで、栞さんの部屋側――道路沿いのほうから、裏手に回ってみる。歩くスペースとしては、一メートルぐらいしかないし、室外機とかがあるから本当に歩けるのは人ひとりぶんぐらいだ。
「……このままはさすがに厳しくない?」
手を握る力を緩めたけど、玲が俺の手を放そうとしない。彼女はニヤリと口の端を吊り上げていた。
“お任せください! 私、室外機も壁も貫通できるので!”
「できるだろうけどさぁ……なんか俺が嫌だから、じゃあ、俺の後ろからついてこいよ。手は後ろにやるから」
だって隣で歩いている人が体半分しか見えてない状態とか嫌でしょう? たぶん玲としても、変な視界になるだろうし。
“ほうほう、なんかこれはこれで良い感じですね”
「ならよかった。じゃあ行くか」
“はいっ!”
俺は腰の後ろ辺りに手を置いて、そこで玲と手を繋ぐ。このポーズなら、まだ腰が痛い人ということで言い訳ができるだろう。たぶん。
道路を車が通ることはあったけど、その時俺は口を閉じていたし、単純に『自販機に飲み物を買いに来た人』ということで違和感はなかったはずだ。
このアパートの裏手に回る俺を周りがどう思うのかは未知数だけど、玲が楽しそうなので気にしないことにした。
角を曲がり、アパートの南側へとやってくると――、
「お、ようやく来たぞ優」
「本当ね……こんにちは市之瀬くん」
「あらあら、仲良しねぇ。手を繋いでるのかしら?」
玲の家族三人が、俺たちのことをベランダで待ち構えていたのだった。
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