第33話 裏手を進む




 一階のベランダからは栞さんが、そして上を見上げると二階のベランダから灯さんと優が顔をだして俺たちを見下ろしている。


 彼女たちに詳しい時間までは伝えていなかったんだけどなぁ……さっき俺が栞さんの家に飲み物を持って行ったとき、上の二人にも情報が伝わってしまったのだろう。


 まぁやましいことはなにもないから、見つかっても別にいいのだけど。ちょっと恥ずかしいだけで、それ以外に痛みはなにもない。


「どうして裏手に回ってきたの? あまり楽しいものはないと思うけど」


 そう言って、栞さんは柵から顔を出して左右を見る。うん、何もありませんね。


「玲が動ける範囲は限られてますからね、案外冒険みたいな気分で楽しいですよ」


“ですね! 私も見ることはあったけど、実際にここを歩くのは初めてかもしれません!”


「玲も新鮮で楽しいそうです」


「そっかそっか。楽しめてるならよかったわ」


 そんな風に、玲の言葉を通訳しながら栞さんと話す。彼女は娘が楽しんでくれて嬉しいのか、終始ニコニコしていた。


 特にこれ以上話すこともないので、足を前に進めようとしていると、今度は上から「市之瀬」と声がかかる。


「おやつをやろう。キャッチしろよ?」


 灯さんは握りしめた手を柵の外に突き出しており、俺の頭上でパッと開く。


「うぉ――っ、とと、ありがとうございます」


 落ちてきた小さい何かをキャッチ。続いてもう一つ落ちてきたので、それもキャッチ。

 手を開いて確認してみると、それは個包装になった小さな飴玉だった。レモン味と、リンゴ味である。


「どっちがいい?」


“んー、リンゴで! あっ、薫さんはレモン味好きですか?”


「好きだから気にしなくていいぞ――すみません栞さん、あとで玲の仏壇にこれをお供えしてもらえますか?」


 そう言って、リンゴ味の飴玉を栞さんに手渡す。彼女は即座に「じゃあお供えして来るわね。デート楽しんで!」と言って部屋に入っていった。


 玲も栞さんのあとについて行って、すぐに飴玉を持って帰ってくる。一緒に袋を開けて、飴玉を口に入れた。


“薫さん、灯お姉ちゃんにお礼をお願いできますか?”


 飴玉を口の中で転がしながら、玲は二階を見上げて言う。そこでは変わらず、灯さんと優がこちらを見下ろしていた。


「灯さん、玲がお礼を言ってますー」


 やや声を張って言うと、灯さんは気にするなとでも言うように手を振った。

 続いて、その隣にいる優が口を開く。


「何か私たちにできることがあったら、何でも言ってくれていいから。それと――何か二人がこの敷地内でも楽しめるように、こっちでも考えてみるわね」


「おー、わざわざありがとな! 二人だけの案じゃ限界があるだろうし、助かるよ」


 俺たち二人だけでもまだ思いつくことはあるかもしれないけど、考えてくれる人が増えるに越したことはないからな。


 俺は玲のことを想うひとりの男として――そして彼女たちは家族として、玲にできることがあるならばしてあげたいのだろう。


 彼女たちの言葉に甘えることは、きっと誰もが得する結果になるはずだ。だからこのありがたい申し出を断るなんて発想は、微塵も出てこなかった。


「なんだかなぁ……市之瀬くんみたいな人って、学校じゃ全然見ないのよね」


 優はベランダの柵に肘を突きながら、ぼやくように言った。


「? どういう意味だ? 俺が変人ってこと?」


 休日にアパートの敷地をうろつく人がそこら中にいたらそりゃ怖いよ。

 俺の疑問符を乗せた言葉に、優は苦笑しながら首を振った。


「違う違う。好きな人のためなら、なんでもできる人――っていうのかな。たぶん大概の高校生男子だったら、人目を気にしたりとか、楽しめないとかを理由にして断ると思うの。だから、すごいなって話よ。褒めてるの」


 なるほど、そういう意味で言ったのか。俺としては別に、特別なことをしている感じではないのだけど……みんな恋をしたらこんな風になるんじゃないのか?


「じゃあこれで玲が俺に惚れてくれる可能性も上がったと思う?」


“――っちょ、何を聞いてるんですか薫さん!? わ、わたしはこれぐらいで惚れるような軽い女じゃないんですからね!”


「そうね。もっともっと好きになったと思うわよ」


“こらぁあああ! 優ちゃん勝手に何を言ってるの! ち、違いますからね薫さん! 具体的に言うと『もっともっと』の部分が違うんです! あの言い方じゃ、元々私が薫さんのことを好きみたいじゃないですか! ――あ、『もっともっと』と『元々』は別にダジャレのつもりじゃないですからね!”


 別にダジャレ云々は付け加えなくてもツッコむつもりはなかったよ。


「ははっ、慌てなくてもわかってるっての」


 怒っているのか照れているのか、はたまたその両方か。玲は顔を真っ赤にしてぽかぽかと俺の肩を叩きながら抗議をしていた。わりと気持ちいいけど、このままだと可哀想なので「落ち着け」と言ってなだめておいた。


 三人に先へ進むと伝えて、俺は玲の手を引いてから前進。すると、


「ようやく来たですか、こちら休息ポイントですよ。プリンを用意してるです」


「あはっ、お庭デートってまた新しいジャンルだよねぇ」


 今度は玲の友人である大学生二人が、待ってましたと言わんばかりに柵の上から顔をのぞかせたのだった。


 休息、できるのかなぁ?


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