04 おじさん、大地に立つ
妙だな。節の数字が一つ多い気がする。
が、そんなことはどうでも良かった。
事態は切迫している。
理由は単純、ボクは空にいた。
飛んでいるわけではない。
落ちている。
自由落下している。
ニュートンが落としたリンゴのように、落ちている。
異世界でも重力ってあるものなのか。
「ってそんな場合じゃないだろ、これえええ!?」
どうする?
こういう異世界ものって普通町の中からとかに立ってるとかじゃないの。
空から落ちてくる展開ってあるの? ラピュタ的な始まり方なの? ボク飛行石なんか持ってないし、降ってくるの女の子じゃなくておっさんだから、パズーも助けてくれないよ、これ。
ああ、短いようでほんとに短い異世界ライフだった。
というか、ライフにまで至れなかった。
さらばボク、来世でまた頑張りましょう。
そうしてボクは目を閉じて、落下の衝撃に備えた。
結論から言おう。助かった。
落ちた先が森だったから木に引っかかって助かった。というわけではない。
まあ、落ちた先には確かに森だったのだけれど、木々の間をこれまた綺麗にすり抜けて普通に地面に激突した。
それを証拠に地面にクレーターが出来ている。
犬上がなんかの魔法だったりで助けてくれたのだろうか、去り際に。
なぜか服もスーツから麻っぽいシャツやら皮の手袋やらマントとかに代わっている。
きっと彼の計らいに違いない。
とりあえず、とりあえずだ、一安心だ。
命があっての人生だ。
「しっかしここ、どこなんだろうか」
森。
ザ、森。
鬱蒼とした緑。久しく嗅いでいなかった緑の匂いに感動してしまうくらいに森。
あらゆることが事務的に、作業的に目まぐるしく回っていた現代風景との対比と言えよう。
人工物は何一つなく、会社も法もない。
ただ広がるのは生態系という原初のルールだけ。
だけど、この景色には慣れていた。
というのも自分、昔は田舎に住んでいたのだ。畑や田んぼ、林に獣。
旬が巡ればアケビやタケノコ、近所の爺さんの家に忍び込んで柿を食べて、渋さに顔を歪める。
そういう幼少期をボクは知っている。
今広がるこの風景に懐かしさを覚えて、心が少年時代にタイムスリップしたみたいだ。
「家の裏にあった山に入ったときと同じ匂いがする。よく嗅いだな、この腐った葉っぱの匂い」
少しじっめとした空気に苔が生えた岩。
倒れて腐りかけの倒木。
ボクにとっては独壇場だ。
こういう倒れた木の下に虫いっぱい居て捕まえてたなあ。
木の皮をめくればクワガタがいて、カミキリムシの幼虫がいて、たまに蛇もいて……。
今考えると、ガチャガチャに近い気分をこの時に味わっていたような気がする。
ゲームで多額の金を使ってガチャを回す若人達を今まで理解できなかったが、もしかすると金を払ってこれと同じ体験をしていたのかもしれないな。
そんなことを考えながらペロッと木の皮を剥がすと、ちっちゃな赤いトカゲがいた。
体はぬめりとしているが、体をくねらせると光の具合で虹色にも見える。
どこかニホントカゲのような印象を抱くが、目などをよく見ると宝石のようなキラキラとしていて無機質な印象を受ける。
この世界特有の固有種だろうか。
「ペッ」
「ぴちゃり」と何かが頭についた。
いや、付けられたというのが正しいだろう。
おい、今トカゲに唾を飛ばされたのか。
これはまったく、これはいけないな。
自然というのは弱肉強食だ。
どうやらこのトカゲは、そのことが分かっていないらしい。
「どうやら人間様の恐ろしさっていうのが分かってないようだな。お前のようなトカゲ畜生の三〇倍以上も生きているこのボクが、直々に分からせてやる」
危機を察知したのか、足早と逃げようとするトカゲの行動を予想してすかさず捕まえる。
三〇年の経験から成せる技とも言えるだろうな。
そうしてトカゲの尻尾を摘まんでぶら下げる。
「どうだ、こうなったら自切する以外逃げるすべはあるまいよ。唾を吐いた落とし前は、お前の尻尾で許してやる」
なんだか言ってるセリフがヤクザの「指を詰める」みたいな風になっている気がするが、それもこれも初対面でガンを飛ばすどころか、唾を飛ばしてきたこいつが悪い。
くねくねと哀れにも逃げようとするトカゲは、再度ボクに対して唾を飛ばそうとしてきたが、ボクはひらりとそれを躱して見せた。
シュンとする(あくまでそのように見える)トカゲ。
さすがのトカゲも、もがくのを断念したようで「プチッ」と尻尾を切って森の中に逃げていった。
「ふははははははっ!! 勝った。見たか、トカゲ野郎。これが人間様の力だ」
唾を吐かれことにキレて、トカゲを捕まえた挙句散々煽り散らかす、絵面としてはとてもじゃないが、良い大人には見えないボクの姿が、そこにはあった。
「ったく、最近のトカゲは年長者を敬うっていうのを知らないのかね。……というかやけに焦げ臭いのは何なんだ?」
そう言って頭をポリポリと掻いた。
「あっつ! ……あっつ?」
疑問に思って頭に触れる。
チリチリとまるで燃えているかのような感触だった。
というか、燃えていた。
「うおおおおおおおお!! 熱い熱い熱いいいいいいいいいい!!」
なぜ燃えている?!
どうしても燃えている?
理由はすぐに分かった。先ほどトカゲの唾が飛んでいった方を見るとちょっとしたキャンプファイヤーになっていた。
忘れていた……ここは異世界だったな。火を飛ばしてみせるトカゲがいたとしても、何ら不自然ではない世界なのだった。
近くに水は?
川とかないのか?
見渡してみるが、そんなものは見当たらない。
「畜生!!」と叫んで地面の湿気った土を頭にかける。
それでも中々消えたかったので、頭を地面に突っ込んでようやく鎮火した。
散々煽ったトカゲに火の粉を吐かれて、のたうち回った挙句、地面に頭を突っ込んだ男の姿が、そこにはあった。
我ながら実に情けない姿である。
あれから、森を徘徊し始めたのだが、分かったことがある。
この世界の生き物というのは平然と火とか氷だったりを飛ばしてきたり、身に纏ったりと魔法じみたことをしてくる。
安全そうに見えて、実は結構危ない場所にいるのではないか、ボク。
歩いても歩いても、人の痕跡はなく、獣道が続く。
幸いというべきか、凶暴な生き物らしきものを今のところ見ていない。
けれど、時間の問題だろう。
鬱蒼とした森なのだ。
猪や熊……いや、ここは日本ではない。
狼なんかもいるかもしれない。
異世界ということも踏まえるとドラゴンやゴブリンなんかもいるというのを念頭に置いておく必要があるな。
命の危険がご近所さんに転がっていると考えると、これはなんというか……頭が痛くなりそうだな。
「ボク、生きてこの森から出られるのか?」
いや、マイナス思考になってはいけない。めげずに歩き続けよう。
……
………
……………
歩き始めてしばらく経つ。
生憎ボクはまだ生きていた。
幾たびの道を越え、川を越え、崖を越え、何とか進み続けているのですが後輩ちゃんは元気にやっているでしょうか。
先輩は今、異世界にいます。
少し腹が減ってきたような気がする。
多分三、四時間ほどぶっ続けで歩いているので仕方がない。
何か食べられそうなものはないかな。
辺りを見回すと、木の上に食べられそうな果実を見つけた。
「ちょうど良いや、練習がてらあの木の実を取ってみるか」
突然「練習」と言っているが、読者の皆々様は「この男は何を始めるというのだ」と思ったかもしれない。
そこで、ついさっき気付いた自分の特殊な能力について話しておこう。
能力に気付いたのは歩いていてちょっとした崖、もとい谷に阻まれた時だった。
「遠回りするしかないか」
谷を見ながらぼやく。
この谷はだいぶ続いているようで遠回りはかなり骨が折れそうだ。
不意に向こう岸に生えた大木に目に入り、アレがこっちに倒れてきてくれたらな、と手を伸ばしてみる。
するとこちらの意志が通じたのが「バキバキッ」と大きな音を立ててこちらに倒れてきたのだ。
倒れた木は谷の間で橋なったのを見て「まじかよ」と、流石のボクも驚嘆した。
異世界に不法投棄するような奴がいるのだから、神様だっているに違いない。
今目の前に広がる現象というのは神様からの思し召しなんだと喜んだものだ。
ここまでは良かった。
喜んでいるのも束の間、今度は横になった大木が、まるでロケットエンジン積んだかのようにこちらに飛んできたのだ。
「うおおおおおおおおおおおお!?」
空から落ちてくるよりも、死を感じた。
ボクに当たる既の所で体を反って避けたのだが、鼻をかすめて鼻先が火傷した。
振り返ってまた飛んでくるのではと身構えたが、糸が切れたように木は動かなかった。
初めは異世界にいるとんでも生態を持つ木かなのかだと思ったけれど、色々木を調べたとただの普通の大きな木だった。
どうしてあんな不思議現象が起きたのか検証していくにつれて、どうやらこれは自分が持つ能力だということが分かった。
『ものを引き寄せる』
単純で便利な能力だ。
それに加えて特に重量は関係ないらしい。
この能力の発動条件について説明しよう。
あそこにリンゴっぽい実が付いた気が見えるじゃろう?
その木の実に向けて手のひらを突き出して、手に取るイメージをしながら突き出した手を引くと、まるで磁石のように引っ張られ、ボクの方へ飛んできてくれるのだ。
この引き寄せる効果はボクの体に触れると解除される。
ちなみに味はめちゃくちゃすっぱかった。
一見便利で使い勝手の良い能力に聞こえるが、デメリットもしっかり存在する。
というのもこの能力、ボクが触れないと永遠に追ってくるのだ。
試しに小石を引き寄せて避けてみたが、とんでもない軌道でめげずにボク目掛けて飛んできた。
石の勢いもやたらと凄く速くて普通に痛い。
それに加えて、引き付ける対象というのも一つが限界らしく、同時に石を二つ引き寄せることはできなかった。
「いやあ、便利っちゃ便利だけど器用貧乏みたいな特技になっちゃいそうだな」
リンゴっぽい木の実の汁をマントで拭って、芯を遠くの茂みに投げ捨てる。
「痛て」
茂みが悲鳴を上げた。
唐突のことに「は?」とボクは声を上げた。
異世界だと茂みとかも喋るのか、なんて思っているとどんどんと茂みが大きくなっていき、段々と嫌な予感が茂みに呼応して膨らんでいく。
気づけば、見上げるほどに大きくなった茂み、改め影は怪しくも鋭い目を二つ持っていた。
眼前に立つ影の正体は、なんと全高四メートルを超える巨大な狼だった。
「痛てえだろうが」
異世界に来て初めて会った住人は、とてもお怒りの様子でした。
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