02 星の境界で異世界不法投棄

 気が付くと、星が降り注ぐような夜空の下にいた。

 満天の星空だというのに微塵も心は踊らない。

 その光が自分を照らすためのスポットライトではない事を知っているからだ。

 まるで他者を本当の意味で理解しようとしなかった、いや出来なかった自分に対してのしっぺ返しのように見えてならない。


 地面は冷たい水が敷かれて、音もなく流れている。

 冷たいけれど、それ以上に自分が冷たい事に気づくと、案外ぬるいのではないかと錯覚する。


 ここはどこなんだ?

 記憶を辿るが、靄がかかっている。

 たしか、後輩と歩いていて、そのあとは……。


 ……。


「そうか、そっか。なるほど……ねえ」


 何となく察して、思い出すのをやめた。

 どうやら、かなり長い暇を貰ったらしい。

 長い休みを取ったのはいつ振りだろうか。


 ……思い出せない。

 それほど過酷な環境だったのだろうか。

 そうした記録も自分の内には残っていなかった。


 思考がまとまらない。

 やけに眠い。

 心地よい気分だ。


 僕は体を倒して、静かな川に身を任せる。

 穏やかな死っていうのは死んだ後に来るんだな、と漠然を考えながら。



 ◆ ◆ ◆



 目が覚めると、体が勝手に進んでいた。

 歩いているわけじゃない。荷台のようなもので押されている。


 星降る夜空と波一つ立たない水面。

 景色は良いが何もない。

 行ってしまえば砂漠と同義だ。

 けれど行く当てがあるように迷いなく前へ、前へと進んでいく。


 思考は明瞭だった。

 何が起きているか、あたりを見回すと、後ろに見知らぬ男が荷台を押していた。


「え、誰」


 思わず声が出る。


「目覚めたか」


 男の方は驚く様子は見せず、淡々とした様子で言った。

 男の容姿はというと年齢は三〇代後半か四〇代程だろうか。

 学者を彷彿とさせる白衣を纏い、その下に青のワイシャツとスーツズボンを身に着けている。

 博識そうに見えるのはその白衣のせいかもしれないが、男はこの場所のことを何でも知っていそうな気がした。


「ここはどこなんですか」


「ここは星と星との境界線だ」


「……星って何です?」


「多くの意味を持つが、かみ砕いているのであれば世界そのものだ」


 星が世界。

 なるほど、どうやら宇宙とは違いそうだ。


「結局ここはどこなんだ」


「ここは星と星との境界線だ」


「あんたは決まった言葉しかはなせないオイッス村の民なのか?」


「安心しろ。『勇者ヨシヒコ』の第五話『オイッス村』に出てくる住民ではない。というか、突っ込みが分かりづらい例えを出すな。せめてそこはドラクエくらいにメジャーな物にしておけ」


「そこまで真っ当な返しが返ってくるとは思ってなかったよ。真っ当な返し過ぎてさっきまで感じていたミステリアスで掴みどころのない感じから一変して、親しみの感情さえ湧いてきちゃったよ、ボク」


 そう言うと男は息を吐いて荷台の手すりを指でトントン叩き始めた。


「無知な人間にも伝わるようにするにはどうすれば良いか、考えていたんだ」


「なら、アンタはここに詳しいのか?」


「お前よりはな。そうだな、星とはお前が知るところの異世界というやつだ。法則、人種、文化、生物、環境に至るまでお前が住んでいた世界とは違うともいえるし、同じともいえる場所。そんな世界の間を今、私達は歩いている。私達の頭上に遍く星々というのも、すべて別の世界だと考えて良い」


「異世界ねえ……」


 徐に空を仰ぐ。

 この一つ一つが別の世界。

 そういわれてもスケールがデカすぎて驚きづらいというか、実感が湧かない。

 そもそもな話、自分が死んでいることすらまだよく分かっていないのだから。


「なあ、ボクは死んだのか?」


「死をどう定義するかによる。肉体の生命活動が停止したことを死と定義するのであれば肯定する。お前はトラックに轢かれて、全身を強打して絶命しているからだ。だが自己の消失を言うのではあれば、それは否定する。お前という人格が今ここにいるからだ。いや、これもまた少し違うといえなくもないが……そんなことは些細なことだ」


「じゃあ不慮の事故で死んだ、死んでしまったボクというのは、このまま運ばれて天国やら、輪廻転生やらをするのだろうか?」


 正直キリスト教でもないし、仏教徒でもないボクっていうのは一体全体どっちに行くのだろうか?

 最大の疑問だぜ。


「いや、お前の場合は異世界に転移することになる」


「異世界転移?!」


 あれなのか? トラックに轢かれるというお決まりの展開である、もはや一つのジャンルとして確立した別の世界に転生または転移するとかいうファンタジー、あの異世界転移なのか。

 まじかよワクワクしてくるな。


「いや、異世界に不法投棄が正しいか」


「今お前、ボクのことを遠巻きにゴミと呼んだな」


「かなり直接的だったと思うんだが」


「なお悪いわ!」


 どうやら本当にゴミだと思われていたらしい。


「分類でいうなら産業廃棄物だな」


「ボクはゴミの最上級みたいな存在なのか?」


「こちらとしても不慮の事故だったんだ。本来、お前はあそこで死ぬ予定ではなかった。こちらの不手際が起こした問題だ。その点でいえば悪く思っている」


 つまり自分は、工場の機械が不具合を起こして出来た不良品を掴ませてしまった、みたいなものなのか。

 いやゴミって言われているところを見ると、自分が不良品ということか。


 そう考えてみると、不良品よりはまだ産業廃棄物の方が聞こえは良いのだろう。

 シンプルに語感が好きだ、産業廃棄物。


「しかし、問題はこれで終わったわけではなくてな。お前という存在を認識から消す、いなかったことにする、ということは可能なのだが存在自体を完全に抹消することはできない。いないのにいる。そういう矛盾が生まれてしまう」


「矛盾があるとどうなるんだ?」


「世界の破綻に直結してしまう可能性がある。お前も元々が住んでいた世界が崩壊してしまうのは嫌だろう?」


「嫌と聞かれれば嫌と答えるさ。まあ、とりあえず世界が破綻してしまうような存在まで昇格したというべきか、降格してしまったというべきか、そんなボクを異世界に左遷せざるを得ないまでは理解した」


「そこまで理解が早いと助かる。というか、想定以上に早ないな、理解が。私としては、似たような会話をもう一度するつもりだったぞ」


「まあ、こういうのこっちの世界では流行りの文化だったんで、多少は分かるんだ。けれどそんなボクなんかを受け入れてくれる場所なんてあるのか? あったとして、その世界というのは果たして破綻したりしないのか?」


「それについては当てがある。だからこうして向かっている。前例があるんだ、異世界からの来訪者を受け入れた前例が。その世界は魔法の概念が存在する典型的なファンタジー物の系譜が色濃く映る世界だそうだ」


 王道だがなかなか良いじゃないか。

 魔法か。


 今の夢がない荒んで干からびた現代人がその言葉を聞いたら、一体どれほど救われる言葉だろうか。 

 きっと心のオアシスになるに違いない。

 それは自分も例外ではない訳で、色んな想像がおじさんとは思えないほど幼稚に広がっている。


 どんな魔法使えるのか。

 火の魔法は王道だが、個人的には氷魔法とかも便利そうで良いな。

 飲み物とかもキンキンに冷やしと飲みたいものだ、なんて考えてさながら思いをはせる様子は遠足に行く前の幼児のようだっただろう。

 思考はおっさんだけど。


 どんな事であれ新しい環境、出会い、新天地というのは不安もあれど、期待や好奇心も孕んでいて、ジェットコースターが登っていくようなそんな心境を感じることができる。

「新しいということは、潤いだ」と父もよく話していたが、こういう事だったのかもしれない。


 なんて考えてしまうのも、目の前に青と紫と緑の光が混ざり合った美しい星が近づいて来たからだろう。

 きっとあの星がボクが向かっている異世界に違いない。


「もうすぐ、終点だ」


「長いようで短かったな。世界から世界への移動っていうのは」


「私は長かった」


「辛辣だね、ここまでの道のりで友情が芽生えただろう」


「私はそれほどでもない」



 言下に答えたけれど、初めの会話よりも、言葉が丸みを帯びていた。


「そういえば、異世界に行くにあたってだけれど、何かこう役に立つアイテムだったりとか、あると思って良いんだよな」


「……あるわけがないだろう」


「お前、初代王様だって120ゴールドはくれたぞ!」


「たいまつと鍵のキーホルダーくらいならあげれるぞ」


「そういう事じゃない! なんかこう便利な能力だったり、伝説の武器だったりっていうのはないのかよ」


「不法投棄だとさっきも説明した。外から持ち込むものが増えると何が起こるか分かったものではない。だからアイテムは無しだ」


「薄情だ、無責任だ、人が一人死んでるんだぞ‼」


「はあ……しかたない。では、助言をやろう。自分の体を見なさい」



 言われるがまま、ボクは自分の体を見た。

 白と黒が蠢くような鈍色。

 その体には肌はなく、爪や毛もなく、ただの人の形をした影のような姿。


 黒と白が体の中でゆっくりと流動している様は、気色の悪い蟲が蠢いているようにも、音もなく落ちていく深い穴のようにも映る。


 いつのまに、こんな見慣れない容姿になっていたのだろうか。

 これは一体何なのだろう?



「これがどうしたんだ?」


 と質問を投げる。

 

「お前は今、自分を知ったことになる。何を持っていて、そして持っていないか。明確に、明瞭に。それを忘れなければ、ある程度道しるべにはなってくれるだろうさ」


 さも良いこといったと思っているんだろうけど、ボクにとっては全然、何の理解もできないんだけど。

 これがどう役立つのかについてまで言及してくれないだろうか。


 しかし文句を垂れる前に、男は荷台を強く押した。


「私はここまでだ」


 荷台は摩擦を忘れたようにどんどんと加速していき、それに伴い視界が霧のように白く霞んで見えなくなる。

 そんな中、ボクは声を振り絞って叫んだ。


「まだ言いたいことはあったけれど……ありがとな、ここまで送ってくれて! で、結局アンタの名前はなんて言うんだッ!」


 不法投棄される立場として「ありがとう」という言葉はなんか引っかかるけれど、それでもこの言葉が一番最初に浮かんだ。

 ならきっとボクは感謝したいのだろう。


 声は遠のく。

 視界も意識もホワイトアウトしていく中で、遠のく影が何となく振り返ったような気がした。


「犬上孝太郎。二度と会うことのない、男の名前だ」


 呟くように、けれど鮮明に聞こえた声を最後に、犬上と名乗る男の気配は消えた。

 なんだ、その去り際のセリフ。かっこよすぎだろ、今度真似しようか。


 ボクの意識はそれを最後に白い霧へと落ちていった。


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