タイムリープ症候群と日めくりカレンダー

銀嶺浜

あるいはタイムマシーンとしての日めくりカレンダー

  僕がその男、ノボルを部屋に上げてしまったのはひとえに気まぐれというほかない。いや適当なことを言った。別に偶然、星の巡り、気の迷い、他のなんにでも好きに言ってもいい。たまたま午前中に大学の講義がなく、たまたま自転車でそこらへんをうろうろする気になりたまたま赴いた公園にその男はいた。


「大丈夫ですか?水が必要ですか?」 

 ベンチに寝転がる体調の悪そうな男に僕は思わず声をかけてしまった。それほど朝の早い時間というわけでもなかったが、てっきり二日酔いか何かだと思って比較的気楽に声をかけてしまった。軽い人助けくらいお安い御用だとね。ありがとうと言うが早いがペットボトルの水をゴクゴクと飲む男。そのがっつき具合にも良い行いをしたなあとただただ牧歌的に眺めていた。だが彼の直後の言葉は予想とは異なりだいぶユニークなものであった


「ありがとう助かったよ。ところですまないが君の家にタイム・マシーンはあるかな?」

 水を飲み干し顔を拭い多少はマシな顔つきになった男は妙なことを尋ねてきた。さて、なんと答えたものだろうか。改めて男を見据える。身なりはそれなりに小綺麗だし顔さっぱりしている。年は30代ほどだろうか。休日の社会人といった体で浮浪者の類というわけではなさそうだが。僕の胡乱な目に気づいたのかは分からないが男が言葉を続ける。


「つまりだな、俺はいつまでたってもこの『時』から先に進めないんだ。だから君の家にタイム・マシーンがあればいいのだが」

 シャツの第一ボタンを摘み喉をごくりと鳴らす緊張した姿は少なくとも彼が自分の状況をそう信じ込んでいるという真に迫ったらしさがあった。


「あー、タイム・マシーンがあるかは分かりませんが日めくりカレンダーならありますよ」

 僕は自分がなぜこんな事を言ったのか今でもよくわかっていない。ただその一言が彼の注目を引いた。


「日めくりカレンダー?」

 男も目を丸くして復唱した。僕はバツが悪くなりながらも続けた。


「だって、きっとなにか理由があってあなたの時は前に進めなくなっているのでしょう?ですが人は必ず明日に向かって進まなくちゃなりません」

 過剰に進みすぎることもなく停滞することもない、日めくりカレンダーこそ時間の進捗の象徴なのだとたぶんそんなふうに続けた。これは決して僕の信念というわけではなくてただ言い訳をしただけだ―――これも言い訳だけど。


「なるほど、たしかに俺が正しい時間を進むために役に立つかもしれないな」

 こうして偶然、彼は僕の家に来ることになったのだ。


「ノボルだ」

 公園から僕の家の玄関(日めくりカレンダーはそこに掛けられている)まで目と鼻の先だったので自転車を引いて歩きで向かったというのに僕らは本当に簡単な自己紹介をするにとどまった。ノボルの方も焦りからか雑談を楽しもうという雰囲気ではなかったし。


 こうしてぼくらは無事アパートの玄関までたどり着いたわけだ。靴も脱がずに彼は日めくりカレンダーあるいはタイム・マシーンの見聞を行った。薄っぺらいただの紙をぺらぺらとしてみたり一日ごとに載っているなんだかよく分からない今日の格言みたいなのを真剣に読み込んでみたりしているようだった。


「ふむ、俺の見立てによるとこれは思ったよりちゃんとしたタイム・マシーンかもしれないぞ」

「ほう、そうなのかい?」

「ああ、君のおかげだ!まったくなんたる幸運!」

 気のない返事をしつつも僕も日めくりカレンダーの方を見て、そしてなぜ彼がこれほど興奮しているのか気づいた。日付が一日分ずれているのだ。今朝の分をめくり忘れていたようだ。彼のデジタル腕時計とカレンダーを照らし合わせていたからきっとそういうことだろう。


「ちょっと失礼」

 アパートの玄関は男二人が突っ立っているには狭すぎる。彼が僕の日めくりカレンダーの見聞をしている間に荷物をおろしておこう。と言っても本当にただリュックをおろすだけだけど。

 

 来客者をもてなせるような丁寧な生活はしていないがせめてお茶でも入れようかと考えている後ろでノボルの声が聞こえた。

「じゃあこいつを使わせてもらうがいいか?」

 きっと一回めくられてしまった日めくりカレンダーはもう戻らないから許可を求めているのだろう。もちろんそのつもりでここまで来たのだし当然どうぞと促した。どうせ貰い物の日めくりカレンダーなのだから彼にあげても惜しくはない。


 ぴりぴりびりびりと小気味よく紙がちぎれる音がする。まさかここでもうめくるとはね。

 「なあ、タイム・マシーンの塩梅はどんなもんだい?」

 せっかくなので問いかけてみても返事がない。おかしいと思い振り向いてみても。まるで最初から誰もいなかったかのように。

 彼がいた痕跡は壁にかけられた今日の日付の日めくりカレンダーあるいは使用済みのタイム・マシーンだけであった。


 僕の中に驚きはなかった。彼はただあるべき時間の流れに踏み出したのだろうと、そう思った。


 




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タイムリープ症候群と日めくりカレンダー 銀嶺浜 @VESPA0629

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