第78話 勝手な言い分

「儂を愚弄するか」

伊勢貞孝の声が朝廷の門前に響き渡る。

朝廷の門は固く閉じられたまま開く気配は無かった。

「開けよ。伊勢貞孝である。門を開けよ」

御所の周辺は伊勢貞孝の兵300が取り囲んでいる。

朝廷の御所は戦うために作られてはいない。

塀も大して高く作られていないし、ところどころ壊れ朽ち果てたようになっている。

その気になれば童でも簡単に侵入できた。

周辺の童たちがいたずらに入り込み、庭木の枝を折るいたずらをしているぐらいである。

そのためいたずら対策の自警団を作って内部を警戒していたほどだ。

将軍足利義藤の代になり、朝廷の財政はかなり改善されてきたが、多くの儀式に銭が必要なことや公家の数も多いことから建物は後回しにしていた。

完全武装の兵たちからすれば、命令があれば簡単に壊せる程度の塀であった。

そんな完全武装状態で御所を取り囲む兵たちの姿に、人々は遠くから不安そうに見ていた。

暫くすると門の内側から声がする。

「天子様は体調がすぐれないため、門を開けることはできませぬ。お帰りください」

「ならば、関白・左大臣・右大臣殿がおられるであろう」

「皆様も体調がすぐれぬと申されております。お帰りください」

「皆が体調が悪いなどおかしいであろう」

「皆様京の三割ほどが焼ける大火に皆様心を痛めておられました。心労が重なったのでしょう。もしかしたら何かの疫病かもしれませぬ」

「貴様ら小間使いでは話にならん。中に五摂家のものがいるはずだ。誰でもいい呼べ。公家の者を呼べ」

「皆様、高熱を発して倒れております」

「貴様ら小間使いでは話しにならんと言っておる」

「話が出来るものが我らのみでございます。我らは誰であろうと門を開けるなと命ぜられております。お許しを」

御所の小間使いの言葉にますます激昂する。

「どこまでも儂を馬鹿にしおって、かくなるうえは・・・・」

伊勢貞孝は暫くして大きな声をあげる。

「貴様ら儂が何もしないと考えているのだろう。舐めた口を叩きおって、この門をぶち破ってくれる」

背後の家臣達に顔を向けた。

「この門をぶち破り、舐めた口を叩いた小間使いどもを血祭りにあげよ」

完全武装の兵が動き出そうとした時、伊勢貞孝の背後から声がかかる。

「お待ちくださいませ」

振り返るとそこには、一人の公家が数名の従者を引き連れ立っていた。

「これは、これは、山科卿」

公卿であり、朝廷の財政における最高責任者・内蔵頭である山科言継であった。

朝廷の財政を立て直すために自らの才能と人脈を生かして日々奔走している。

公家の中でもかなりの才人であり、その才能は公家達の嗜みの和歌や蹴鞠だけでなく、漢方薬や医療そして双六などの遊戯にまで及ぶ。

そんな多彩な才能を活かし、各地の大名・有力商人・宗教人と多くの人脈を築いている人物。

そして、その類稀な才能を活かして朝廷の財政再建に取り組んでいる。

「このような無体な真似されると、天子様はますます心を痛めまする。お帰りください」

「そんなことを言われたからといって、簡単に引くわけには行かないのですよ」

「将軍足利義藤殿は伏見にてご健勝と聞き及びまする。武家同士のいざこざなら将軍に直接お話くだされ、伊勢殿の主君ではありませんか。我ら公家では武家のことに疎いですから困ります」

山科言継の言葉に嫌そうな顔をする。

「ぜひ、朝廷にお力を貸していただきたい」

「武家の問題は、武家で片付ければよかろう。我らは関係無い」

「ほぉ〜、京の街中でまた戦が起きても良いと言われるか。残りの街もいつ丸焼けになるか分かりませんぞ」

今度は山科言継が嫌な顔をする。

「何がお望みで」

「将軍家との和睦」

「それは難しいのではありませんか。伏見と近江側周辺・丹波国に将軍家の軍勢がそれぞれ終結し始めておられると聞きました。既に伏見に2万5千。近江側に2万。丹羽国に1万5千。時が経てば美濃国・播磨国からも軍勢が来ますぞ」

「そんなことは分かっている!!!」

山科言継の言葉に激昂する伊勢貞孝。

伊勢貞孝は、周辺の国衆に軍勢を出すように指示していたが応じる者達が少なく、もう少しで1万の軍勢に届く程度である。

「和睦では無く。謝罪・・詫びを入れるしかありませんな。喧嘩を売り、大御所殿を人質に取るような真似をされたのは伊勢殿でしょう」

「ほぉ〜、京の街が丸焼けになることもやむなしと言われるか、その火はどこに広がるか分かりませんぞ。思いもよらぬところに燃え広がるかもしれませんな」

山科言継は冷え冷えとした眼差しを向けながら、冷静にこの先の動きを考えていた。

この者達が御所に火を付けるのかどうか、御所に攻め込むつもりがあるのかどうか。

伊勢貞孝が人質にとった大御所と呼ばれる前将軍足利義晴の存在。

圧倒的な兵力を誇る将軍足利義藤、それに対して圧倒的に不利な状況に置かれた伊勢貞孝。

朝廷の被る被害をいかに最小限に抑えるのかひたすら考えていた。

緊張感に満ちたそんな場所に伊勢家の家臣が急ぎやってきた。

「貞孝様、一大事にございます」

「なんだ一体」

「大御所様が見当たりませぬ」

「なんだと、大御所様の護衛を任せた風魔はどうした」

「風魔の忍び達も全ておりませぬ」

「やられた。裏切りおったな!!・・探せ、なんとしても探し出せ」

「はっ」

指示を受けた家臣が急ぎ下がっていく。

山科言継はそんな光景を見て、情勢が不利と見た相模北条が将軍と手を組むことを選び、逃げたと考えていた。

この先、伊勢陣営から次々に離反者が出ることが予想がつく。

ならば十分に時間をかけていけば、伊勢陣営はますます弱体化する可能性があると考えた。

「仲介を引き受けるならば、条件がございます」

「条件とは」

「御所を取り囲む兵を下げて囲みを解く。御所に立ち入らない。攻め込む事も火を付けることも一切しないこと。御所を含むこの一帯の安全を保証すること。これが守れるなら和睦の仲介くらいはしましょう」

「良かろう。その条件を飲もう」

伊勢貞孝は家臣に指示を出し、囲みを解いて兵を下げた。

「約束は守った」

「承知しました。和睦を仲介いたしましょう」

山科言継は、朝廷を守るために伏見に仲介に向かうことにした。


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