第77話 八方塞がり
将軍足利義藤健在の書状は畿内各大名に送られた。
そして朝廷にも将軍が無事であると書状が届いていた。
そのため、朝廷も伊勢貞孝からの要求を、のらりくらりと躱しながら遠回しに全て拒否していた。
「受け取りを拒否されただと。銀五百両だぞ。銀五百両も朝廷に寄進すると申し出たんだぞ。それを拒否されたと言うのか」
幕府京銀座から奪い取った銭のうち銀五百両を朝廷工作に使おうとして、寄進を申し出たが朝廷から受け取りを拒否されていた。
「朝廷の財務を司る者が不在のため受け取ることはできぬと申され、いつ戻られるのかと尋ねましても、いつ戻るかは分からぬとしか」
「ならば、将軍職の交代の件はどうした」
「公家どもは、京の街が三割も燃えたことで天子様のご機嫌が悪いため、そのような話を出すことができぬと申しまして」
「馬鹿者、お前達は子供の使いか、公家どもに舐められているんだぞ」
伊勢貞孝は悔しさを滲ませながら、忙しなく部屋の中を動き回っている。
「クソッ・・このままではまずいぞ」
「殿。三好長慶殿からの書状でございます」
家臣が伊勢貞孝に手渡してきた。
奪い取るとるように手にすると、急いで開き中を読む。
「なんだと、三好の分際で儂に協力しないだと!しかも堺公方様がどこにいるのかは知らぬとだと」
書状を手で引き裂き投げ捨てる。
「所詮は阿波の田舎大名。頼むに足りぬ」
将軍足利義藤健在との書状が、畿内の各大名に送られたことで、伊勢貞孝に協力する大名は誰もいなかった。
既に越前朝倉、若狭武田からは拒否されている。
さらに、近江国六角義賢からは遠回しに拒否の書状が届いていた。
「貞孝殿」
伊勢貞孝は背後から突如名前を呼ばれて慌てて振り向く。
振り向くと風魔忍びの風魔小太郎がいた。
「小太郎殿か、どうした」
「上様は伏見に居られる」
「伏見だと」
「伏見から朝廷と畿内各大名家に、無事であることを示すように自筆の書状を出されている」
「朝廷の態度はそれが原因か」
「朝廷の態度はおそらく上様の書状が原因だろう。それと、伏見には続々と兵が集結しつつある。伏見にいた上様直属兵4千に摂津国・播磨国に置いていた上様の直属兵たち、さらに三好勢、本願寺の僧兵、これだけで合わせて少なくとも2万を超える。さらに北部に置かれた上様の直属兵4千に近江六角、越前朝倉、若狭武田が加わる動きを見せ、丹波国でも上様の指示で軍勢が動き出そうとしている。このままでは3方向から攻められることになりますぞ」
「ウググ・・なぜ、六角が我らの味方をせぬ」
「六角定頼殿が将軍家に従うべきだと言っており、家中は全て定頼殿の意見に従っている」
「六角定頼は隠居。当主は義賢であろう」
「隠居とは名ばかり。六角家中の実権はいまだに定頼殿にあり、定頼殿と義賢殿の意見が対立すれば、近江国衆は定頼殿に従う」
「但馬国の山名祐豊はどうだ」
「但馬国の国衆は全て上様に忠節を誓っており、山名殿が動かせる軍勢はせいぜい千〜二千。周りは全て将軍派。京の都へ向かう途中の大名達も将軍派。京に来ることは無理でしょうな。兵を上げた瞬間に山名殿は滅びる」
「加賀はどうだ。加賀は必ずしも本願寺に従っているとは言えないと聞いたぞ」
「越後守護代長尾景虎が越中の一向一揆を猛烈に攻めているため、加賀一向一揆は長尾景虎への対応で動けないでしょう」
伊勢貞孝の顔色がみるみる悪くなっていく。
「父上」
「なんだ、貞良」
「早期に和睦すべきです」
「和睦だと」
「このままでは敵に囲まれ、時が経つほど我らが不利になります。朝廷には、このまま京で戦となれば、残りの京の街も焼け野原になるかもしれないと言って、朝廷から和睦を斡旋してもらいましょう」
「朝廷を脅すのか」
「とんでもない。この先を危惧しての申し出です。下手をすれば天子様の御所まで火の手が迫りそうですとでも言っておけば動いてくれるでしょう」
「なるほど、ならば儂が直接乗り込んで話をつけよう」
伊勢貞孝は、嫡男貞良を伴い朝廷へと向かった。
ーーーーー
風魔小太郎は庭先の誰もいない場所へと向かう。
「そろそろ出て来たらどうだ」
「クククク・・流石は風魔の頭領、風魔小太郎」
姿は見せないが声だけが聞こえてきた。
「その声は、伊賀の服部保長か」
「覚えていたか」
「よく、これだけの警戒を潜り抜けて来たものだ」
「儂やお前にとって、ザルも同じだろう」
「確かにそうだな。百姓の足軽がどれだけいても関係ないな」
「上様を襲ったのは貴様の指示か」
「何のことやら、儂らは山賊に襲われたと聞いたぞ。我ら忍びは地べたを這いつくばって生きている。山賊も我らと同じで地べたを這いつくばって生きている。見分けがつかんだろうから間違えたのであろう」
「クククク・・惟政が聞いたら怒りそうだな」
「惟政?ああ・・甲賀の和田の倅か。忍びでありながらこの程度で怒るなら、まだまだ尻が青い餓鬼と同じだ。顔を洗って出直してこいと言っておけ。我らは主人から京を見物してこいと言われただけだ。伊勢殿には京見物のついでにいくつか情報をくれただけさ」
「黒幕はお主の主人ではないのか」
「儂の主人が黒幕ならこんなお粗末な謀反なんぞせんよ。儂の主人なら動いた時には全て終わっている。反撃の隙も与えん。ああそうだ。儂らは大御所様の警護を頼まれているが、今頃の時間はなぜか我らは全員飯を食っている頃だろうから、大御所様の周りに誰もおらんな。保長。代わりに警護してやってくれ」
「ハハハハ・・相変わらず人を食ったような男だ」
「我ら忍びは、皆そんなもんだろう」
「いいだろう。特別に警護を変わってやろう。その代わり京の都では風魔は見なかった。風魔は京の都にはいなかったことにしておいてやろう。お主も京見物は程々にしてさっさと帰ることだ」
「主人からも、いい加減帰って来いと催促が来ている。ちょうど帰ろうと考えていたんだが、大御所様の警護をどうするか悩んでいたところだ。お主達が変わってくれて助かる」
「口の減らん奴だ。次に会うときは戦かもしれん。覚悟しておけ」
「お前もな」
声の主の気配も消え、風魔小太郎も姿を消した。
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