第74話 謀反
洛中と大御所の屋敷の警備について打ち合わせた翌日。まだ朝日が登りきらぬ早朝。
慌ただしい足音が将軍足利義藤の寝所に近づいてきた。
将軍足利義藤はその慌ただしい足音で目が覚め、体を起こす。
「上様」
「藤孝か、朝早くから如何した」
「伊勢貞孝謀反。伊勢貞孝の軍勢が大御所様の屋敷を強襲。さらにこちらにも軍勢が向かって来ております」
「何だと、父は・・大御所様は無事なのか」
「大御所様の安否は不明。伊勢貞孝の軍勢により大御所様の屋敷は完全に制圧されている様です。さらに、京の街中では複数の箇所で火の手が上がり、火の手に負われた人々が逃げ惑い大混乱となっております」
呆然とする将軍足利義藤に細川藤孝がさらに報告を続ける。
「こちらに向かってくる軍勢は、二千と思われます。敵の中には細川京兆家の旗印も見えます。今の洛中内の龍騎衆は治安維持のために行なっている見回りの僅かな者達のみ。直ちに洛外へお逃げください。ここでは守りきれません」
「ならん・・・父上を助けねば・・・・父上は、大御所様は病で動くことすらできんのだぞ。大御所様を助けに行く」
部屋を飛び出そうとする将軍足利義藤を必死に抑えて押し留めようとする。
「離せ藤孝。父上は・大御所様は安静にせねばならんのだぞ、助けに行かねばならん。離せ!」
「上様。このままでは大御所様を助けるどころか。上様の身が危なくなります。洛外に逃げ、龍騎衆を集めて戦わねば大御所様を奪いかえすことすらできませんぞ。伊勢も流石に大御所様を殺める様なことはしないはずです。洛外にでれば龍騎衆に合流できます」
「だが・・」
「お急ぎください。上様は天下を平定されるのでしょう。ならば、何があろうと逃げて生き延びねばなりません。このまま伊勢の軍勢に立ち向かっても蹴散らされるだけです。上様が無事ならば軍勢はすぐに集まります」
そこに甲賀の和田惟政が走り込んできた。
「上様。お急ぎください。伊勢貞孝の軍勢が迫っております。伊勢貞孝の軍勢は、方々に火を放っております。このままでは、あたり一体火の海となり、逃げることができなくなります」
将軍配下の忍びたちもその多くが周辺国の内情調査に赴き、御所と洛中には三十名ほどの甲賀衆がいるのみであった。
「惟政。分かっている限りの状況を報告せよ」
「敵の主力は伊勢貞孝の軍勢と細川京兆家の残党。さらに他国の細川京兆家の縁者と伊勢家縁者から支援がある様です。とくに相模北条家より風魔の忍び百名ほどが洛中に入り込んでいる様です。洛中にいる甲賀も半数近くが討たれ、これ以上の敵の動きを探るには手勢が足りませぬ」
「相模北条からの支援か。相模北条も伊勢家であったな。儂の油断だ。常に謀反のことを考えておくべきであった」
「お急ぎください。敵は北部を制圧しつつあります。摂津へ向かわれた方がよろしいかと」
「分かった。馬をひけ」
「用意してございます」
将軍足利義藤は、馬に乗ると近習たちと共に慌ただしく御所を後にした。
遠くには燃え盛る炎と立ち上る煙が見える。
馬を走らせもう少しで京の街を出ようとするところで将軍一行に矢が撃ち込まれた。
驚き暴れそうになる馬を必死に宥める。
「何者だ」
細川藤孝が声をあげる。
敵は何も答えず再び矢を放ち始める。
大量の矢が将軍一行に打ち込まれていく。
「上様。北条の使う風魔の忍びでございます」
甲賀忍び和田惟政が叫ぶ。
「チッ・・待ち伏せか」
多くの幕臣たちが矢で討たれていく。
近習たちは近くにあった木の板を盾代わりに矢を防いでいるが全ての矢を防ぐことはできない。
「藤孝。少し戻り別の道を・・」
「上様。後方より突如激しい火の手が上がり、火の手がこちらに向かって来ております」
後方ではドス黒い煙を上げながら燃え上がる炎が見えている。
微かに油の匂いも風に乗って流れてきた。
「何だと・・やられた。油を撒いて火を放ったか。前は風魔の忍び。後は燃え盛る炎。退路を塞がれたか」
激しい炎の熱が周囲の気温をあげていく。
やがて将軍足利藤孝に向かって熱風が吹き始める。
その熱風を全身に受け将軍足利義藤は決断する。
「皆の者聞け」
将軍足利義藤を守る幕臣・近習に声をかける。
「我らは武家である。敵に背を向けて炎に巻かれて死ぬなど恥である。敵に背を向け背中を切られることも恥だ。ならば、我らの進むべき道は、前向かって進み立ち塞がる敵を斬り倒すのみである。全員儂に命を預けよ」
将軍足利義藤は、長薙刀を手にして穂先のカバーである
「我らもとより上様に命を預けております」
「よかろう。ならば、これより敵を打ち破るぞ。風魔ごときに遅れをとるな。足利将軍家の力を・・我らの力を存分に示して見せろ。いくぞ!」
「オゥ!!!」
幕臣たちから一際大きな鬨の声が上がる。
将軍足利義藤の決断を見せつけられ幕臣と近習たちも覚悟を決める。
「ならば先鋒はこの細川藤孝が務めましょう。上様ばかりにいい格好させる訳には参りませんぞ」
「ハハハハ・・藤孝。言うじゃないな。ならば誰が先に一番槍を手にするか競争だな。一番槍には百両の褒美を出してやるぞ」
「ならば、百両はいただきますぞ」
「皆の者。いくぞ。我に続け!」
将軍足利義藤と幕臣・近習たちは一丸となり、降り注ぐ矢をものともせずに風魔の集団に飛び込んでいった。
将軍足利義藤は長薙刀を振り回し、風魔の忍びを斬り倒していく。
どのぐらい長薙刀を振り回したのか分からぬほど振り回し、気がつくと左肩や左腕に多くの傷ができ着物の左半身が血で染まっていた。
痛みに気が付かぬほど集中して必死に長薙刀を振り回していたため、今頃になって痛みが押し寄せてきた。
「クソ・・・左腕に力が入らん」
風魔の忍びの一人が振りかざした刀が将軍足利義藤に振り下ろされようとした時、細川藤孝が槍を片手で操りその風魔を突き倒す。
「上様。大丈夫ですか」
「大丈夫だ。どうやら想像以上に儂はしぶとい様だ」
「上様は、まだまだ暴れたりない様ですな」
「ハハハハ・・だが、そろそろ危ういな」
「そうですな」
周囲を見渡すとまだまだ風魔の忍びがいる。
そんな風魔の忍びたちの後方で忍びたちの断末魔の悲鳴が上がる。
僧兵たちの集団が風魔に襲いかかっているのが見える。
将軍足利義藤たちと風魔の戦いに僧兵の一団が雪崩れ込んできたのだ。
「我ら石山本願寺証如様より、上様をお助けせよとの命を受けて参った。あとは我らにお任せあれ、上様に刃を向ける不埒者どもは残らず成敗してくれる」
石山本願寺からの僧兵たちであった。
僧兵の乱入を受けしばらくすると風魔の忍びは姿を消した。
「よくぞ来てくれた。お陰で助かった。しかし、石山本願寺からは距離がある。よく間に合ったな」
「伊勢家にも我らの信徒がおります。昨夜その者達から伊勢貞孝謀反の報告が入り、すぐに証如様より近隣の僧兵に召集がかかりそのまま参上したしだいです。それよりも上様、すぐに治療をいたしましょう」
辛くも最大の危機を脱した将軍足利義藤であった。
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