第75話 二兎を追う者

伊勢貞孝が占拠した大御所の屋敷の庭先。

将軍足利義藤が父である前将軍足利義晴のために建てた屋敷である。

その屋敷の庭は、本来ならば見事な枯山水の庭であるが、枯山水を無視して兵たちが行き交い、白い砂に足跡を無数に残す姿となっており、美しく壮麗な庭は見る影も無かった。

その庭には甲冑姿の男たちが溢れている。

甲冑姿の伊勢貞孝は仁王立ちのまま風魔からの報告を聞いていた。

その表情はとても険しい。

報告をしているのは風魔忍者の頭領である風魔小太郎。

片膝を地面に付けた姿勢で報告している。

「逃げられただと、ふざけるな」

伊勢貞孝は風魔の報告に激怒していた。

「申し訳ございません」

頭を下げる風魔の頭領である小太郎。

「お前たちが任せろと言うから任せはずだ。違うか」

伊勢貞孝は、自分の直属の家臣が将軍を殺したなどとなれば、朝廷や将軍派の大名たちの怒りを直接買うことになると考え、野盗を装った風魔の忍びに任せたのである。

いざとなれば、風魔を犯人として捉えて処刑すればいいと考えていたからでもあった。

しかし、将軍に逃げられ計算が狂うことになる。

「向こうから罠に飛び込んできたのですが、あともう少しというところで邪魔が入りまして」

「邪魔だと」

「本願寺の僧兵と本願寺の信徒たちでございます」

その言葉に顔色を失う伊勢貞孝。

「そんな馬鹿な。時間的に本願寺が間に合うはずがない」

「間違いございません」

「何かの間違いだ」

「本当でございます。間違いなく本願寺にございます」

「なぜ本願寺が間に合ったのだ」

「お忘れですか」

「なんだ」

「本願寺の信徒はあらゆる地域、あらゆる地位や階層に及んでおります。特定の地域。特定の地位や階層に限定されず、あらゆるところに奴らの信徒はおります。それは大名家も例外ではございません」

「まさか、我が配下に」

風魔小太郎から、伊勢家にも多くの本願寺の信徒がいる可能性を指摘され、焦りの表情を浮かべる。

「どこにでもいますから、かなりの数いるでしょうな。僧兵はギリギリ間に合った状況ですから昨夜の早い段階で伊勢殿の動きが本願寺に漏れ、証如からこの付近の僧兵や信徒に将軍を守れと指示が出たのでしょう」

「クソッ・・奴らを根絶やしにしてやる」

「貞孝様、無闇に本願寺と戦を起こすのは得策ではありません。奴らは死を恐れずに向かってきます。まさに死人。無数の死人相手では勝てませぬ」

「なら、どうすれば」

伊勢貞孝の脳裏に恐るべき一向一揆の脅威が蘇る。

極楽往生を夢見て斬っても斬っても諦めることなく向かってくる集団。

飢饉の時のバッタの大群が襲いかかって来るかのような錯覚を覚える。

薄らと額に汗が浮かんでくる。

「まさか、あの悪夢のような連中が儂に歯向かってくると言うのか」

そこに嫡男の伊勢貞良がやってきた。

「父上」

「貞良、いかがした」

「まずは周辺の有力者を味方につけましょう。六角義賢殿は、領地の二郡を将軍に取られております。心中には含むところがあるはず。あとは松永久秀殿の主君である三好長慶殿。過去に畿内での支配地を摂津の一部に減らされております。それに三好殿の手元には堺公方様がいるはず。堺公方様を次期将軍にすると約束すれば動いてくれる可能性がございます」

「よかろう。貞良。すぐに使者を出せ。三好がダメでも足利の血を引く者なら他にもいる。代わりはどうとでもなる」

「承知いたしました」


ーーーーー


摂津国越水城。

既に三好長慶に伊勢貞孝謀反の知らせが届いていた。

三好長慶からはすぐに軍勢の招集指示が出され、城内は慌ただしさを増している。

三好長慶は情報の少なさに苛ついていた。

「長政。まだ上様の安否はまだ分からんのか」

「申し訳ございません。現在、物見を多く出して状況を探らせております」

「上様が無事かどうかで打つ手立てが変わる。急げ」

「はっ」

三好長慶の父の時代から三好家支えてきた宿老である篠原長政は、急いで指示を出すため部屋を出ていく。

部屋の中には三好長慶の弟である三好実休と十河一存そごうかずまさが控えていた。

どちらも三好長慶を支える優秀な弟たちである。

三好実休は安房国を押さえ、十河一存は戦において鬼神と言われる猛将である。

二人は兄の思案を邪魔せぬ様に静かにしていた。

静寂さに包まれた部屋に突如松永久秀が入ってきた。

断りもなく堂々と部屋の中に入ってきて、三好長慶の前に座った。

三好長慶は松永久秀を咎めることもなく状況を尋ねる。

「久秀。何か掴めているか」

「上様の安否はまだ不明でございますが、摂津にいる上様直属の龍騎衆は五百を残し、全軍重い甲冑は着けず、刀と槍・火縄銃のみ持って凄まじい速さで京に向かって走っているとのこと。京の外、洛外に常駐している龍騎衆と合流して上様を探すものと思われます」

「伊勢貞孝も何を考えているのだ」

「ですが、考えようによってはまたと無い機会かもしれません」

三好長慶が松永久秀を睨む。

「何が言いたい」

「阿波国には堺公方様が隠れておられるはず。もしも、上様に万が一のことがあれば、長慶様が堺公方様を担ぎ上様の敵討をされれば良いのです」

「上様の安否が分からぬうちに迂闊なことを言うな。誰に聞かれるか分からんのだぞ」

松永久秀の迂闊なのかそれともわざとなのか分からぬ物言いに渋い表情をする。

三好長慶からすれば、松永久秀は使える男であるが何を考えているか分からない。

うっかりすれば、使い手まで斬る妖刀の様な恐ろしさも感じていた。

「おっと、これは口が滑りましたな。迂闊でした」

松永久秀は口元に笑みを浮かべている。

「上様の安否に関わらず、伊勢貞孝は討たねばならん。伊勢貞孝は既に天下の謀反人。軍勢が整い次第、京に向けて出陣する。お前たちも支度せよ」

「「「承知いたしました」」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る