第71話 糸
畿内に刻まれた戦乱の爪痕は深く、簡単には回復し得ない。
日本の中枢、天下を示す場所は畿内であり、京であった。
そのため、数えきれない程の戦乱に繰り返し襲われてきている。
特に、戦国乱世になってからは多くの大名・権力者による戦場であり、収奪の場と化していた。
そんな状態であれば、生産活動を活発にすることは不可能であり、余計に生産しても奪われるだけであり、余剰生産は難しいのが実情であった。
生産活動を活発にして、経済を回していくには社会の安定と平和が必要だ。
いつ戦乱に巻き込まれるか分からない状態では、腰を落ち着けての生産活動はできないもの。
そして、そんな畿内一帯では戦いが終息していた。
将軍足利義藤は、食料の増産と経済活動の活性化に本格的に取り組む方向に、力を注いでいくことを考え動き出そうとしていた。
整備中の商都大阪は徐々に形が出来てきて、多くの商人達が軒を連ね始め活発な商いが行われていた。
「藤孝。新田開発と新しい農産物の導入はどうなっている」
「はっ。現在直轄領となっている国においては、新田の増加は前年に比べ1割ほどとなっております。さらに、九州の大友領に導入されたばかりの南瓜を手に入れ、栽培を奨励して増産を開始しております」
「南瓜か」
「荒地でもよく育つと聞いております。この他にも異国からいくつかの芋を導入する予定でございます。手に入り次第栽培の奨励を考えております」
「ホォ〜、芋か」
「荒地でもかなりの収穫ができるものがあると聞いております」
「分かった。それはそのまま進めてくれ、水田や畑にできない荒地で多くの収穫が見込めるものは重要だ。この先の飢饉が起きた場合に必要となろう。積極的に進めてくれ」
この時代、農産物の生産力が低い原因はいくつかある。
天候不順もあるが絶えることのない戦による略奪。
河川の治水技術の脆弱さにより度重なる河川氾濫。
肥料なども含めた生産技術の未熟さなどいくつもある。
「それと瀬戸内周辺で始まっている干鰯を畑に撒くことを推奨して、生産量を増加していく
ことを目指す」
「承知いたしました」
「養蚕はどうなっている」
「奨励をしておりますが、まだまだでございます」
細川藤孝が困ったような表情をする。
「何か問題があるのか」
「国内の養蚕の技術が低いためか、出来上がる生糸の質が悪いために、西陣の織物問屋達が買うことを渋っております」
「西陣の座の者達が渋っているのか」
「はい、彼らは明国からの生糸の質が高いため、そちらを使うことにこだわっております」
将軍足利義藤は腕を組みしばらく考え込む。
明国の生糸は確かに品質が高い。
それに対して日本の生糸は品質が低い。
日本と明国は気候などを含め養蚕の技術が違うのだろう。
ならば、高温多湿の日本にあった養蚕技術の確立が必要なはずだ。
「藤孝。生糸を明国から購入していれば、日本からどんどん金銀が出ていくことになる。国産の生糸を使い明国からの輸入を減らして、日本の生糸を南蛮人達に売りつける必要がある」
「南蛮人にですか」
「そうだ。養蚕を広めて生糸の生産拡大と質を高めることをしなくてはならんぞ」
「それはそうですが、ならば如何いたします」
「直轄領の農民達に農閑期の仕事として養蚕を奨励する。同時に生産された生糸は全て幕府で買い取る。特に質の高い生糸を生産する者達には、特別に報奨金を与えることにする。そうだな、毎年高品質のものを生産した上位10名もしくは家について、儂が特別に自筆の感状と報奨金を与えることとする」
将軍足利義藤が農民であろうとも毎年を感状を出す。
つまり自筆の表彰状を出すと言っている。
これは通常あり得ないことであり、それを養蚕を行う農民に出すと言っているのだ。
幕臣達が皆驚きの表情を見せている。
「特別に感状と報奨金でございますか、宜しいのですか。そのような前例はございませんぞ」
「かまわん。確かに前例は無いかもしれん。だが、それで高品質の生糸が出来るようになれば安いものだ」
「そのような前例を作って宜しいのですか」
「かまわんと言ったはずだぞ。感状10枚程度で高品質の生糸ができるなら安いだろう」
「ならば買い取った生糸は如何いたします」
「西陣の座が要らぬと言うなら、幕府直属で織物の座を作り、品質の劣る生糸を使い庶民が買える値段の生糸の反物を流通させるようにする」
「新たに座を作るのですか」
「そこには幕府の金で最新の織機を明国から導入して生産力を高めることで、養蚕を産業として育成して品質を高めることとする」
「そのうち、西陣の者達が泣きついてくるのではないですか」
「要らぬという奴らに無理に安く売る必要は無い。どうしてもと言うなら、明国のものよりは少し安いぐらいで売ってやれ」
「それだけでも我らの得る利益は莫大なものとなりそうですが」
「最初から協力せぬもの達に利を与える必要は無い」
「分かりました」
「さらに、畿内一帯の養蚕は幕府の管理下におくこととする」
「承知いたしました。直ちに畿内一帯の領民達に触れを出し、生糸の生産量の拡大に努めるようにいたします」
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