第61話 虚実
武田の忍びが将軍足利義藤の軍勢を探ろうとして近づいてくるが,ことごとく将軍家に仕える伊賀衆・甲賀衆の手により討ち取られていた。
将軍足利義藤から伊賀衆・甲賀衆には,武田の忍びと物見は一人も生かして返すなと厳命されているからであり,それがより一層厳しい監視を敷いていることにつながっていた。
幕府軍は諏訪郡上原城を囲んだままであった。
上原城がよく見える場所に幕府本陣が置かれ,本陣の周囲は厳戒態勢が敷かれている。
剣術の達人クラスの者達が警護についており,火縄銃はいつでも打てるように準備されている。
関係ないものが不用意に近づくならば,問答無用で斬られかねないほどの殺気を放ちながら,周囲に厳しい視線を送りながら警戒が続けられている。
幕府軍本陣では信濃南部の地図を広げ,地図を見ながら将軍足利義藤は考え込んでいた。
細川藤孝たち近習は,将軍足利義藤の考えがまとまることを静かに待っている。
将軍足利義藤は,地図の上にいくつもの碁石を置きながら,考えをまとめようとしていた。
しかし,まだ諏訪郡一帯には何も置かれていないままにされている。
そこに斎藤道三が入ってきた。
斎藤道三の目は生き生きとしており,不敵な笑みを浮かべている。
「上様」
「道三殿か準備はどうだ」
「はっ,全て滞りなく完了しております」
「此度は道三殿の策で武田晴信に一泡吹かすとするか」
「我が策をお使いいたきありがたき幸せに存じます」
「さて,武田晴信は,諏訪に来るか,それとも佐久に向かうか,それとも甲斐国に閉じこもるか」
「閉じこもるかどうかは分かりかねますが,諏訪と佐久を比べれば,当然諏訪でしょうな」
「それはそうだが,確実に諏訪に引き込まねばならん」
「そこも手抜かりなく」
「何か手立てがあるのか」
「しっかりと餌を撒くことにいたしました」
「餌か」
「思わず食いつきたくなる餌を用意いたしましょう。敵の物見を一人あえて泳がしたうえで,武田晴信の下に帰します」
「よかろう。存分にやるが良い」
「承知いたしました」
斎藤道三が本陣を出ていくと将軍足利義藤は甲賀衆の和田惟政を呼ぶ。
「和田惟政。お呼びにより参上いたしました」
「甲斐の武田晴信の動きはどうなっている」
「いまだ動いておりません。しかし,軍勢の動員は掛けており軍勢は集結しております。その数八千」
「軍勢は集結しているのにいまだに動かぬとは,なかなか慎重だな」
「どうやら,武田の忍びや物見が戻らぬことをかなり気にしているようでございます」
「慎重なのは生来の気質か。まあ,良いだろう。穴から出てくるように仕向けるまでだ」
ーーーーー
躑躅ヶ崎館では,武田晴信がかなり苛立っていた。
軍勢の準備を指示した後,忙しなく部屋の中を動き回っている。
「諏訪と佐久の情勢はどうなっているのだ。最初の早馬が来てから情報が全く入ってきていないぞ」
諏訪と佐久から籠城するとの早馬が来てから全く情報が入らなくなっていた。
それならばと,甲斐から物見や忍びを諏訪と佐久に送ったが誰一人帰ってこない。
どれだけ送っても戻ってこない。
こんなことは初めてのことであった。
甲斐国で誰よりも情報を重視する武田晴信は,情報が手に入らないことから手立てを決めかねていた。
そんな武田晴信を重臣の飯富虎昌が諌めている。
「晴信様。もう少し落ち着かれませ」
「情報が入らんことには動きようが無い」
「情報にこだわりすぎるは危険でございます。諏訪と佐久どちらが我らにとって大切か考えればまずは諏訪の地でございます。ならば,軍勢を全て諏訪に投入して行くべきかと存じます。佐久の甘利ならば,状況を判断して危うくなれば引いて参りましょう」
「それはそうだが・・」
武田晴信は決断を下せないでいた。
「あせりと雑念は危険でございます。いかなる状況であっても冷静に判断しなければ危ういことになりますぞ」
「そんなことは分かっておる」
部屋の中に重苦しい空気が漂う。
そんな重苦しい空気を打ち破るかのように家臣が慌ただしくやってきた。
「物見の一人が戻りました」
「なんだと,どこだ」
「こちらです」
武田晴信は家臣の案内で戻ってきた物見のところに向かう。
そこには大怪我を負った状態の男がいた。
かなりの出血に見えた。
家臣達が急いで手当てをしている。
「諏訪と佐久の状況はどうなっている」
「諏訪方面より戻りました。幕府軍の足軽達の立ち話を聞いたのですが,上原城はかなり危うい状況のようです。逃げ道は全て塞がれ,既に三の丸は攻め落とされ,明日にでも本丸を攻め落とす算段とのこと。場合によっては油と火を放ち完全に燃やすつもりのようです。もっと詳しく調べようとしたのですが,敵に見つかり必死に逃げて,多くの手傷を負いましたがどうにか逃げ切ることができました」
「それほどの警戒なのか」
「かなりの数の忍びをそろえて警戒しているようで,上原城にも,敵本陣にも近づけませんでした。特に敵本陣には多くの兵が死角を作らぬ状態で警護しており,敵本陣の様子すら伺うことができません」
「なんだとそこまでの警戒なのか」
「詳細を掴めず申し訳ございません」
「分かった。飯富」
「はっ」
「直ちに諏訪上原城援軍に向かう。支度せよ」
「承知いたしました」
武田晴信は諏訪に向かって軍勢を動かすことを決めるのであった。
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