第59話 甲斐の虎
甲斐国・躑躅ヶ崎館で甲斐国守護である武田晴信は寛いでいた。
甲斐武田氏の館である躑躅ヶ崎館は甲斐国山梨郡にあり、甲斐武田氏の領国運営の中心。
武田信虎によって甲府盆地の中央付近に築かれた館であり、戦いとなったら詰城である要害山城に籠城することになる。
武田晴信は、自分を認めようとしない父信虎を駿河に追放することで、甲斐武田家の家督を継ぐ事に成功しこの館の主となった。
さらに念願であった豊な信濃国を手に入れるための第一歩として、謀略により諏訪頼重を自害に追い込み諏訪を完全に制圧。
つい最近、信濃国佐久郡を手に入れた。
信濃支配の始まりをつまずく訳にはいかないため、諏訪郡代として上原城城代に板垣信方。
佐久郡の内山城城代に飯富虎昌をあて体制を整えつつある。
この体制であれば小笠原如きでは手も足も出ないと見ていた。
唯一の不安材料は北信濃の村上義清。
動向を調べているが未だ動く様子は無い。
この状態なら1年もあれば支配体制を固める事ができる。
小笠原が動き出した時には全てが終わっているだろう。
全てが上手くいっているため、自然に笑みが溢れてくる。
「兄上。信濃制圧は順調のようでめでたいことですな」
晴信の目の前には弟の信繁がいた。
父信虎に溺愛された弟。
晴信は、父がなかなか自分を認めようとしなかったのは、目の前にいる出来の良い弟である信繁の存在があると思っている。
父は信繁の成長を待って、自分を廃嫡にするつもりなのではないかと日々疑っていたのだ。
幼い頃から自分よりも文武に優れ、度胸もあり、義理堅くて国衆からの信頼も厚い。
もしも自分が父信虎の立場なら、間違いなく信繁に家督を渡すだろう。
それぐらい信繁の才は際立っていた。
いよいよその危険を感じたため、自分に従う重臣達と今川家と相談の上、父信虎の追放に踏み切ったのだ。
父信虎の追放は信じられないほどに上手くいき、邪魔も一切入らず、一人の怪我人も、一人の死人も出る事なく全てが完璧に実行された。
あまりに上手くいったため、父が何か策を巡らしているのではないかと疑ったくらいだ。
父がいなくなり弟の信繁は今現在、大人しく自分に従ってはいるが、それは表向きの顔であろうと見ていた。
いつの日か自分の首を狙ってくるのではないかと密かに疑っている。
大人しく従ってはいるが、和睦した諏訪頼重を謀略を使い騙し討ちのように甲斐に連行して自害させた時は、言葉にはしなかったがかなり渋い表情をしていた。
信繁からしたら信義に反すると言いたいのだろうが、生き残って勝ったものが尊いのだ。
どんなに卑怯だと叫んでみても、死ねば終わりだ。
晴信自身は少しでも謀反の疑いがあれば、誰であろうと確実に始末すべきであると考えている。
それが血の繋がった我が子であろうとも。
しかし、今の時点で信繁を排除すれば政も軍勢も全てが動かなくなってしまう。
悔しいことに信繁を排除した場合の代わりがいない。
万が一を考え、腹心達の力を高めておき、まだ信用できない信繁をいつでも信繁を排除できるようにして、備えておくことが必要だと考えていた。
「ようやく、信濃佐久郡も手に入れた。来年にでも信濃府中を落とせば信濃国を半分手に入れたことになる」
「もはや小笠原如きでは兄上の敵では無いでしょう」
晴信は信繁が自分に対して、必要以上に謙る姿勢を見せていることに疑いの目で見ていた。
「どこに落とし穴があるか分からん。焦らずじっくりと攻略しいていけば良い。信濃府中を攻略したら北信濃。北信濃の次は越後だ。越後の湊を手に入れる」
「越後でございますか」
わずかながら信繁の表情に驚きが浮かぶ。
「そうだ。甲斐国も信濃国も海が無い。繁栄するには湊が必要だ」
晴信は、信繁のその表情を見ながら満足げに自らの野望を口にする。
そこに、原虎胤が慌ててやってきた。
「諏訪郡代の板垣殿から早馬での報告でございます。突如、諏訪郡に3万を超える大軍が現れ既に信濃府中の村井城は落城。軍勢は二手に分かれ、佐久郡と諏訪郡に向けて進軍中」
「なんだと!どこの軍勢だ」
「丸に二つ引き両門の旗印を掲げているとのことです」
武田晴信の顔色が変わる。
「馬鹿な・丸に二つ引き両門だと」
「兄上、丸に二つ引き両門といえば足利家だ」
「馬鹿な馬鹿な、そんな事があるのか。将軍家の軍勢がわざわざ信濃まで来たというのか」
「兄上、まずは援軍の準備と本当に将軍家の軍勢なのか確認だ」
「分かっている。すぐに軍勢を集めろ」
武田信繁と原虎胤が準備のため急いで下がっていくと躑躅ヶ崎館が慌ただしくなる。
しばらくすると再び早馬の伝令が飛び込んできた。
「諏訪郡代・板垣信方様より報告。敵の大軍の前に敗北。現在上原城にて籠城中でございます」
さらにもう一人の伝令が飛び込んできた。
「佐久郡内山城・城代飯富虎昌様より報告。佐久郡入口にて敵軍勢を迎え撃つものの敗北。内山城に下がり籠城中」
「一体、何が起きているのだ。このままでは諏訪郡と佐久郡の支配体制が崩壊してしまう」
次々にくる早馬による報告に焦りの表情を浮かべ一人呟く武田晴景であった。
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