第36話 将軍は後手を踏む

塩田の作業はかなりの重労働である。

天気の良い日にしかできないため,その時にできる限りやらねばならない。

そのため,朝に大量の海水を汲み上げ人力で塩田に運ぶためかなりの重労働。

そして塩田に海水を撒き水分を蒸発させることで,濃縮した海水とも言える鹹水かんすいを作る必要がある。

塩分濃度の高い鹹水を煮詰めることで大量の塩を得ることができるのだ。

海水をそのまま煮て作ることもできるが,時間がかかり薪も大量に使い,さらに塩の取れ高はわずかに過ぎない。

そのため,鹹水を作ってやる方が圧倒的に塩の取れ高が多いのだ。

将軍足利義藤は、そんな塩田の作業風景を見て回っていた。

畿内における塩の専売化により、かなりの収益を得られるようになってきているため、一度様子を見ておこうと思ったからである。

目の前では、塩田に海水を振り撒いていた。

かなり大きな木の桶に組み上げてきた海水を貯めておき、それを一人の男がやや小さな桶を手に持ち海水を勢いよく振り撒いている。

「藤孝。なかなかの重労働らしいな」

「特に海水を汲み上げることが大変だと聞いております」

「そうか。確かに水は重いからな」

「ですが天気の良い日にしかできないですから、皆作業できる日は精一杯作業しております」

「皆には頑張ってくれと言っておいてくれ」

将軍足利義藤は、その保管してある倉庫に向かう。

倉庫の扉を開けて中に入ると麻袋に入った塩がうず高く積まれていた。

満足そうにその様子を見ていたところに和田惟政が急いで駆け寄ってきた。

「上様」

「惟政。如何した」

「はっ。美濃国守護土岐頼純様がお亡くなりになりました」

「何だと」

土岐頼純が美濃国守護に就任してまだ半年である。

義藤が生まれ変わる前より半年程早い死である。

土岐頼純を京に呼び注意を与えようと考え、土岐頼純にできるだけ早く上洛するように話を伝えていて、1ヶ月後に上洛してくるとの返事が来ていた矢先であった。

「朝餉を召し上がっておられた時に、急に苦しみ出されそのままお亡くなりになったとのこと」

将軍足利義藤は、急いで塩田の管理役所に入り近習だけを残し人払いをする。

「惟政。美濃で何が起きたか分かるか」

「おそらく毒殺の可能性が高いかと思われます」

「毒殺だと」

「土岐頼純様は健康そのもので持病も無かったそうです。それが、朝餉を召し上がって急にでございます」

「持病も無かったかのに急に苦しみ出したか。朝餉の残りはどうなった」

「すぐさま処分されたようです」

「証拠は処分されたか。鼠に食わせて確かめることもできんな。誰の指示か分かるか」

「一番可能性が高いと言うか、一人の人物以外有り得ないかと」

「それは誰だ」

「守護代斎藤利政殿」

「守護代斎藤利政か、あまりいい噂は聞かん人物だな」

「美濃国内でもいい噂は聞きません。敵対する相手を次々に暗殺や毒殺するなどしていると噂されています。国衆は、斎藤利政が力を持っているから、従っていると言った方が良いかと思います」

「そうなると次の美濃国守護は、土岐頼芸の復帰か」

「土岐頼芸殿の美濃国守護復帰の報告が近々室町第に届くかと思われます」

「おそらく、土岐頼芸と斎藤利政は手を組んでいるのであろう。愚かなことだ。そのうち、土岐頼芸も排除されることになるぞ」

「土岐頼芸殿もですか」

「斎藤利政という人物は、利用できる相手は利用して、利用する価値がなくなれば消す。周囲の人を誰も信用していないだろう。さて、どうしたものか。土岐頼純を京に呼ぶ計画が潰されたか。土岐頼純の後ろ盾になり美濃国の安定を図るつもりであったが・・上手くいかんものだ」

将軍足利義藤は、思わずため息をつき腕を組んで考え込んでいる。

「上様」

「藤孝。どうした」

「今後美濃国は如何されます。守護代斎藤利政の力がますます強まります。斎藤利政殿の娘と尾張の織田信秀の嫡男信長との縁談も決まりましたから、美濃国内には対抗できる相手がいなくなりました」

「美濃国に関してはしばらく打つ手がない。土岐頼純を上洛させる計画を知った斎藤利政が、上洛を阻止して,守護土岐家に力を持たせないために先手を打ったのであろう。斎藤利政と手を組んで操られている土岐頼芸では斎藤利政に対抗できない。今無理に上洛させても儂の話は聞く訳にはいかないだろう。土岐頼芸も斎藤義政を本気信じているわけではないが、自分の身が危うくならなければ動くこともない。最も、そんな時になったらすでに土岐家は終わりであろう」

土岐頼純の上洛の話を知った斎藤利政が慌てて毒殺に走ったため、半年早く殺されたのだと考えていた。

「流石は蝮と言われる男だ。油断ならんな。藤孝」

「はっ」

「直ちに京に戻る」

「承知いたしました」

将軍足利義藤一行は、塩田の視察を切り上げて京に戻って行った。


ーーーーー


将軍足利義藤が京の室町第に戻ると、土岐頼芸の美濃国守護復帰の書状が届いていた。

義藤は書状を開き中身を読んでいく。

「流石に仕事が早い。こちらに余計な手立てをさせないために、間髪入れずに手を打ってくる」

「如何いたします」

「藤孝。これは認めるしかないだろう。反対するための大義名分も無い。土岐頼純の死は病死と書かれている。表立って毒殺の証拠も無い。毒殺はあくまでもそのときの状況から、そのように言われているだけだからな」

「ですが、朝倉家は怒っているでしょうな」

「そうだろうな。せっかく美濃国に影響力を及ぼすことができ、美濃国との国境が安定するところだったのが、全てご破算になったのだ。怒って当たり前だが、表向きは病死である以上は簡単には動かんだろう」

「朝倉家はこのまま放置すると」

「土岐頼純という旗印を失い、攻める大義名分も無い。北には主敵である加賀一向一揆もいる。美濃国守護代斎藤利政は、尾張の織田信秀の嫡男に娘を嫁がせるため、尾張は動かん。土岐頼芸の正室は六角定頼の娘。動くとしても単独となる。猛将朝倉宗滴がいると言っても朝倉単独では流石に分が悪い。しばらくは静観の構えとなるだろう」

「斎藤利政、なかなか油断のならん相手ですな」

「全くだ」

将軍足利義藤が細川藤孝と話していると六角定頼が入ってきた。

「上様。失礼いたします」

六角定頼は、将軍足利義藤の前に座り頭を下げる。

「定頼。如何した」

「土岐頼純殿がお亡くなりになり、土岐頼芸殿が再び守護に復帰されると聞きました」

「流石に早いな」

「上様もご存知のように土岐頼芸の正室は我が娘。娘からの話では頼芸殿は本気で斎藤利政を信じている訳では無いようですが、頼芸殿自身は斎藤利政を上手く使っているつもりのようです」

「上手く使っているつもりか、危ういな」

「確かに危ういと存じます」

「何も無いところから守護代家を乗っ取った男だぞ。土岐頼芸では太刀打ちできんだろう」

「このまま行きますと、頼芸殿が気がついた時には、美濃国内に味方はいなくなっていている可能性が高いかと」

「頼純殿を上洛させようとした儂の計画を阻止したのだ。これから斎藤利政は美濃国内の根回しを精力的に行うぞ。数年もしたら土岐頼芸の居場所は無くなり、追放されるかもしれん」

「そこで上様にご相談がございます」

「なんだ」

「美濃国を上様の直轄領にするのは如何ですか」

「突然だな」

将軍足利義藤は、六角定頼の言葉に驚く。

「土岐頼芸殿に任せておいても斎藤利政には勝てません。ならば、上様が直接動かれるしかありません。この日本を再度平定すると上様は言われました。それは敵対するものを打ち倒す修羅の道でもあります。ならば手段を選んでいるときではありません」

「定頼。ならばどうするのだ」

「この定頼にお任せください。まずは西美濃三人衆を味方に引き入れることが重要にございます」

「出来るのか」

「この定頼と美濃の蝮。どちらの調略が勝るのか勝負にございます」

「やれやれ、隠居して儂のそばに居るようになってから、以前よりも若返ったように感じるぞ」

将軍足利義藤の目に映る六角定頼は、以前よりも気力や覇気が漲っているように見えていた。

顔の肌艶もかなり良く見える。

「上様のお側にいると毎日がなかなか面白い事ばかりでございます。美濃の件はこの定頼にお任せください」

「分かった。任せよう。好きにやれ。必要な銭は全て出してやる。書状が必要なら用意してやろう」

「はっ。ありがとうございます」

六角定頼が美濃の調略を任されることとなった。

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