第35話 蝮の高笑い(2)

美濃国大桑城

大桑城は美濃国守護が代々居城としてきた城である。

古城山の山頂に本丸を築き,二の丸・三の丸を備え,長い曲輪を備えた城である。

山の南麓には,朝倉家の一乗谷を参考に作られた城下町が広がり栄えていた。

隠居となった土岐頼芸に代わり,美濃国守護となった土岐頼純は上機嫌であった。

「母上。ようやく,父上(土岐頼武)の悲願であった美濃国守護になれました」

土岐頼純の側で土岐頼純の母が穏やかに微笑んでいた。

品の良い着物を着こなし,白髪の目立つようになってきているが,穏やかに微笑む中にも,朝倉孝景譲りの強い意志を感じさせる目をしていた。

土岐頼純の母は朝倉孝景の三女であったことから,土岐頼純は越前国守護である朝倉孝景の支援を受けていた。

戦となれば,近隣に武名を響かせる朝倉宗滴あさくらそうてきも前線で槍を振るい力を貸してくれる。

22歳になる土岐頼純には,ようやくこれからの未来が開けたように感じられていた。

美濃国守護を奪い取った叔父である土岐頼芸とその手先である斎藤利政に,何度も煮湯を飲まされる思いを味わい,何度も越前に逃げることになった。

だが叔父である越前国守護朝倉孝景のお陰で美濃国守護を取り返す事ができた。

「頼純。朝倉の父上のお陰ですよ。朝倉の父上とは良き仲を保ちなさい」

「分かっております。朝倉の叔父上は私の大切な後ろ盾。決して粗略には扱いませぬ」

「分かっておれば良いです」

大桑城天主からの眺めを見るたびにその喜びを噛み締めていた。

天主からの眺めを見るたびに,自分こそが美濃国守護であるとの思いを強くするのである。

「頼純」

「母上。如何されました」

「用心しなさい。このまま静かに終わるとは思えません」

「叔父の土岐頼芸殿ですか。ですが,隠居した以上何もできないでしょう」

「頼純。あなたは少々甘いです」

「甘いですか」

「本当に怖いのは,守護代である斎藤利政です。斎藤利政がこのまま黙っているはずがありません」

「守護代殿ですか。ですが守護代斎藤利政殿の娘との婚姻も決まりました。せいぜい,この頼純の下で権力を振るう程度ではありませんか」

「頼純は分かっておらん。あの男の恐ろしさを」

「恐ろしさ・・ですか」

「斎藤利政という男は,元々の素性が怪しいのです。言葉巧みに相手に取り入り,あっという間に守護代斎藤家を乗っ取りました。目的のためなら手段を選ばない男です」

「手段を選ばないですか・・いくらなんでも主家を蔑ろにはしないでしょう。他にも土岐家に代々仕えている家臣たちも多くいます」

「土岐家や斎藤家に関わる者たちの中で,斎藤利政により毒殺や暗殺された疑いのあるものが多くいます」

「母上。それは単なる噂でしょう。証拠がない以上はすぐにはどうにもできませんよ」

「家中の多くの人間を手にかけた噂が出るということは,全てが単なる噂ではないということです。噂で言われている中に,実際に手を下し葬ったものたちが,それなりの人数がいると考えるべきです」

土岐頼純は厳しい表情に変わる。

「斎藤利政が謀反を考えていると言われるのですか」

「油断のならない男です。その危険を考えておくべきです。うっかりしていると足元を掬われますよ」

「ですが今の状態で斎藤利政と事を構えるのは得策ではありません。まだ,美濃国守護となって半年。美濃国衆や土岐家家臣の掌握を進めている途中。守護代斎藤利政を排除するなら家中を完全に掌握するのが先です」

「ならば,普段から隙を見せないようにして刻を稼がねばなりませんよ」

「承知しております。将軍足利義藤様からも会って話がしたいから一度上洛せよとお言葉もいただいております。ちょうど良い機会です。上様の後ろ盾も得られるから大丈夫でしょう」

「そうですね。早く上様にお会いして後ろ盾を得られるように致しましょう」

そんな二人の下に下働きの者たちが朝餉あさげを運んできた。

「母上。汁物が冷めぬうちに食べましょう」

二人は箸を手に朝餉を食べ始める。

しばらく食べ進めていくと突如土岐頼純が苦しみ出す。

「頼純」

土岐頼純は食べたものを吐き出しながら前に倒れ込む。

「誰か,頼純が〜」

大桑城に悲鳴が上がるのであった。


ーーーーー


美濃国稲葉山城に早馬がやって来た。

早馬に乗ってやってきた土岐家の家臣が守護代斎藤利政の下に急いで駆け寄る。

「守護代様。一大事にございます。守護土岐頼純様お亡くなりになりました」

「なんだと,何があった」

「朝餉を召し上がっておられた途中で突如倒れ,意識が戻らずそのままお亡くなりになりました」

「なんたることか,承知した。よく知らせてくれた。後は儂に任せて,お主は下がり休むがいい」

早馬の家臣は斎藤利政の言葉を聞き下がって行く。

部屋の中には,斎藤利政と明智光安の二人だけになった。

明智光安は,口元が微かに笑う斎藤利政を見る。

「利政殿。何かされたのか」

「フフフフ・・何の事かな」

「土岐頼純様は上洛も果たせぬまま我らの願い通り,思いもよらぬ形で土岐頼純殿が消えた訳だ」

明智光安は多少呆れたように話をしている。

「いや〜,人の一生というものは分からんものよ。若く,あんなに元気そうであったにも関わらず,朝餉の途中でにわかに病を発症され,そのまま亡くなるとはな。本当に人の生涯など分からぬものよ。しかし,土岐家・美濃国にとっては大きな痛手だ。さてさて,美濃国守護をどうしたものか」

斎藤利政は腕を組んでしばし考え込んでいる様子を見せる。

「ならば,土岐頼芸様に今一度守護に就任していただくしかあるまい」

「お〜,そうであった。土岐頼芸様がおられた。土岐家嫡流の最後のお一人。土岐頼芸様がおられて助かった。危うく守護土岐家が終わるところであった。さっそく、将軍家に奏上いたすとしよう」

「利政殿。もしも,万が一土岐家嫡流が途絶えたらどうする」

明智光安は,斎藤利政を試すかのように声をかける。

「いや〜考えたことも無かったな。だが,もしもそのようなことになったら」

「そのようになったら?」

「美濃国をまとめる力のある者が立てばよかろう」

「力のある者・・土岐家でなくてもか」

「乱世の世だ。力無くしては誰も従わん。力こそが全て。美濃国衆を従える力があれば問題なかろう」

「なるほど,確かに乱世の世である以上は力が全てだ。国衆は皆お主の顔色を伺うようになって来ているぞ」

「人の顔色を伺うような真似しかできん輩には何もできんさ。美濃国はすでに我らのものと同じだ。これからゆっくりと仕上げに入るとするか」

「フフフフ・・怖い男だ」

斎藤利政と明智光安の密談は続いて行くのであった。

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