第22話 剣聖塚原卜伝

一人の初老の男が馬に乗り京の街に近づいてきた。

その男は、予備の馬2頭と50人もの供回りを伴っている。

「師匠。間も無く京でございますな。しかし、急に京に行くと申されたときは驚きましたぞ」

「畿内も戦乱が収まり賑わいを見せ始めていると聞いたから、今の京の街を一度この目で見てみようと思ったからだ」

馬に乗っているのは、剣聖と呼ばれる塚原卜伝。

塚原卜伝は馬をゆっくり歩かせている。

50代後半の年齢であるが、全身から漏れ出る覇気がそれを感じさせない。

若かりし頃、11代将軍足利義澄の目に止まり、京の戦乱に身を投じること三十数回。

討ち取った敵の首は合わせて20個を超え、切り倒した敵は200人を超えていた。

これほど戦に出て、多くの敵を切り倒しても、受けた傷は多少の擦り傷を負った程度であり、ほぼ無傷で敵を撃ち倒してきた。

このことが、塚原卜伝の名を諸国に広まるきっかけになったのだ。

その後、生まれ故郷に戻りさらに研鑽を積み、鹿島神宮での1000日にも及ぶお籠りを経て、新たに自らの流派である鹿嶋新當流かしましんとうりゅうを作り出すまでになっていた。

「弥四郎。なかなか面白いことになりそうだぞ」

弥四郎とは、塚原卜伝の高弟でありのちに雲林院松軒うじいしょうけんと名乗ることになる人物であり、塚原卜伝から極意皆伝書を渡されたことが確認できる唯一の人物である。

「師匠といると退屈はしませんが、何が起きるのですか」

「そこらじゅうに忍びの者達が隠れているぞ。農民に化けているもの、林に隠れているもの、通りすがりの行商人に扮しているもの。進むに従って増えてくる」

「忍びがそんなにいるのですか。あ〜、なるほど。こいつは、強い殺気ですね。進むに従って向けられて来る殺気の数が増えていきますよ。俺にはこんなに殺気を向けられる覚えはないですよ。師匠じゃないですか」

「儂か?心当たりが多すぎて分からんな。だが、忍びに知り合いはいないぞ」

二人の言葉に他の門弟や供回りの者達は驚いて話を聞き逃すまいとする。

二人の言葉に一行の緊張感は増していく。

しかし、塚原卜伝と高弟である弥四郎は、周囲の者達と違い実にのんびりしている。

「この先に何があるやら楽しみになってきた」

「やれやれ、困った師匠ですな。師匠あるところに事件ありですね。向けられる殺気が尋常じゃないですよ」

「弥四郎。お主も楽しそうにしているではないか」

「師匠が師匠ですから、当然のように弟子も似るのではありませぬか」

「クククク・・・ぬかしおる」

一行が進むにつれて緊張感が高まっていく。

「おや、師匠。どうやら向こうからくる一行がその相手のようですよ」

塚原卜伝の目にこちらに向かって歩いてくる武家の一行が見えてきた。

「ホォ〜、どうやらこのおびただしい数の忍びは、あの武家の一行を密かに警護している忍び達のようだ」

塚原卜伝は軽く馬を飛びおりる。

「弥四郎。挨拶に行ってみるとするか」

「師匠。そんなに楽しそうな顔をしないでくださいよ。むしろ不安になります」

「何が出るのか楽しみではないか」

「楽しそうにしているのは師匠だけでしょう。私も含めて師匠以外の者達は緊張のあまり倒れそうですよ」

「何を言っている。お主はピンピンしているではないか。そんなことを言えるなら大丈夫だろう」

「師匠の無茶振りに慣れていても、緊張のあまりポックリ逝ってしまいそうです」

「心配するな。お主が緊張のあまりポックリと逝ったらちゃんと弔ってやる。その代わり葬儀代と酒代ぐらいはしっかりと用意しておけ」

「師匠。俺に宵越しの銭はないですよ」

「なんだ。つまらん奴だな」

塚原卜伝と弥四郎は武家の一行の前に立つ。

「この武家の御一行はどちらのお家でしょうか。拙者は諸国を剣術の修行でまわっております塚原卜伝と申します。これなるは弟子の弥四郎。後ろにおります者達は、共に諸国を巡る供回りの者達にございます」

塚原卜伝の目が奥に控える童を捉える。

その瞬間、この童がこの一行と忍び達の主人であると直感した。

それはひときわ強い意志を漲らせているかのような目をしている童。

視線を外すことができないほどなぜか強く惹きつけられる。

周りを固める者達もかなり鍛えられているように感じられた。

本来損得勘定で冷淡に冷静に動くはずの忍び達から発せられる気配は、この童を何が何でも守るという強い意志を感じさせる。

この様子からかなりの地位にいる武家のように感じる。

同時に周辺からは微かに焦げ臭く何か火種が燻る匂いがしてきた。

この匂いは嗅いだ事が無いが、何かとても危険な予感を感じさる。

塚原卜伝は、この童が何者なのか興味を惹かれ初めていた。

一行の一人が童に何か聞いている。

そして、童が頷いた。

その男が前に出てきた。

「拙者は、幕府で上様にお仕えする丹波国守護代・細川元常。そして、ここにおられる方は、足利将軍家第13代将軍・足利義藤様である」

「なんと、これは失礼いたしました」

塚原卜伝一行は、慌てて地に伏して頭を下げる。

塚原卜伝であっても、まさか将軍の一行に出くわすとは思ってもいなかった。

「面を上げられよ」

その言葉に塚原卜伝は頭を上げる。

その前に将軍足利義藤が立っていた。

「儂が将軍足利義藤である。高名な塚原卜伝殿の名は聞き及んでいる。塚原卜伝殿にあえて嬉しく思うぞ」

「勿体無いお言葉」

「もし良ければ、後ほど御所に寄ってくれ、塚原卜伝殿の話が聞きたい」

「私めの話で良ければ、お話しさせていただきます」

「元常。手配をしておいてくれ」

「承知いたしました」


ーーーーー


足利義藤にとって、塚原卜伝の一行と出会いは予想もしないものであった。

足利義藤は塚原卜伝を見た瞬間、内心驚いていた。

生まれ変わる前に剣術の教えを受けた師匠である塚原卜伝が目の前にいる。

しかも、教えを受けた時より少しだけ若い。

白髪が少し少ないようだ。

そして、弥四郎殿も若々しい姿だ。

生まれ変わる前に散々剣術の稽古をつけてくれた二人。

師匠と弥四郎殿の姿を見て思わず涙が出そうになていた。

生まれ変わる前なら、師匠である塚原卜伝殿に会ったのは、今の年齢から10年以上先になるはずである。

それがなぜか今の時期に京に来た。

本来、この時期に京にいるはずのない人物である。

だが、年齢的にはすでに鹿島神宮での1000日に及ぶお籠りの修行を終え、一之太刀ひとつのたちを編み出して、新たな境地を得られた後のはず。

ならば、この歳で師匠からの修行を受けることができたら、生まれ変わる前に伝授された鹿嶋新當流の教えをさらに深いものにできることになる。

考えように寄っては僥倖とも言えるかもしれないと考えていた。

「警護の忍び達には、心配ないと伝えておく必要があるな」

火縄銃まで持ち出して準備をしていたようで、周辺に火縄の匂いが風に乗って流れていた。

師匠である塚原卜伝との再会を喜びながら御所へと戻って行く足利義藤であった。

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