第10話 光と影

「殿。一大事にございます。菊幢丸様が元服されることになり、烏帽子親が六角定頼殿になりましたぞ」

「そんな馬鹿な話があるか!何かの間違いであろう」

細川晴元は怒りを露わにしていた。

高畠長直たかばたけながなおたち重臣は、主君の怒りを買うことを覚悟で報告をしていた。

怒りを恐れて報告しなければ、後でさらに怒りを買うことになるからである。

「間違いございません。菊幢丸様は、朝廷より義藤の諱と左馬頭をいただき、さらに上様は年内に義藤様を元服させ将軍職を譲られるとのこと。元服の儀の烏帽子親は、六角定頼様に決まったそうでございます」

「なぜ、六角なのだ。烏帽子親は、管領である儂に決まっているであろう。格式や前例から儂以外にありえんだろう」

「六角家からの話しでは、定頼様は何度も辞退されたのですが、上様の命令とのことで断りきれず、強引に烏帽子親とされたそうでございます」

「定頼の奴もどこまでも断ればいいではないか。儂のメンツを潰しおって、管領でありながら将軍家の烏帽子親から外されるなど恥辱以外の何ものでもない。儂は天下の笑いものだ」

細川晴元は右手に持っていた扇子を床に投げつけた。

重臣達は細川晴元の怒りを見てこれ以上話しを続けるべきか迷っていた。

「何だ。まだ何かあるのか」

細川晴元は重臣達の態度を訝るような目で見ている。

「い・いえ・・」

重臣達は晴元と目を合わさずに下を向いたままである。

「言いたいことがあるならはっきり申せ」

「みょ・妙な噂が出ております」

「噂」

「はい、三好長慶が細川氏綱と裏で手を組んで、我らを挟み撃ちにして、細川氏綱を幕府管領に担ぎ上げるつもりだとの話が流れております」

「根も葉もない噂だ」

「我らもそのように思います。ですが、今でも三好長慶は父親の件で殿を恨んでおります」

細川晴元はその言葉にしばらく黙り込んでしまう。

昔、三好長慶の父である三好元長は、細川晴元の家臣であり、戦で次々に手柄をあげ勢力を急拡大させていた。急速に拡大する三好元長の力に危機感を覚えた晴元は、元長の叔父である三好政長、そして河内守護代の木沢長政、さらに一向一揆までも動かして味方である三好元長を葬ったのである。

「確かに恨んでいるだろう」

「さらに三好長慶は、越水城に阿波国から密かに弟達を援軍として呼び寄せ始めております」

「それだけでは、裏切りの証拠にはならん。氏綱を叩くためだと言われて終わりだ」

「ですが、危険です。三好長慶を信用しすぎるのは危険かと思います」

「ならば、三好長慶を試すか」

「試す?」

「三好長慶に細川氏綱討伐を指示する。討てば良し。見事討ったら酒宴の席で葬ればいい。失敗なら細川氏綱が葬ってくれる」

「細川氏綱は姿を隠しております。場合によっては、手を組んで歯向かってくるかもしれませんぞ」

「味方のふりをされ、背後から討たれるよりはマシだ。敵か味方かハッキリする。こちらは万が一の場合に備えておける。」

「よろしいのですか」

「かまわん。三好長慶が裏切った場合に備えておけ。儂は三好長慶に細川氏綱を探し出して討伐するように指示を出す」

「承知いたしました」


ーーーーー


天文14年(1545年)9月

足利義藤となった菊幢丸の元服の儀が始まろうとしていた。

既に六角定頼は着飾った5千の兵を率いて京に入っている。

元服の儀と将軍就任を行うのは、将軍の御所である室町第むろまちだいであり、周辺の辻々を着飾った六角の兵たちが警護をしている。

そして、元服の儀を執り行う部屋には

烏帽子親 六角定頼

理髪役 細川晴経ほそかわはるつね

惣奉行 摂津元造せっつもとなり

元服奉行 松田晴秀、飯尾堯連いいおたかつら

打乱箱うちみだればこ 朽木稙綱

など、それぞれの役割を持つ者達が居並ぶ中を、足利義藤はゆっくりと進んでいく。

父である第12代将軍足利義晴が見守る中、元服の儀を行う部屋の中央に座る。

足利義藤が座ると烏帽子親である六角定頼から元服の儀を執り行う旨の宣言がなされた。


理髪役の細川晴経は、足利義藤の髪型を大人の髪型へと変えるために義藤の前に進みでる。

足利義藤の髪型は、まだ子供が行う左右に分けて結っている髪型のままである。

細川晴経は剃刀を手に、その前髪や月代さかやきを剃り落とし、髪を一つに結い直していく。

打乱箱を持つ朽木稙綱が、切り落とされた足利義藤の髪を箱に入れていく。

鏡台役の者が持っている鏡に大人の髪型となった足利義藤の姿が映し出されている。

そこには凛々しい若武者となった足利義藤の姿があった。

父である足利義晴は、目にうっすらと涙を浮かべている。

凛々しい若武者となった足利義藤に、烏帽子親である六角定頼が緊張した面持ちで近づいていく。

「加冠の儀を執り行います」

六角定頼が元服の儀のラストを飾る烏帽子を足利義藤の頭に乗せ、あごひもを結ぶ。

六角定頼は烏帽子のあごひもを結び終わると下がっていく。

そして足利義藤が父足利義晴の方を向く。

「父上。本日ただいまより元服いたしました。足利家嫡男として、その名に恥じぬことをお誓いいたします」

足利義晴はその言葉を聞き、感慨深げに何度も頷いていた。

烏帽子親である六角定頼から元服の祝いとして、馬・弓・矢・鎧・砂金が送られた。


元服の儀を終えた一同は、征夷大将軍就任が行われる部屋へと移動する。

足利義藤以外の者達は部屋の左右に座り、足利義藤だけが部屋の中央に座って朝廷からの勅使ちょくしを待つ。

しばらくすると勅使である高辻大納言が入ってきた。

ゆっくりと進み、足利義藤の前に来る。

足利義藤は頭を下げる。

勅使は天子様からのお言葉の書かれた書状を開く。

「征夷大将軍就任の宣旨せんじ(天皇のお言葉を伝えること)を行う。本日只今より、足利義藤を征夷大将軍に任じるとともに従四位下とする」

「ありがたきお言葉、謹んでお受けいたします」

「天子様は義藤殿に大いに期待されている。京の平和を期待しておられる」

「はっ、承知いたしました。この足利義藤。征夷大将軍の名に恥じぬようにいたします」

勅使は頷くとゆっくりと部屋を出ていった。

生まれ変わるまであれば天文15年12月の終わりに将軍宣旨をいただくはずが、本来の歴史より1年ほど早い天文14年9月に第13代将軍足利義藤(後の義輝)となったの瞬間であった。

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