第9話 征夷大将軍
「菊幢丸様、外をご覧のまま身じろぎもされませんがどうされましたか」
細川万吉が考え事をしていた菊幢丸に声をかけてきた。
菊幢丸は縁側に座って庭を見つめていた。
「父上から聞いた。父上の今までの人生を考えていたのだ」
「義晴様の人生ですか」
「父は第12代将軍でありながら、まさに苦難の人生だ。祖父である第11代将軍足利義澄様と敵対していた前将軍足利義稙が大内義興の軍勢と共に上洛したおり、祖父とともに京を脱出して六角家に身を寄せることになった。しかし足利義稙と六角家が内通している疑いが出たため、その頃最も信頼できる赤松義村に幼い父は預けられたのだ。幼い頃に播磨国赤松義村のもとに送られて、11歳まで播磨国で生活したそうだ。祖父は京に帰ることなくして30歳の若さで病に倒れた。だが赤松義村は、父義晴を我が子のように接して大切に育ててくれたそうだ。その後、各勢力の暗闘と激しい駆け引きが起こり、細川高国により父は12歳で第12代将軍として擁立され、そして父を愛情を持って育ててくれた赤松義村は、敵対勢力に謀殺されたと聞いた。つまり騙し討ちされたのだ。その時の父上の悲しみはどれほどであっただろうか。その後、細川京兆家の権力争いで京を追われ、朽木谷に逃げ込むしかなかった日々を過ごしていた」
菊幢丸は空をゆっくりと流れていく白い雲を見上げていた。
「菊幢丸様が将軍になられれば、そのようなことはなくなるのです。強い幕府の下で平和な時代となります」
細川万吉は菊幢丸を励ますように力強く話しをする。
「フッ・・そうだな。そのために今あらゆる手立てを尽くして動いているのだったな」
そんな菊幢丸と万吉のところに父である将軍足利義晴がやってきた。
「菊幢丸ここにおったか。探したぞ」
「父上。如何されました」
父である将軍足利義晴が、実に嬉しそうな笑顔を見せながら近づいてきた。
「良き知らせだ」
「良き知らせとは」
「朝廷より菊幢丸に‘’義藤‘’の
左馬頭は朝廷の官職であり、代々将軍の嫡男や鎌倉公方や古河公方の子弟が任じられてきた。
左馬頭に任じられたことは、つまり朝廷が菊幢丸こと足利義藤を次期将軍と認めたことを意味している。
「なんと本当でございますか」
「本当だ。朝廷に願い出ていたところ、思いのほかとんとん拍子に進んだ。来年になるかと思っていたが願い出てすぐにお許しが出た。いや〜良かった良かった」
これは想定外だ。
生まれ変わる前の歴史よりも1年半ほど早い。
「これなら予定をさらに前倒しにするぞ」
「えっ、予定を前倒しとはいったい・・」
「まだ話していなかったな。儂の計画では来年元服させ、すぐに征夷大将軍を譲り、大御所として政を行うつもりであった。そのために、早いうちから朝廷に根回しをしていたのだ。だが、菊幢丸、いや、義藤は朝廷からの覚えがめでたいため、早くお許しが出た。それゆえ全ての予定を前倒しにして、年内に行うことにする」
「年内にですか、いくら何でも早過ぎませぬか」
「心配するな。何の問題も無い。朝廷側もそのつもりだぞ。お前は朝廷からの期待も背負っているのだ。儂はお前が慣れるまで、大御所としてしっかり補佐する」
「そうですか・・承知いたしました」
菊幢丸こと足利義藤の母は、太政大臣・関白近衛尚通の娘。
近衛家は公家の五摂家筆頭であり、天皇家にとても近い家柄。
足利義藤は、武家の頭領でありながら朝廷の血を色濃く受け継ぐ初の将軍となることを、朝廷から期待されている存在でもあった。
「父上」
「どうした」
「ならば、元服の烏帽子親はどなたにされるのですか。細川晴元殿ですか」
「儂は六角定頼を考えている」
「なるほど、細川晴元と六角定頼を引き離すのですね」
「フフフ・・分かるか。本来の役職や前例などを考慮すれば細川晴元だ。だが、それではますます晴元の力が強くなる。六角定頼が義藤の烏帽子親となれば、六角定頼が義藤の後見人となる。晴元と事を構えることになっても簡単に晴元に味方できん。烏帽子親でありながら晴元に味方すれば、六角定頼の大名としてのメンツは丸潰れになる」
生まれ変わる前の歴史では、六角定頼はメンツよりも細川晴元との絆を選ぶことになる。
ならば、何かひと工夫を考えなくてはいけない。
六角定頼が細川晴元に味方できない何かを考えねばならない。
足利義藤となった菊幢丸は、嬉しそうな父の顔を見ながらこれからの手立てを考えるのであった。
ーーーーー
六角定頼は、第12代将軍足利義晴からの急ぎ上洛せよとの呼び出しを受けて、近江国観音寺城を出発して将軍家の御所に到着した。
呼び出された意味がわからず緊張しながら将軍のいる部屋へと入る。
部屋の奥にはすでに将軍足利義晴が待っていた。
「上様。六角定頼にございます。お召しにより参上いたしました」
「急な呼び出しにもかかわらず駆けつけてくれて嬉しく思うぞ」
「もったいないお言葉で」
「早速だが、菊幢丸は朝廷より‘’義藤‘’の諱をいただき、足利義藤となった。さらに‘’左馬頭‘’の官職を賜った」
「な・なんと。本当でございますか」
六角定頼は、驚きの声をあげる。
「本当のことだ」
「いくら何でも、早過ぎませぬか」
「問題無い。朝廷も問題無いと判断されたからこそ諱と左馬頭を許されたのだ」
「ならば、次期将軍は義藤様で決まりということですな」
「そうだ。年内に義藤に征夷大将軍を譲ることになる」
「年内に将軍職を譲ると言われるのですか、本気でございますか。いくら何でも流石にそれは早過ぎませんか」
「心配はいらん。当分の間は儂が大御所として義藤の政務を助ける」
「で・ですが」
「心配はいらん」
「分かりました。ならば元服の儀を行わなければなりません。細川晴元殿には話されましたか」
「晴元は関係無い」
「関係無いとはいったい」
六角定頼は、将軍足利義晴の言葉に怪訝な表情をする。
「義藤の元服の儀における烏帽子親は、六角定頼。お主である」
「お待ちください。本来の役職や実績・前例などを考えれば細川晴元殿のはず。私にはそのような重要な役目はできませぬ。どうぞお許しください。そして、細川晴元殿にご命じ下さい」
六角定頼は、思いもよらぬ将軍足利義晴の言葉に大いに慌てた。
前例に倣えば、烏帽子親は細川晴元で決まりである。
それを六角定頼が務めるとなれば、新将軍の後見人が六角定頼と天下に示すことになる。
そうなれば、細川晴元の怒りを呼び関係を悪化させる危険性が高い。
「ならん」
「どうか、どうか。それだけはお許しください」
「ならん。これは足利将軍足利義晴としての命である」
「で・ですが」
「お主のいい悪いでは無い。これは将軍が下す命令である。将軍家を支える者ならば将軍の命令には従わなければならん。もう一度言う。これは将軍が下す命令である。義藤の元服の儀で烏帽子親を務めよ、六角定頼」
「・・承知いたしました」
いつになく厳しい口調の将軍足利義晴の気迫に押され、苦渋の表情で命令を受け入れる六角定頼であった。
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