第7話 朽木谷の誇り

戦国乱世の世となり足利将軍家が弱体化するにつれて、足利将軍が京の都にいることができず、戦乱が起きるたびに何度も京の都から逃げ出すことが起きていた。

足利将軍が受け入れてくれる場所を求め畿内を彷徨い、最後はいつも朽木の里が受け入れ足利将軍を守り抜いていた。

朽木の里は朽木谷とも呼ばれ、現代の滋賀県の最西部に位置する。

山間の土地ではあるが良質の木材に恵まれ、京や大和国などの寺社の建築に欠かせない木材を多く供給しており、木材の収入により裕福な土地柄であった。

朽木の男達は、どんなに不利な状況下でも足利将軍を朽木の里で守り戦い抜いてきたことを誇りにしていた。

朽木稙綱が当主の頃の永正4年(1507年)に第11代将軍足利義澄。

稙綱の子である朽木晴綱が当主の頃は享禄元年(1528年)に第12代将軍足利義晴。

晴綱の死後天文20年(1551年)には第13代将軍足利義輝を朽木の里で匿っていた。

本家筋に当たる高島家との戦いにとなろうとも足利将軍に味方し、晴綱が戦死することになるのである。

そんな足利将軍を裏切ることなく守り続けた朽木家が、関ヶ原の戦いで西軍を裏切るのは歴史の皮肉であろう。

朽木稙綱は髪もすっかり白くなり、見た目にはすっかり好好爺のような風貌である。

屋敷の中で嫡男の晴綱と二人で畿内の情勢に関して話し合っていた。

「晴綱。菊幢丸様はかなりの大物になりそうだな」

「親父殿。菊幢丸様はまだまだ童ではないか」

「他の幕府奉公衆の話だと、狼や野盗どもを一太刀で切り伏せたとの話だぞ」

稙綱の話を聞いた晴綱は、怪訝そうな表情を浮かべる。

「その噂は儂も聞いたが、流石に話が大袈裟すぎる。以前お会いした時にはそのようなそぶりは見られなかった。普通の年相応の童だったぞ。あの歳の童がそのようなことができるはずがないだろう。あの歳の頃であれば皆まともに刀を振る事なんぞできん。皆せいぜい刀をどうにか振ることができる程度だ。しかも、襲いかかって来る狼の首を一太刀で切り落とすなど儂でも簡単にはできん。まして、野盗を相手になど信じられん」

「それがそうでもないようだ」

「本当だというのか」

「剣術の腕前は、既にかなりの腕前だそうだ。幕府奉公衆が皆驚いているそうだ。近習の中にそれを目撃した者達が多数いる」

「あの歳でそれほどの腕前なのか。なら、噂通りの麒麟児だということか。だが、いつの間にそれほどの腕前になったのだ」

「何かのきっかけで、眠っていた天賦の才が目覚めたのかもしれん。我らの願いである強い足利将軍家の復活を果たしてくれる方であると儂は信じたい」

二人の脳裏には、足利将軍を守るために散って行った家族・親族・家臣・領民たちの顔が浮かんでは消え、また再び浮かんでは消えて行った。

不利な状況でも臆することなく、勇猛に戦い潔く散って行った者達の顔。

忘れようと思っても忘れることのできない男達の顔であった。

「それは、我らの悲願。上様に仕えている者達の悲願でもある。叶えてくれるお方であれば、散って行った者達には何よりの手向けとなりましょう」

「だが、その前には多くの障害が立ち塞がっている」

「細川京兆家の細川晴元と細川氏綱。細川晴元が阿波国から呼び寄せた三好長慶ですね」

「そうだ。しかし、どちらが細川京兆家を抑えても将軍家には害でしかない。権力の専横により将軍家が苦しむ姿しか思い浮かばん。それに三好長慶もかなりの野心家だ」

「せめて、六角定頼殿がはっきりと将軍家の味方と言い切れればいいのだが、あの御仁の腹の中は分からん。しかも、娘を晴元の継室に入れている」

「六角はまだ完全に信用するには危険であろう」

「六角からの我らに対する圧力も徐々に高まってきている。油断はできんな」

六角家から朽木の里に対する圧力が日ましに強まり、朽木の里全体に不安が募っていた。

「ならば、二人で一度菊幢丸様に会ってみるとするか。菊幢丸様からも一度内密で話がしたいと書状が届いている」

朽木親子は菊幢丸に会うことにするのであった。


ーーーーー


御所から程近い寺の一室に菊幢丸はいた。

部屋には警護の近習と伊賀者が控えている。

菊幢丸には、腕利の伊賀衆が交代で警護についていた

今日は内密に朽木谷の者達と会うためにこの寺にやってきている。

生まれ変わる前の人生では、朽木家の者達は必死に将軍家を支えてくれた。

その挙げ句、朽木晴綱が2歳の幼い嫡男を残して戦死して、六角家の圧力に抗し切れなくなり六角の傘下に組み込まれた。

今回は、そんな真似をさせる訳にはいかない。

細川晴元が最初に牙を剥いた時に、晴元との決着をつけ、六角の勢いを削ぎ、朽木の者達に力を付けさせねばならない。

「菊幢丸様」

細川万吉の声がした。

「どうした」

「朽木家の者が参りました」

「ここに通してくれ」

暫くすると白髪頭の好好爺のような男と精悍な面構えの男が入ってきた。

「朽木稙綱でございます。お呼びとのことで嫡男の朽木晴綱と共に参りました」

「菊幢丸である。久しぶりだな」

「ほぉ〜、菊幢丸様は随分と精悍な感じとなりましたな。まさに‘’男子三日会わざれば活目して見よ‘’の言葉通りですな」

朽木稙綱は、菊幢丸から感じる精悍さを感じ取り嬉しそうな表情をする。

「日々の鍛錬の賜物だ」

「日々の鍛錬をかかさなければ、ある日突然上達して一気に変わるものです。まさしく鍛錬の賜物。この朽木稙綱は嬉しゅうございます」

「そう言ってもらえるとは、鍛錬の甲斐があると言うものだ。朽木の者達の忠節にはいつも感謝しておる。朽木の者たちが守ってくれなければ、足利将軍家は滅んでいたかもしれん」

「勿体無いお言葉」

菊幢丸の言葉に頭を下げる朽木稙綱と晴綱。

「さて、今日ここに呼んだ訳を話そうと思う」

朽木稙綱と晴綱の表情に緊張感が見える。

「二人ともこれから話すことは他言無用。他の幕府奉公衆であってもだ」

「承知いたしました」

「数年以内に父上は、私に将軍職を譲り大御所として政を行うだろう。それは、父の弟であり、我が叔父である足利義維あしかがよしつな殿に将軍職を渡さない為であり、それを朝廷に認めさせ、天下に宣言するためだ」

「ですが、叔父上であられる足利義維殿は阿波国に送られてから、消息がよくわかっておりませぬ」

「いや、わかっている。細川晴元の手でしっかりと養育され、匿われている。細川晴元は場合によっては叔父上を将軍にすることを考えている」

「なんと、それで如何されるおつもりで」

「叔父上のことは暫く放っておく、敵対するならそれ相応のことを考えねばなるまい」

「それ相応ですか・・・」

「父上はおそらく細川晴元と細川氏綱の争いで氏綱に手を貸して、晴元と氏綱の共倒れを狙うだろう。儂であってもそうすると思う。そうなると細川晴元は六角定頼と手を組んで将軍家を武力で圧迫する」

「細川京兆家の争いに介入されると言われるのですか」

「そこを逃せば細川京兆家を叩き潰す機会を失う。そのために儂は独自に準備を始めている」

「理由はわかりました。ですが事を起こすにしても準備をするにしても、多額の銭が必要となります」

「それは心配無用だ。どのようにして銭を集めているかはいえぬが、既に10万貫文もの銭を集め、これからさらに増えていく。念のために言っておくが悪事を働いている訳ではないぞ」

「10万貫文」

「そうだ。だから銭の心配はいらん。儂は手の者を増やし、細川京兆家の内輪揉めの火に油をたっぷり注いでいるところだ」

「さらに激しい内輪揉めになされるのですか」

「儂が将軍を継いだら一気にケリをつけるつもりだ」

「ならば、我ら朽木の者達は何をすればよろしいので」

「力を付けてもらいたい」

「力をつける」

「そうだ。正確にいえば武力を増やし、力をつけよ。万吉」

細川万吉が他の近習達を木箱を持ってきた。

「箱の中身を全てくれてやる。力をつけるために使え。1万貫文ある。人を雇うもよし。武具を買うもよし。ただし、周囲に怪しまれぬように徐々に行え。いきなりやれば、六角に怪しまれることになる」

朽木稙綱、晴綱は木箱の蓋を開ける。

そこにはぎっしりと銭が詰まっていた。

「こ・これは」

「これが、儂なりの朽木の者達への支援だと思ってくれ」

「承知いたしました。朽木の者達は、菊幢丸様のご指示に従い力をつけ、必ずやお助けいたします」

「頼むぞ。期待している」

菊幢丸からの銭をもとに朽木家の武力を増やす試みが始まるのであった。

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